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【連作】無為のひと②震災のあとで

 大きな震災があり、たくさんの人々が亡くなった。倉木が被災地復興のため東北へと流れたのは、もちろんボランティアのためではなく、条件の良い日雇い労働のためだった。人手不足で声がかかったのである。海岸通りを車で走ると、見渡す限りに更地が広がったという。ところどころひび割れ、陥没した道を走り、ほとんど手つかずの瓦礫の山を車窓から眺めた、津波で廃墟となった小学校の灰色の校舎を見た、なぜか一軒だけ流されずに残った荒地の廃屋も見た。そんな光景はすでにテレビで何度も見て目に焼きついたものばかりだったから、彼はなんだか物見遊山に来たかのような後ろめたい気分がしないでもなかった。そして週末になると、復興バブルに浮かれる歓楽街で痛飲していた。文字通り宵越しの金を持たない夜々。

 ある夜、彼が宿舎のベッドで横になって携帯電話をいじっていると、東京の呑み仲間、つまり私たちのうちの一人からショートメールがあった。バー《アルバトロス》のマスターが倒れたということを、とりあえず常連(新参者ではあったが)の倉木に伝えたのである。

「何があったの?」
「よくわからん。聞いた話だし。脳の病気だろ」
「誰に訊けばわかるの?」
「冨田先生が救急車を呼んで同乗したらしい」
「そうか、連絡ありがと」

 宿舎というのは、空き地か震災後の更地に建てられた全国から集まる労務者のための二階建ての宿泊施設で、掘っ建て小屋でもプレハブでもないが、安普請にはちがいなく、再度地震が来たらひとたまりもなく、火がつけば忽ち燃え尽きそうである(あくまでも倉木の感想であるが)。

 洗濯室には行列ができ、浴場の湯は垢でなめらかに濁り、食堂のテーブルの上には誰かが忘れたか、捨てた風俗情報誌(ほとんどがデリバリー)。それが電話帳か、カラオケボックスの(昔あった)歌本程の分厚さがある。屋内は禁煙で、玄関脇に灰皿換わりのペール缶が置かれて、寒さに身をすくませながら喫煙する男が数人。風呂上がりの体がたちまち冷え込んで息が白く、乾き切らない髪が凍り始める。表通りには車もなく、都心では決してお目にかかれない見事な満天の星を見上げながら、倉木は冨田先生と電話で話した。

 学習塾を経営しているので仲間内で先生と呼ばれている、ちょうどマスターと倉木の間くらいの年齢(推定)の肥満した男で、痛風と糖尿病を煩い、おまけに高血圧だった。酒を呑み続けることで自分としては緩慢な自殺を遂げているつもりではなかろうが、結果的にそうなってもおかしくはなかったし、結局はそうなってしまったが、それはこの時点ではまだ先のことであり、また別の話である。

「客は俺しかいなかった。マスター、いつも二十二時を過ぎると呑みだすだろ。最初は普通に話していたんだ、いや、何を話していたかは覚えてないよ。どうせくだらないことさ。それが前触れもなく呂律が回らなくなって、本人も目を白黒させている。右手のグラスが落ちて砕けた。いや、たまげたね。ご本尊もびっくりしているみたいだった。とりあえず救急車を呼ぼうとしたら、止められた、というか、怒鳴られた。たぶん呼ぶなということだろうが、言葉にはなっていない。迷ったが、病名だの応急処置だの悠長に検索して調べている場合ではないし、相談相手もいない。怖くなってやっぱり119番に電話した。結果的には素早い対応を褒められたよ。マスターは救急車に乗りたくなくて、ちょっと隊員ともみ合いになった……」
「それは元気な病人ですね」
「笑い事じゃないよ、まったく。付き添いの身にもなってほしいね。しかし、発作が起きたのがマスターひとりのときじゃなくて本当に良かったよ。あの人、絶対に自分から助けを求めるようなタイプじゃないからさ、手遅れになったかも」
「よっぽど悪運が強いのか。先生に感謝しないといけまけませんね」
「別に俺は大したことなんてしてないかけど、本人はこれからリハビリをしっかりして、後遺症が残らないようにしないと……」それから思い出したように、「見舞いに行かんとなあ。何かわかったら、また連絡するよ」

 連絡したのは倉木の方からなのに、先生がそう言って電話を切ってしまうと、たちまち遠くに一人きりでとり残されたような気がしたものだった。

(了)

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