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わたしの双極性障害のはじまり

「適応障害ですね、3ヶ月休職しましょう」

2020年9月、わたしは倒れた。会社で終わらなかった仕事を家に持ち帰り深夜3時まで働き、朝は6時に起きて会社に行くという生活が問題だった。激しい頭痛と不眠症の症状があらわれ、最初は内科を受診していたものの、医師から「これは心療内科ですね」と告げられたのだ。「心療内科か......」少し不安になりながらも、正直よっしゃ!と思っていた。「これでしばらく休める!長期休暇だ!」そんなことを思っていた。

そしてわたしは心療内科の扉をたたく(自動ドアだったけど)
「鹿糠さーん、中へどうぞー」
事務のお姉さんに言われ、診察室のドアを開けたとき、わたしは絶句した。
先生がロン毛で柄シャツ(とてもエキセントリック)に白衣を羽織り、おまけにジーパンなのだ。顔は宮本浩次に似ているので、ロン毛で柄シャツで白衣にジーパンの宮本浩次を想像してほしい。
「ヤッッッッッッッヤブ医者か!!!!!!?」と咄嗟に頭の中で叫んだ(失礼)
でも問診で宮本浩次はよく話を聞いてくれた。今の仕事が激務すぎてつらいとか。宮本浩次からの質問もあった。家族構成についてだ。うつ病や双極性障害は遺伝の可能性もあるからだ。わたしは、母の気分の浮き沈みが激しいことと弟が引きこもり歴8年だということを伝えた。

長い問診の末、
「適応障害ですね、3ヶ月休職しましょう」と告げられた。
ここがポイントである。最初は双極性障害と診断されなかったのだ。

ここから3ヶ月間合わない薬と格闘することとなる。

ではいつ双極性障害と診断されたのか。

体調の改善がみられないまま3ヶ月の休職が終わろうとしていたとき。
「試しにこの薬飲んでみて」
そう言って宮本浩次が処方したのが「リーマス」である。
双極性障害のひとなら、あ!知ってる!となるかと思う。

この薬が劇的に効果があったのだ。

薬をもらった翌週心療内科に行ったとき、「先生、リーマス飲んだらこうなったんですけど」と自作した図を見せた。

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「前はテンションの上がり下がりの幅が大きかったんですけど、リーマス飲んだ今週はテンションの上がり下がりはあったんですけど、なんかすっごい元気で何でもできそうとかもう死にたい鬱だっていう感じではなくて、なんていうかその......」

「あぁ、双極性障害だ!」

わたしがしゃべり終わる前に宮本浩次は喜々として叫んだ。誇張してません、本当に喜々としてた。

「このグラフがないとわかりませんでしたよ。患者さんから自発的に持ってくるなんてはじめてです」
3ヶ月間さまよい続けた治療法がやっと確定した瞬間だった。

「ところで先生、双極性障害ってなんですか?」

宮本浩次は丁寧に教えてくれた。
躁状態のときに激しい刺激を受けると、鬱状態のときの症状が重くなると。


毎日仕事を家に持ち帰り深夜3時まで作業したり、3日間完徹して仕事しても平気だったのはわたしが躁状態だったから。躁状態にやったことのツケが回り鬱状態になり文字が読めなくなり仕事ができなくなり、精神的にも身体的にも限界を超えて倒れたということ。

「鹿糠さん、診断名変更になったからまた3ヶ月休職ね」

こうしてわたしは適応障害治療3ヶ月+双極性障害治療3ヶ月で合計6ヶ月間休職することとなったのでした。

これがわたしの双極性障害のはじまりです。

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