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=スマホじゃね?と書きながら思った記事


自戒の意味を込めて書きます。


「リクルートスーツを着た就活生」
これは、日本に住んでいる人なら、おそらく一度は耳にしたことがあり、
目にしたことがあり、或いは「経験」したことがあると思う。

「それ」は決して悪いものではない。むしろ、自分の将来と真摯に向き合い
具体的に行動していることの証明でさえある。

だが、この光景(同じような形・色のスーツに身を包んだ若者が大型イベント会場に朝から晩まで同じ時期に詰めかける様)を日本人でない人が見たとき、
その人が覚える感情は「気持ちわるい」になることが多いとどこかで聞いたことがある。

「日本の就活生」の事情を知っている私達は、その光景に対して「知っている」からなんの気無しに目にしているが、事情を全く知らない人からすると、なるほど、その光景を得たいのしれないものと捉えることにおかしいことはない。


私は、はっしゅたぐに対して、「悪いことじゃないんだけど、なんかちょっと」「良い人なんだけどねー」みたいな感覚になる時がある。
女性にアプローチしすぎて、ちょっと距離を置かれてしまう男性みたいな。

はっしゅたぐ自体はすごく便利で面白い。これがあるから欲しい情報にも、よりスピーディーにアクセスすることが出来るし、たぐを見ればそのコンテンツの内容もなんとなくわかる。そう考えると少し「目次」っぽい感じもする。(それは今思った)。

それなのに、たぐを見たときに少し私が距離をさっき書いたようなこと(押しの強い男性)みたいに感じて距離を取りたくなってしまうのは、どんな理由でそれがつけられてるかを想像してしまうからだと思う。

例えば、You Tube。ここ数年でYouTuberなんて言葉が出てきて子供が憧れる働き方を可能にするコンテンツ。ユーザーもコンテンツを作る人も色んな人が増えてどんどん面白い動画も増えている。それなのに、自分は、新しく投稿される動画に対して「あ、この動画広告めっちゃついてる」「はっしゅたぐは意外と少ないなあ」みたいな見方をすることがすごく増えた。

そりゃ勿論お金になるんだから広告はつけるし、見てほしいからタグもつけるだろうけど、なんていうか、全体的に「変わった」気がする。少なくとも、前みたいに「面白い動画をただ見るだけのサイト」では完全にない。(そんなのみんな知ってるけど、もやもやするから言葉にしたかった)。

字幕のすぐ下にスポンサーの名前が常に表示されてる映画を見てるような気持ちになる。だったら、有名な監督がとったやつじゃなくても、字幕の下がキレイな映画をみたいなあと思ってしまう。(時もあるという話で、結局広告ついてようがなんだろうが見るんだけど)。


ここまでではっしゅたぐの話全然していないし、「私が普段SNSに対しておそらく無意識的に感じてること」を書き連ねただけになってしまった。

すごく見た目もかわいいし、グッズ化したら売れそうだなあと思うこともある(はっしゅたぐ人形とか)し、便利で好きなんですけどね、はっしゅたぐ。

ただ、少し距離をおいて生活したいなって思う時があります。


まとまりませんが、そんな記事でした。

見てくださった方、ありがとうございます。


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