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占いについて #02

 夜中に携帯電話に着信があり、画面に稲荷山先輩の名前が表示される、もうそれだけでぼくの胸は嫌悪で溢れ返らんばかりになる、こんな時間に電話するとはなんと非常識な、と。おそらく他の人なら、気にも留めなかったことだろうが。
「もしもし、起きてた?」
 電話しておいて、この質問はないだろうとトサカにくる。
 ところで怒りという情動を表現するのに、今述べたトサカにくるの他に、頭にくる、頭に血が上る、怒髪天を衝くなどの頭部系のものと、腹が立つ、腹に据えかねる、ハラワタが煮えくりかえる、腹の虫が収まらないなどの腹部系のものがあるのは、どういうわけなのか。そうして、腹にくるとか、腹に血が下るとは言わず、又頭が立つとも、頭が煮えくりかえるとも言わないのである。落語の堪忍袋は物理的な袋だけれど、比喩的に言うならば、それは頭にあるのか、それとも腹にあるのか。

 閑話休題。
 稲荷山先輩が夜中に電話をかけてくるのは、何か用があってのことではなく、仕事の話でもない。結果的に嫌がらせになっているけれど、なんともイラつくことに、親切心からアドバイスをしようとしているらしいのである。
 たとえば、
「主任の三峰さんには気をつけて方がよいよ」
 入社したばかりの右も左もわからぬ時期に、こんなことを言われても戸惑うばかりである。
「それはどういう意味ですか?」
「いや、だから、気をつけないと」
「何かあったんですか?」
「話せば長いから……」
「気になるので、話してもらえませんか」
「朝になっちゃうよ」
「端的にまとめられないですかね」
「いやあ、ムリムリ」
 何がムリムリなのか、まるで要領を得ない。
 そんなわけでぼくはしばらく、どう見ても人当たりが良く、面倒見の良い三峰さんを避けるようにしていた。なんと無駄な時間を過ごしたことか、ぼくが距離を置くべきだったのは、稲荷山先輩であったのに。
 またしても電話がかかってくる。
「聞いたんだけど、君、ちょっと評判悪いみたい」
 風呂上がりの就寝前、一日の締めくくりのリラックスタイムにこんなことを言われて、もうその夜は胸がざわついて眠れなくなるんじゃないかと思う。
「え? それはどういうことですか? 何かやらかしましたか?」
「そういうわけではなくて」
「誰がどんなことを言っているんですか?」
「そう言われてもね」
「いや、気をつけます。でも、何が良くなかったのか、正直わからないんです。だから、何があったのかと」
「みんな言ってるよ」
「みんなって誰のことですか?」
「だから、みんなだよ」
「何を言ってるんですか?」
「決まってるだろ、色んなことを言ってるよ」
 夜中の電話に怒り、いきなり評判が悪いと言われ疑心暗鬼になり、わけのわからぬ問答にイライラする。
 更に電話がかかってくる。
「ぼくに彼女ができたという噂が一人歩きしてるんだけど、まさか君が流しているんじゃないだうね」
 知るか!
「急用でも非常時でもないときは、連絡はメールにしてもらえませんか」
 覚悟を決めて、やんわりと、だがハッキリと電話してくるなと伝える。
「あ、悪いけど、それは無理だよ」
「なぜですか?」実のところ、なんでだよ!と絶叫しそうになっている。
「苦手なんだよな、携帯メール」
 どういうわけなのか?

 電話攻勢により、ぼくが気をつけなければならないのは、三峰さんではなく、恩人であるはずの稲荷山先輩だということが判明した。慣れない職種に中途採用され資格試験の勉強中で、頼る人が顔見知りで紹介者の稲荷山先輩しかいないと思い込んでいたのは、間違いだったのである。石切峠課長をはじめ、飯岡課長代理も主任の三峰さんも、懇切丁寧に仕事の手順を教えくれた。たしかにぶっきらぼうな同僚もいたけれど、少なくとも日本語は通じたし、夜中に電話してくることもない。
 当然のように、ぼくは稲荷山先輩を白い目で見るようになっていた。ところで、冷たい視線ならわかるけど、白色にネガティブなニュアンスがないからだろう、白眼視という表現はなんだかしっくりこない。瞳(黒目)ではなく白目の部分で見る、つまり見ていない、少なくとも正面から見ていない、視野の隅に追いやるということなのだろうかと考えたくもなるけれど、全然そうではなく、中国の故事成句らしい。しかしこのとき、ぼくが先輩のことを視界の隅に追いやろうとしたことは間違いない(今では先輩のことしか目に入らなくなってしまったのだけれど)。

 閑話休題。
 ぼくのデスクは稲荷山先輩の隣で、何かと先輩の私物が領域を侵犯してこちらへはみ出してくる。空き缶、空きペットボトル、使用済みのティッシュ、脂取り紙、ペーパータオル……などである。否が応でも視界の隅へと入ってきて、さりげなく肘で押し戻すが、いつの間にか戻ってくる。
「あ、この空き缶、捨ててきましょうか」ゴミ箱までおよそ20歩程であろうか。
「あ、これはとって置いて、まとめるとお金になるから」
 ゴミ袋一杯に空き缶を集めて、自転車の前後の籠と荷台に乗っけてふらふら走っている、ホームレスらしき人を見かけることがあるが、ああいうことなのだろうか。
 稲荷山先輩のデスクは一個の小宇宙でありながら、カオスが支配している。電源タップにコンセントタップが積み重なり、そこから充電ケーブルが二台の携帯電話(会社用と私用)、モバイルバッテリー、充電式懐中電灯、ヘッドランプに繋がり、更にコードがPC、暑がりの先輩には欠かせない卓上送風機、小型扇風機(前者はゴーゴー、後者はカラカラ耳障りな音を立て、冬も出しっぱなし)などへとこんがらがって伸びている。マグカップに歯ブラシと歯磨きが刺さっている。更に、ティッシュ、脂取り紙、ペーパータオルと使用済みのティッシュ、脂取り紙、ペーパータオル……。その上、高島暦とタロットカード一式、金色の三脚台座に鎮座する紫色の水晶玉。まさに無法地帯である。一体何しに会社に来ているのか。
 こういう人から夜中に電話があり、「君、ちょっと評判悪いみたい」などと言われたぼくの困惑を察していただきたい。

(続く)

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