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家族って何だろう。

家族ってなんだろう。
家族との別れは、いつかやって来ます。
そんな事を考えた事はありませんか。
前回は、妹との別れについて語りました。
今回は、父との別れについて語ってみたいと思います。


第3回  父親 編 その1

1 父について

私の父は一昨年の年末に亡くなりました。84歳でした。
父は、私の叔父にあたる父の兄と、小型機械を作る仕事をしていた根っからの職人です。
詳しい仕事内容は、旋盤やフライス盤、ボール盤などを使って部品を作り、アーク溶接で組み立てていく。
そして、モーターやスイッチを取りつけて小型機械を完成させる仕事です。

叔父さんちはおばあちゃんが居たのでよく遊びに行き、
そこでは父の仕事をよく見ていたものでした。
鉄の粉が目に入らないように黒ぶちのメガネを掛けて、
グラインダーでバリ取りをしている父の姿は
今でも目の奥に焼き付いています。
また、アーク溶接の光は目に悪いので、
「光を見るな」とよく叱られたものです。

そんな父はあまり喋らない人でしたが、趣味は沢山ありました。

2 父の趣味

私が小さい頃は家族4人で父の軽四に乗り、あちこちへ連れて行ってもらいました。

夏は海に海水浴や海辺でのキャンプ、
山では川遊びやバーベキューにもよく連れて行ってもらいました。
春や秋は神社やお寺、古墳や古代遺跡の見学にもよく連れて行ってもらったものです。

父自身の趣味はと言いますと、
盆栽やへらぶな釣り、サワガニ取りや海釣りなど。
また、50歳を過ぎてからは、カラオケや社交ダンスなどもやっていました。私の多趣味も父の影響かもしれません。
私と違う所は一つの趣味を追求して、次の趣味に移るところです。そこが私と違い頑固おやじたるところだったのかも知れません。
多趣味で外面はわりといい父だったのですが、家では自分勝手な職人気質の頑固なおやじでした。

3 妹との関係

父が45歳を過ぎた頃、妹は思春期から成人となっていきました。前回も話したように、その頃から父と妹は仲が悪くなっていったのです。
そして、妹も嫁ぎ我が家は3人暮らしとなりました。
妹が嫁ぎ孫ができてからは、父は以前よりは丸くなりましたが、妹とはまだぎくしゃくしていました。
妹も父には話づらいとよくもらし、なぜ私には辛く当たるのかと涙していた事もありました。

4 私の結婚後

それから何年かたち、私も結婚をしました。
私は結婚後、夫婦水入らずでしばらくの間は近所にアパートを借りて妻と暮らしていました。

私の実家は父の持ち家だったので、両親から古い家屋を建て替えて一緒に暮らそうと持ちかけられ、私もそうする事にしました。

家の建て替えは父の知り合いの鉄骨屋さんと大工さんに棟上げを頼み、その後は大工さんと父がほぼ手造りで建て替えたのです。さすがは職人。
ものづくりにはプライドがあるのでしょうかね。
解体も重機を入れず、人力で解体しました。
私も瓦下ろしなどを手伝ったのですがかなりの重労働だった事を覚えています。
そんなこんなで1年後、家は完成し私は両親との同居がはじまったのです。

5 次回につづく…

今回はこの辺にしておきます。
次回は同居後から父との別れまでを語りたいと思います。


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