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重力について(4)

 高所から落ちたとき、あるいは飛び降りたとき、大地に衝突するまでの間に人は一生を思い出す、などと伝えられている。大人から子へ、子からその友達へと。そんなことをまことしやかに口にするのは、当然落ちたことのない人ばかりなのに、まるで体験したかのように、あるいは直接その耳で当事者から聞いたかのように話すのである。この話の元をどこまでも遡ってゆくと、いつしか転落したが奇跡的に一命を取り留めた人に辿り着くとでもいうのだろうか。

 だけど、子どもの頃から、落ちる人を何度も目にしているのも事実である。もちろん、映画の中の話である。

 たとえば、西部劇では撃たれたガンマンが教会の屋根から落ちる。一生を回想するには、いくらなんでも距離が短すぎると思われるが、そもそも撃たれた時点で即死しているかもしれない。或いはまた、弾は当たったが致命傷ではまるでなく、落ちたところでせいぜい骨折程度であったのかもしれない。

 サスペンスなら、聳え立つ塔からヒロインが落とされそうになったり。もちろん、あくまでも落ちそうになるだけであって、実際に落ちて絶命することはない。そんな映画は誰も観たくない。

 落ちるのは決まって悪者であって、たたらを踏み、冷静冷酷な悪人面が一瞬しまった!という表情になり、次に恐怖に引き攣り、じたばたと空を掴み、呆然と落ちてゆくのである、決まってスローモーションで。

 しかし、この落下の間に、誕生から就学、友情、卒業、恋愛、結婚、子どもの誕生などというフラッシュバックが挟まれるのは、観たことがない。もしかしたら、そんな平凡な人生では卑劣な悪党にはなりようがないのかもしれない。だとしたら、たとえば、親に散々虐待された上で捨てられ、無関心な親戚の間をたらい回しされ、愛情に飢え、しかし世間は厳しく、初めて人間扱いしてくれたのがギャングの仲間たちだったのかもしれない。訓練に励み、やがて初めてのミッション(殺し)に成功し、ボスから褒められる。尊敬する人物に生まれて初めて一人前と認められる喜び……そのとき彼は誓うのである、この人のためなら命すら差し出して悔いることはないと。

 そんな哀しいモンタージュを観せられたら、つい悪党に同情してしまうことになりはすまいか。

 哀しいことに、現実でもバタバタと人は落ちていった、次から次へと。少女アイドル歌手がビルの屋上から身を投げて、しばらく連鎖反応のように同世代の、まだ子どもといってよい者たちが続いた一時期があった。朝、食卓で朝刊を開いて、またかと思う。このような報道が良くない影響を与えるのだという報道もあった。しかし、これらの人々は決して生還することがなかったので、落ちるときに何を見、何を考え、思い出したのか、誰にも語ることができなった。

 またあるときは、マンションの屋上でシンナーを吸ってハイになった女子高生五人が、飛び降りるという事件があった。一斉にではなく、次々と。シンナーを吸引したことがないからわからぬが、重力から解放されたかのように感じるとは聞く。飛べると思う、実際に飛んでみる、重力に身を委ねる。先に堕ちた者の体がクッション代わりとなって、後から飛んだ者が助かったと記憶している。生き残って、何か人に伝えるべきことがあったとでもいうのか。

 飛んでいるものからさえも 自分を取りもどすものよ
 中心 最も強力なものよ

 だけど、この詩人の全く預かり知らぬことであるが、物理学で扱う四つの力では、重力は最も強力なものでは、全然ないのである。試しにゼムクリップにでも磁石を近づけてみればわかる、地球全体の引力よりも小さな磁石の方が強い力を持っていることが。

(続く)

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