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それでも月は満ち欠けを繰り返す

バックパッカーと呼ばれる生活をしていたころ、やらねばならない事なんて一つもなかった。ワンデーワンスイング「一日一仕事」とよく言い、「今日は遺跡を見に行こう」とか「手紙を書こう」というビックイベントから「洗濯をした」とか「髪を洗おう」とかそれもカウントするのっていうレベルのものまで(寒い地域で水シャワーだったりすると決死の覚悟が必要)。

そんな生活が1年2年と続いていくと、人は仕事を探し始める。
仕事と言ってもお金を稼ぐことではなく、日々自分に課す業に近いもの。
ある人は絵をかき、またある人はシタールを弾き出し、歌を歌う人、YOGAを始める人、瞑想に向かう人、食べ歩きでマップを作る人、アクセサリー作りに没頭する人、そして僕のように大道芸の稽古する人。
そうこうしているうちに旅行の仕方も変わってくる、もっと気持ちのいい練習場所を、もっとちゃんとした先生に師事を、美しい景色を、新しい出会いを、と。

僕に関していえば、練習できないことがストレスだった。「昨日まで出来なかったことが出来るようになる」「今日も一歩でも、半歩でも前に進んだ(進む努力をした)」という充実感に中毒していく。
自分で決めなければ、明日もここにいる。一歩進めば次の一歩が見えてくる。自分が変化しなければ、自分の世界はずっと変わらなくて、それでも月は日々満ち欠けを繰り返すから、何かに置いて行かれるような焦りがあったのだと思う。自分にとって大事な時代。

今、仕事というのはお金を稼ぐ方法の事を差し、お金が稼げないものは趣味とかボランティアとか呼ばれる。だからか、「スキを仕事に」とか「お金のために」とかで混乱している人がいる。

根本が違うんじゃないかな。

人間にとって生きるうえで必要なのは充実感であって、「仕事」と呼ばれるものにそれを感じられる幸運な人がいて、感じられない人もいる。
文章を書くことは面白いし、自分の考えていることを記録に残すことに充実感も覚える。だけど一文にもならない。それでも僕はこの行為を「仕事」の振りをして向き合って、妻にばれないように楽しんでいる。

#私らしいはたらき方

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