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龍神祭奇譚【2000字のホラー】

 夏季休暇中、史学科で民俗学を研究する私たちは、東北の寒村で鹿しし踊りのフィールドワークを行う予定だった。ところが、月初めの記録的な豪雨のために予定地に土砂崩れが発生したため、取り止めとなってしまった。そこで全く別方向であるが、ゼミ生の瀬川隆一君のご尊父が、さる地方の由緒ある神社の氏子総代であり、お盆に奇祭があるというので、そちらを調査させていただくことになったのである。事件はそこで起こった。

 メンバーは私、瀬川、彼と付き合ってるのではないかと噂があった黒原由依、それに後輩の松野武という歴史オタクと生真面目な谷野真梨の五人だけ、正直に言うと、調査研究というより、夏休みの合宿のような気分で、新幹線でも車内販売のビールを飲んで、トランプに興じて閑を潰したりしたのだった。
「自分の地元がフィールドワークの対象になるって、どんな気分だ?」瀬川に訊いてみると、「都会の学生の生態だって、研究対象になり得るのだからね」と澄まして答えたものである。

 新幹線で東北と正反対へと向かい、ローカル線を乗り継ぎ、最後に一日二、三本しか運行しないバスで山間の集落に到着するともう夕暮れであった。地方出身の私から見ても、途方もなく鄙びた田舎である。わざわざこんな高地に田畑を切り拓いたのは、何か理由があるのだろうかと首を傾ざるを得なかった。

 もちろん私は事前にこの聖瀧村について下調べをしていたのだが、実は気になる情報があった。戦後間もなく、この村で集団怪死事件が起こっていたのである。当時の新聞記事を読んだが、結局原因はわからず仕舞いだったようで、噂が噂を呼ぶというのか、ちょっと怪しげなオカルト系の本に取り上げられてるのも読んだ。村人が突然鎌で自傷したり、首を吊ったり、殺し合ったという。占領軍による極秘の人体実験説、毒茸説、集団食中毒説などがあったが、どれも決め手を欠いているようだ。しかし、現在の村にはそんな恐ろしい記憶を留めている様子はなく、もはや限界集落という感じで(子どもの姿を見なかった)、今にも失われゆく風習の記録を残さなければならない、と民俗学を志す者としての責任感に捉えられるのだった。

 かつて庄屋であった瀬川家の離れを借りて、私たちは合宿した。「電波が届かない」と真梨はぼやき、「コンビニもないのかあ」と松野は呆れ(コンビニどころか商店もない)、「これぞザ・秘境って感じじゃない」と由依は興奮した。正にその秘境で生まれ育った瀬川は、「要するに単なるど田舎ってこと」と付け加えて笑ったものだ。

 人口百人未満の高齢集落のことだから、肝心の奇祭はたしかに邪教めいて興味深いが、ひっそりと侘しいものだった。龍神に捧げる処女の形代である人形が納められたという神輿を、若い衆とはとても言えない男達が担いで山道を奥の院へと練り歩くのを撮影し、その後公民館で古老を囲んでの聞き取りを済ませてしまえば、もはやすべきことはなかった。異変が起きたのはその夜である。

 撮影中から気分の悪そうだった由依と真梨の二人が震え出し、譫言まで口走り始めた。高齢者ばかりの村に医者はいない。母家から解熱剤を借りて、翌朝まで待って麓の病院へ下そうと決まった。ところが、夜が明けると高熱で寝込んでいたはずの由依が忽然と消え、離れに真梨を残し手分けして探してもその姿はどこにも見えない。昨日の山道を登り、斜面にぽっかり空いた炭焼きの釜の口までのぞいた。息を切らせ、断崖を背にした奥の院まで石段を登る。その背後に龍神が座すという伝説の洞窟がある。まさか、と私たちは顔を見合わせた。丸太格子に注連縄で封印されていたのが、人が通れるように動かされているのだ。解せないのは、「神聖だから」とか「祟りがある」などと言って、瀬川が私を執拗に止めようとしたことだった。

 松野が懐中電灯を借りてきて、彼と私は止める瀬川を振り切って、二人で洞窟に踏み込んだ。入口に比して中は案外に広く、最初は段々が切ってあるが、外の光が届かない暗闇まで下りて来ると、天井からは氷柱つららのように鍾乳石がぶら下り、足元は石筍せきじゅんがにょきにょき生え出して、こんな薄気味の悪いところに女性が一人で来るとはとても思われない。ヘルメットもなく、懐中電灯と蝋燭の灯りだけで、傷だらけになりながら、空洞をくぐり抜けてゆくと、やがて水音が聞こえてきた。行き止まりの地底湖に瀧が落ちている。深さの知れぬ透明で瑠璃色に輝く水が、溢れることなく広がり静まってゆく。湖面に白無垢姿の由依が仰向けに浮かぶのが見えた。我を忘れてひんやりとした水を掻き分ける。

 彼女を抱きかかえて岸辺に戻ると、既に事切れていた。顔からは血の気が失せていたが、唇には薄く紅が差してある。そして、何故か何者かによって片方の眼球が切り裂かれていたのである。

(了)

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