通級、嫌だった先生の話

 小学校を卒業する時、「あの学校の支援級の先生はいい人だから」と小学校の通級の先生に勧められて、少し遠くの中学校に入った。仮にその先生をA先生とする。
 少し話した第一印象として、A先生は嫌な先生だった。言語化できないが、「この人は嫌だ」と肌で感じ取った。同席した母も同様に嫌な雰囲気を感じ取っていたようで、「A先生に期待するのはやめよう」という方針がすぐに固まったのは幸いだった。
 A先生とは中学時代は以上の理由からほとんど関わらなかったのだが、中学時代も通級には通っていたため、支援級と通常学級のグレーゾーンにいる子として、A先生の耳には入っていたように思う。
 僕がA先生とのやり取りで覚えているものが一つだけある。僕はホコリアレルギー持ちで、一時間に一度くらいは鼻をかまないと鼻水が出てしまう。そんな時にティッシュを切らしていたら困ってしまう、と相談した時があった。
それに対してA先生はこう言ったのだ。
「トイレ行ってティッシュペーパーで鼻をかめばいいじゃない」と。
 は?という文字で頭の中がいっぱいだった。そんな良識から外れたことをこの先生は勧めるのかと。
 前提として、ティッシュペーパーで鼻をかむのは汚い。糞尿のついた手で触るものを顔に触れさせるなどとんでもない。それが意識として外れているならA先生は良識がない。
 もし僕が健常者で同じ質問をしたならば、模範解答は「ティッシュを切らさないように多めに持ち歩きなさい」だったように思う。実際きっと昔の僕もそれを期待していて、いくつくらい持ち歩けばいいか、どこにしまっておけばいいかなどを聞きたかったのだと思う。
 それがあの回答だ。おそらく「発達障害者にティッシュを持ち歩くなんて高度なことはできないから、トイレットペーパーで鼻をかみなさい」という意図が込められているように思う。
 僕はA先生に舐められたのだ。言語化不可能な嫌気の正体がわかった。

 今も鼻水が出る体質は変わってないが、ティッシュペーパーなどコンビニで買えばいい。その体質は僕の現在の生活上大きな問題になっていない。
 しかし、「あなたは障害者だから」という理由で一般良識すら捨てさせる指導教員には腹が立つ。
 たしかに障害由来で普通の人がしない行動を意図的に取ることはある。部屋は片付けられないし、靴下は同じものを複数買わないと必ず一足無くなるし、別の鞄に財布を移したら120%忘れて家を出る。(ので一つの鞄を使い続けないといけない)
 が、そういった行動は当事者が諦めの果てに自分で選択して行うものであって、それを教員自らが勧めてはいけないと思うのだ。

 障害者はこうやって自信を挫かれていくのだと、振り返って思う。
障害者が誇りを持って生きられる学校になることを切に望む。

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