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トカゲは料理じゃない

ピンポーン。
「この炒飯、トカゲが入ってるんですけどぉー」
「申し訳ございません。すぐにお下げいたしますので代わりのお料理ができるまで少々お待ちください」
 このやり取りを、かれこれ何十回と繰り返してきた。前回は確か三日前のディナーのときだ。このお客さんではないが、同じ文言で料理を下げさせ、挙句の果てには料理代をタダにしろと迫ってきた。
 数か月前から、私はとあるチンピラグループに目をつけられ、カモにされている。彼らは代わる代わる店を訪れ、「トカゲ」を口実として料理にいちゃもんをつけ、「客と店員」という関係性にかこつけてタダ飯を食らうのである。
 もちろん料理にトカゲなんて入っているわけがない。しかし、私は「店員」である以上、彼らと対等に向き合うことはできない。歯向かおうものなら、彼らだけでなく「店」という後ろからの圧力にも対峙することになる。そんなサンドウィッチは絶対においしくない。
 友人には「店を辞めな」といわれる。しかし、もし本当に店を辞めて、どこかで偶然彼らと出くわすことがあったらどうなるだろう。彼らのフィルターを通して見た私は、「俺たちの圧力によって店を辞めた腰抜け」に他ならず、そんな私を見た彼らは、変わらぬ悪意を携えて私に接してくるだろう。

 「代わりのお料理」を作っている最中、目の前の窓越しに、「何か」が張り付いているのが見えた。連日の出勤と彼らへの対応によるストレスによって、私は極限状態に達していた。
代わりの料理ってなんだ。今私が廃棄した料理は料理ではないのか。
なぜ?
トカゲが入っていたから?
トカゲ?
トカゲ、トカゲ。

「トカゲは料理じゃない」

私は窓を開け、手を回し、その「何か」をつかみ取ると、キャベツを切ったまな板の上に置いた。右手には包丁を握っている。

「お待たせして申し訳ございませんでした。こちら、代わりのお料理となります」
「遅ぇぞ。罰として今日も金は払わねぇかんな。」
「はい、お代は結構でございます。ごゆっくりどうぞ」
厨房へ戻ると、自分以外の店員たちが、全員目を見開いてこちらを見つめてきた。害虫を駆除するときのように、店長が恐る恐る私に近づいてくる。
「君、今何を持って行った?」
「え?代わりのお料理ですけど」
「何てことしてくれたんだ。最悪だ。意味が分からない」
「おいどういうことだ!」
 突然客席から怒号が飛んできた。それと同時に、店長の顔がみるみる青ざめていく。
「お前、いったい何を入れたんだ!」
 我慢できず厨房に入り込んできた彼と、私は対面した。
「いや、ですから、代わりのお料理を」
「代わりだって!?もしかして本当にトカゲを入れたのか!?」
 紅潮していた彼の顔が、どんどんと青に染まっていくのがなんだか可笑しい。
「代わりって言ってるじゃないですか。トカゲじゃなくて、ヤモリですよ!」
ほんの数分前まで恐怖の対象でしかなかったチンピラの顔を、可愛いとさえ思い始めた。
そうか。こんなに簡単なことだったのか。
「お代は結構ですので、ごゆっくりお召し上がりください。あ、それと店長。今日のシフトはこれで終わりなので、お先に失礼いたします。また明日、よろしくお願いいたします。」
 無機質に開いた自動ドアの向こうには、いつもの風景が広がっている。

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