生きた化石
引っ越した先で初めてのところ。
女の美容師の人が1人、掃き掃除をしている。
「いらっしゃいませー」
「あ、予約してないんですけど、いいですか?」
「はい、どうぞー」
「どうされますか?」
「あ、えーっと、1センチくらいだけ切ってください」
「量は減らしますか?」
「あ、はい」
「形はこのままって感じですかね」
「あ、はい、このままで」
「このままカブトガニで」
「?はい、このままで」
「かしこまりましたー」
「…」
「…」
「…」
「…」
「初めてということですけど、お住まいはこの辺りですかー?」
「あ、はい、おととい引っ越してきたばっかりで」
「あーそうなんですねー、じゃあぜひ常連になってください(笑)」
「あ、はい(笑)」
「…」
「…」
「…」
「…」
「鏡まったく見られないんですね」
「あ、はい、なんか散髪のとき鏡見るの苦手で、下見ちゃうんですよね」
「わかります〜、どこ見たらいいかわかんないですよね(笑)」
「はい(笑)」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
「はい、お疲れ様でしたー」
「あ、ありがとうございますー
っておい!!カブトガニやないか!!」
「すごくお似合いですよ」
「まんまカブトガニやないか!!」
「後ろこんな感じになってます」
「気持ち悪!!裏きっしょ!!」
「ではお代金いただきますね」
眉間のあたりに尖ったストローみたいなものをぶっ刺され、500ミリのペットボトルみたいな容器に青い液体が注がれていく光景が鏡に映る。
ぼーっと意識が遠のく中で、「カブトガニの血液は人類を救うんですよ」と聞こえた。
目が覚めたら海の中を漂っていて、頭はカブトガニでも首から下は人間なのでクロールと平泳ぎを駆使してなんとか日が沈む前に岸まで辿り着いた。
息継ぎは必要なかった。
それから何時間も歩いて明け方、ダメ元で自宅のチャイムを鳴らすと、「おかえり、くっさ!」と妻のリアクションの第一声がニオイなわけないだろと思いまさか元に戻ってるのかとどたどたと洗面所の鏡を見ると、
めちゃめちゃまだカブトガニだった。
「…いや、これ、カブトガニやんな?」
「え?あー、確かにカブトガニみたいな髪型やな」
「…ちょっと寝るわ」
「えーシャワー浴びてよ臭いから!てか海いってたん?」
「うん」
「徹夜で?」
「うん」
部屋の扉をピシャッと閉めて気付いたら夕方だった。
畳にうつ伏せのままジーパンのポケットから出したスマホは水没していたが、そこに映った自分は元の自分で、ちゃんと1センチだけ散髪されている状態だった。