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「ボーイ・ネクストドア」02

(承前)
 翌日、学校では行方不明の女の子の話題で持ち切りだった。この町出身の親が週末に子を連れて実家に帰っていたという話からすると、父か母か、あるいは両親ともに、この学校の先輩かもしれない、この教室で学んだのかもしれない、そう思うと事件がいよいよ身近に感じられる。
 この町は役場や駅、学校のある低地の中心部、元々山林だった台地に切り拓かれた新興住宅地、そして山間部の集落に分かれる。子どもがいなくなったのは、里山とも言えそうな長閑な、というよりは寂れた集落で、それなら親が目を離した隙に子が山へ入ってしまったという可能性もある。ピクニックの対象となるような山ではなく、地元の人間が山菜採りに入るぐらいで、熊が出たというような話も聞かない。テレビで観た捜索隊は、一列に並ぶようにして棒で草叢をつつきながら進んでいて、いくら子どもの体が小さくても、そこまでしなくてもいるかいないか分かるだろうと不思議に思ったものだけれど、考えてみれば、遺留品などの手がかりを探していたわけだ。
 集落からこの高校へ通う者は、三学年合わせても十人足らずで、こんな田舎でも田舎者と言われていた(都市部の出身者が多いベッドタウンの子らにとっては尚更そうだった)。彼らの話によると、女の子の親の実家とはもちろん顔見知りで、親のなかには捜索に加わった者もいる。たしかに長男が都会で世帯を持っていたという。そんなわけで、授業そっちのけで教師への質問が湧き起こる。
 担任の谷口先生は、まだはっきりしたことが分からない段階で無責任な噂を広めないようにいさめ、女の子が無事見つかるように願っていると付け加えた。しかし、いつもジャージ姿で、胸元にホイッスルをぶら下げたこの体育教師は、実は生徒同様、あるいはそれ以上に興奮しているように見えた。
「いいか、ご家族や女の子のために、自分が何ができるのか考えてみるんだ。あることないこと噂したり、勝手な空想で犯人探しをしないように。人を傷つけることになる」
「それで、先生」と、ベッドタウンの子である近江がさっと手を挙げて、ぼくは眼を覆いたくなった。「この子の親はこの学校の卒業生ですか? ひょっとして教え子だったりして」
 坊主頭やイガグリ頭が多いなかで、校則ぎりぎりまで髪を伸ばして、いつも櫛を持ち歩いている。近江とは小学校が同じで、同じクラスになったことはなかったけれど、引越して来る前から顔見知りだったので、本当は性格は正反対だし、興味も重なるところがなかったのに、何となく親しくしている。山や町の子となかなか打ち解けないところが、唯一の共通点といえる。
 父親を担当したというには、谷口先生はいささか若すぎる。そんな程度の観察眼も働かせることができないのか、といささか呆れた。
「だから、そんなことを詮索してもしょうがないだろう。もし仮にそうだとしても、お前には関係ない」
 でも、本当にぼくたちに関係のないことだろうか、腕を組んで首を傾げる。これは極めてローカルな事件じゃないか。隣人の隣人の隣人、知り合いの知り合いの知り合いまで辿れば、全員がある意味で顔見知りであるようなこんな小さな田舎町で起こった行方不明事件なんだから、どこかにこの若い夫婦の親戚の者もいるだろうし、友達もいるだろうし、近所付き合いだってあることだろう。誰もが隣人であるのだ。素知らぬ振りはできない。もちろん、お調子者の近江とちがって、手を挙げてまでこんなことを発言するぼくではない。
 放課後、日の高いうちに帰宅部のぼくは近江と語らって、昨日テレビで観た映像を頼りに、自転車を走らせ現場まで行ってみることにした。家に寄って着替えることもせず、制服のままで。
 緩やかな傾斜の新興住宅地のバス通りを立ち漕ぎで上ると、小規模な商店街があり、郵便局や診療所、集会所が並んでいる。そこから道は急に下り、高台の外れに建つ民家の擁壁の間から、一応は舗装されているもののガタガタの旧道へと至る。視界が開け、刈り入れが終わって、束ねた稲藁が天日干しされている田んぼの間を縫う一本道が低い山の連なりへと続いてゆく。おそらくその麓の集落で女の子は蒸発したように姿を消した。まるで現代の神隠しだ。
 空高く巻積雲が棚引き、柔らかな日差しは満遍なく平和な田園風景を満たしている。引っ越したばかりの頃、小学生のときにはこんな風景がもの珍しく、同じく都会の子である近江とぼくはよくここまで遊びに来たものだ。でもじきに飽きてしまって、バスに乗って映画館やファストフード店のある地方都市の方へ足を伸ばす方が楽しくなる。何しろ田畑と自然しかないのだ。軒を並べることなく、それぞれ独立して隔たっている古い農家は、いずれも垣根を巡らせ、立派な門構を持ち、その前庭はぼくの家などすっぽり収まってしまうだろう広さがある。
 それにしても、どこにも人の姿はない。車も走っていない。マスコミも、捜索隊も幻のように消えてしまった。
「こんなところで、人に攫われるだろうか。誰もいないじゃないか」思わず呟いていた。
「いてもジジババばかりだぜ」近江が言った。
「きっと歩いているうちに道に迷ってしまったんだろう。そういうときは、子どもはどうも坂を上るらしい」
 思い出したのは、行方不明の子どもを単独で見つけて出して、瞬く間に英雄に祭り上げられたボランティアの老人のことだった。もちろん、ぼくはテレビのニュース番組で見たのだ。褐色に日焼けして精悍な顔をした老人は、小さな子どもがひとりで山へ行くはずがないと誰もが思っていたのに、捜索隊とは別行動をとって山を探したのだった。ならば、今回も山を探すべきと考えるのは、短絡的だろうか。ぼくはすでに、ヒーローとなってインタビューを受けている自分の姿を空想することでちょっとうっとりしていたのかもしれない。「そうですね。山が怪しいと思っていました。……はい、結局のところ、ぼくらは皆んな隣人同士なんです、助け合わなければ」背筋をぴんと伸ばしてハキハキ応える。「そんな、当たり前のことをしただけですよ」あるいは又、何かの本で読んだ、終戦を知らずに何十年も南の島のジャングルでサバイバルしていた旧日本軍の兵隊を見つけ出した青年のことを思い出す。何か運命的かつ崇高な使命感を感じていた。
「おい、おいってば、どうしたんだ、ぼんやりして。これからどうすんだよ」
 白日夢が破られ、はっと我に返ったぼくだった。
 ぼくらは自転車を乗り捨て、舗装されていないけれど、ちょうど車一台通れる幅で、両端の車輪の跡に挟まれた真ん中が盛り上がって草が生えている山道を行くことにした。

(続く) 




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