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文学人生相談所④芥川龍之介『鼻』

みんなが私の鼻を笑ってます。もう人に嘲笑われることに耐えられそうにもありません。
本日の相談者 禅智内供ぜんちないぐさん(池の尾在住)
 拙僧は池の尾の寺で、小坊主から内道場供奉ないだいじょうぐぶの職まで上りつめたがゆえに、どうぞここでの相談はご内密にお願いします。

 さて、拙僧の悩みというのはですな、お分かりにならないと思いますが、実はこの鼻のことなんです。いや、事情がありまして、元はこんな標準的なサイズではなかった。

 拙僧の鼻のことは、池の尾近辺では知らぬ者がないというほど有名でした。まあ端的に言うと、デカかった。まるで細長い腸詰めのように、顎の先までぶら下がってまして、歩くとぶらぶら左右に揺れるほどでありましたな。

 何をおっしゃっいますか、形やサイズに悩む思春期真っ盛りでもあるまいし、魔羅の隠喩ではありませぬ。硬くなったり、屹立したりすることもありません。えっ? 嘘をつくと伸びることもないですよ。どうぞ真面目に聞いて下さい。実際、この鼻は飯を食うにも邪魔で、食事中は弟子に細長い板で鼻を持ち上げて貰っていたほどなのです。

 自分の鼻のことが気になって仕方ない。一日中、いや生まれてからずっと鼻のことばかり気にかけて生きてきた、この心持ちが理解できますか? 人が陰に日にこの鼻を嘲笑うからだけではなく、そうでない場合でも、それはそれで気になるのです。それでも、僧供講説そうぐこうせつの折など、鼻のことなどまるで気にしていない、容姿にこだわるのは未熟者の証とばかり、悟り澄ました顔で仏法を説くのでした。

 世間で言われているように、この鼻では嫁が来ないから出家したのではありませぬ。そんなはずはありません。それでも、心の奥底、無意識の闇では、本当はそうだったのかもしれないと段々と思えてくるのが苦しくて。

 御仏に仕える身でありながら、浄土を渇仰かつごうせず、衆生しゅじょう済度さいどを想わず、読誦どくじゅや写経の折にも気になるのは、我が鼻のことばかり。それでも順当に出世したのは、憐れみや同情からではないのか。

 これで釈迦の十大弟子や、天竺の名僧、高僧にデカ鼻がいれば、どれほどの救いになったことでしょうか。仏像の耳は大きく垂れ下がっているでしょう、あれが鼻だったらなあ! と思うわけです。

 ところが、弟子の一人が渡来人の医者からデカ鼻を小さくする方法を教わって参りましてな、鼻を茹でてから、足で踏んでもらい、毛穴から出てきた粒々の脂を毛抜きで抜いてもらう。すると、これが効いてなんと鼻のサイズがどんどん小さくなって、ほら今ご覧になっているとおり、鉤鼻程度に収まったではありませんか。

 これでようやく雑念を捨てて三昧境に至ることができる、そう喜んだのも束の間、どういうわけか、人々の嘲笑は止まない、いや前よりも酷くなったような気さえします。あまりな仕打ち。せっかくノーマルな鼻を手に入れたというのに、もう以前の状態に戻りたいとさえ思うようなってしまいました……。

かんやんの回答 世界にたったひとつの鼻、もともと特別なオンリーワン。でも、鼻の命は短くて苦しきことのみ多かりき。

 プッ……こんにちは、禅智内供さん、ご相談ありがとうございます。クスクス……いえ、とんでもない、笑ってなんかいませんよ、そんな、相談者を笑うなんて……ワハハハ。

 いや、冗談です。冗談ですってば。大変失礼いたしました。それにしても、人は残酷ですね。いや、私たちは残酷だと言うべきなのでしょうか。『人は見た目が9割』なんて冷酷なタイトルの本がベストセラーになったこともありました。いや、読んでませんよ、こんな結論がタイトルになったような本は、どうにも読む気がしなくて。

 ルッキズムはなくならない、そう言うことは簡単です。では、なぜなくならないのか。それは、ただ単に人間がそういう生き物だから、ということに尽きるのではないでしょうか。どんな人にも美醜を見分けるセンスが元から備わっている。でも、それはルッキズムが良いことだとか、仕方のないことだという意味ではありません。ゼンチーさんは、きっとつらい人生を歩んで来られたんでしょうね。

 だけど、事故や病ゆえにゾッとするような容姿の方もおられることを考えると、ただ鼻が大きくて長いなんて、なかなかユーモラスではありませんか。ゼンチーさん、自意識過剰というか、ちょっと気にし過ぎではありませんか。そう、こう言っては失礼かもしれませんが、実はまわりはそんなにゼンチーさんのことなど関心がないのかもしれないのです。美人が三日で飽きるものなら、顔のハンディキャップだって、まあいつかは注目されなくなる……ことがあるかもしれません。

 それにしても、通常の鼻サイズに縮んだことまで蔑むというのは、行き過ぎというものです。仏の道にありながら、実に見下げ果てた奴らではないですか。ハッキリと悪意がある。これで又以前のデカ鼻に戻っても、それこそ奴らの思惑どおり、やっぱり笑われることでしょう。どうですか、そんな最低な職場などスパッと辞めて、転職されては。

 そうですね、鼻が元のサイズに戻ったら、芸人なんかどうですか。ほら、ちょっと前にアゴが大きい芸人さんがいたでしょう、なんてお名前だったか、たしかアゴ……。レギュラー番組12本、年収3000万だったとか。だったら、ゼンチーもですね、ハナおじさん……なんて芸名でお茶の間の人気者を目指すというのは? え、その方、今は人気が低迷して多額の借金を抱えているですって? 意外と俗な芸能ニュースに詳しいですね。そういう有名人の凋落話が大好物という無名人も多いんでしょう。いやいや、私は笑ったりしてませんよ。

(了)

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