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重力について(3)

 二日酔いで腰が抜けたようになって、昼近くまで布団から立ち上がれない。二十代となり、とっくに田舎を出て都会で一人暮らしをしていた。仰向けになるとアパートの二階の窓から空は見えず、視界を塞ぐ隣のマンションの薄汚れた壁を見上げながら、子どもの頃の気怠い昼下がりをなんとなく思い出している。重力に抗えない。

 ある詩人はこんな風に重力について書いている。

 中心 あらゆるものから
 自分を引きよせ 飛んでいるものからさえも
 自分をとりもどすものよ

 立っているひとよ 飲物が渇きのなかを落ちてゆくように
 重力が 彼のなかを逆さまに落ちてゆく
 けれども 眠っている者からは降るのだ
 棚引いている雲からのように
 重力の豊かな雨が

 土曜日の退屈な午後、ひとりの子どもが四肢を伸ばして、団地の最上階から重く垂れ込めて棚引く灰色の雲のパノラマに見入っていた。遠くの山の方で雨が降り出し、水田を越え川を跨いで、しだいに近づいてくる。満遍なく中心へと雨はしめやかに落ちてゆく。

 立っている人からは、重力は飲物のように逆さまに落ちてゆく、とある。そのことを思い出したのは、山を登っていた時だった。三十も越え、酒も煙草も控えて体を鍛えていた時期だった。

 周囲には霧が立ち込めて、下界から見ればそこは雲に包まれているはずだった。真夏だったが高所ゆえに気温が低く、微細な水の粒子がゆくっりと剥き出しの腕を撫でつつ流れてゆくと、肌が粟立つ。尾根道を辿って森林限界を抜けると、岩場が始まり尾根は狭く切り立った。三点支持で着実に標高を稼いでゆくうちに、我を忘れている。

 急に視界が拓けた。雲から抜け出したのである。思いもかけず尾根の両側は切れ落ちて、孤独に尖ったピークがまっすぐ目の前に聳えていた。振り返ると、樹林帯の向こう、雲の切れ目に今朝出た山小屋の赤い屋根が遥か小さく見下ろされる。そして、転々と後続の登山者たちが続くのであった。

 立ったまま水筒から水を飲んだ。水は体のなかを逆さまに落ちていった。

 衰えた体を横たえ、萎えた四肢を伸ばし、病室の窓から雲の行き来を眺めながら、あの頃はいかにも壮健だったと、いつかこの日を思い出すことがあるのだろうか。誰もいない山頂で風に吹かれて、そんなことを自らに問うていた。

(続く)



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