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ポケモン映画の歴史は、首藤剛志との戦いの歴史でもある。

 2020年12月25日、夏の代名詞として有名なポケモン映画も、今年はコロナウィルスの影響によりクリスマス当日の公開となった。
 登場人物たちが薄着であることに違和感を覚えつつ、ポケモン映画を劇場で見ている自分が厚着をしていることにも違和感がある。

 大まかなストーリーは公式サイトを見てもらうのが手っ取り早い。
https://www.pokemon-movie.jp/story/index.php

 簡単に言えば、幻のポケモン「ザルード」に育てられた少年「ココ」がサトシに出会い冒険をする、という話だ。冒険をすると言っても、ザルードとココの関係に対する問題提起が起き、その事件を解決するのが本筋だ。

 近年のポケモン映画には、ひとつの転換期があった。
 それは、「ポケットモンスター キミにきめた!」である。
 この映画は、例年通りの「アニポケのサトシが偶然立ち寄った町で幻(伝説)のポケモンとの出会う」というお決まりを崩しにかかってきた。(この方向転換によりサンムーンのレギュラーメンバーはスクリーンデビューの機会を逃したことになる)
 サトシは映画オリジナルのサトシという扱いになり、ピカチュウとの出会い、そして我々観客の知らない人物たちと冒険をする。その後の「みんなの物語」、そして「ココ」にもその設定は引き継がれており(この2作はサトシとピカチュウの2人(?)旅になっている)、映画オリジナルサトシはポケモンにおいて「ひとつの世界線」として描かれるようになっていく。

 しかし私は、「キミにきめた!」を純粋な転換期として扱うことができずにいる。
 それは、「キミにきめた!」の本当の目的は「首藤剛志という存在の清算」であったからだ。

 首藤剛志はアニポケシリーズの脚本・構成、劇場版ポケットモンスターの第3作までの脚本を手がけた人物である。(「ミューツーの逆襲」「ルギア爆誕」「結晶塔の帝王エンテイ」の3つ。結晶塔の帝王は共同脚本)

 首藤剛志が圧倒的カリスマであったことは疑う余地がない。その色が強すぎるが故に、ポケットモンスターという世界観には合わない作風ですらあった。しかし、「生命の意義」「共存という在り方」「家族の定義」を持ち込むことにより、ポケモン映画を子どもだけの作品にとどめなかったのだ。

 そして「キミにきめた!」では彼のボツ案が使われている。これは彼の残した日記調のサイトにて明らかになっている。
 「言葉を話すピカチュウ」
 「ポケモンのいない世界を生きるサトシ」
 どれもポケモンという作品の概念を揺るがす設定だ。しかしここで首藤剛志の残した遺産を清算する必要があったのだろう。本当の意味で劇場版ポケットモンスターが生まれ変わったのは、首藤剛志という呪いを解いた「みんなの物語」だと私は考えている。

 話を本題に戻すと、ポケモン映画は一度、「親子愛」というテーマに触れている。「結晶塔の帝王エンテイ」は、娘の願いにより姿形の変わった父親が過剰な愛を注ぐ物語である。

 最新作「ココ」と比べると、「結晶塔の帝王」の完成度は異常に高い。しかし同時に、わかりにくくもある。

 「ココ」で描かれる親子愛は、ココを拾ったザルードが人間とポケモンの垣根を越える様を示す。ザルードはポケモンでありながら父親としての役割を果たすため、どんな状況であろうと駆けつける存在として描かれている。しかし、ザルードがどうしてココに対しそこまで入れ込むのか?という理由付けがどうしても弱かった。ザルード自身も親を知らない、という設定はあったが、うまく絡んでいなかったと思う。

 「結晶塔の帝王」は非常に単純で、本当の親子は、姿が変わっても愛だけは残る、という見せ方であった。当事者たちにしか理解できない領域に、他者を踏み込ませない。(サトシは母親をさらわれたが故に不可抗力でその領域に踏み込んでいく)しかし「ココ」よりもわかりにくいのは、父と娘が互いをどう思っているのか、それについての言及がすくないことにある。ある意味邦画的であり、悟らせることの美学がにじみ出ていると感じられる。

 劇場版ポケットモンスターはこれから先、「わかりやすさ」を求めた作風へと舵をきっていくのだろう。これは大きくなりすぎたコンテンツの向かうべき姿で、首藤剛志の作る世界が異常であったのは確かだ。けれど、これは今を受け入れられない幼い大人の意見ではあるが、わかりやすさのために作品の質を犠牲にして欲しくはない。

 親子愛を描いた作品は、実はもうひとつある。
 それは、「ルギア爆誕」だ。
 「ルギア爆誕」自体のテーマは「共存」である。だからこそ、本筋ではないとあるシーンが輝いている。

 あまりにも有名なシーンではあるが、物語のラスト、世界を救ったサトシに母親が声をかける場面。

「世界を救う?命がけですること?
 サトシがいなくなったら、サトシの世界はもうないの。
 私の息子はもういないの!
 あなたがいるから、世界があるの。
 サトシ、あなたはこの世界で何をしたかったの…?」

 1時間半をかけて愛の形を語るのではなく、たった数行の台詞だけで愛のすべてを表すこともできる。誰にでも伝わる言葉ではなく、私の言葉が誰かに偶然伝わるかもしれない、そんなスタンスの映画を私は求めている。


追記
ソーナンスのファンを務めてもう20年くらいだろうか。オリジナルシリーズのソーナンス、かわいすぎる。これだけは絶対にやめないで欲しい。(アニポケ版もかわいいけれど)

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