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「癖」(一)~「オタク」礼讃


「癖」

「癖」は、ここでは「クセ」ではなく「ヘキ」と読む。

「癖」は、元来、疾病の一種である。食物が消化せずに腹中に溜まり、凝固して塊になる病である。

派生義として、病的に偏った嗜好を言う。特定のものに異常な執着を見せることであり、現代風に平たく言えば「マニア」「オタク」である。

「癖」は「痴」と字義が一部重なる。「痴」の原義は「おろか」であるが、
派生義では、特定のものに心を奪われ愚かしいほど耽溺することを意味し、「癖」と言い換えてもほぼ同義である。

明末の「癖」

伝統的な士大夫の道徳観念からすれば、一つのものに度を超えた執着を示すことは、精神的バランスを欠いた好ましくない心態であり、玩物喪志の悪習として戒められるものである。

中国の精神文化史を語る際にしばしば言われるように、明代末期は頗る特異な時代であり、諸々の価値観が正から負へ、負から正へと顛倒された時代であった。

この時代に「狂」や「痴」がことさらもてはやされたのは、これらの文字が元々貶義のものであったからにほかならない。その事情は「癖」においても同様である。

明末の呉従先の小品文『小窗自紀』に、次のような一節がある。

生平売り尽くさざるは是れ痴、生平いやし尽くさざるは是れ癖。湯太史とうたいし云う、「人は痴無かるべからず」と。袁石公えんせきこう云う、「人は癖無かるべからず」と。則ち痴は正に売るをもちいず、癖は正に医すを必いず。

ここでは、「情痴」を主題とした戯曲『牡丹亭還魂記』の作者湯顕祖と並べて、詩文の中でしばしば「癖」に言及した文人袁宏道をこの時代の「癖」の主唱者として挙げている。

袁宏道は、「人は癖無かるべからず」と語り、病とは言え「癖」は直す必要などなく、むしろ「癖」は人には無くてはならないものだと語っている。

また、袁宏道は『瓶史』「好事」で、歴代の著名な「癖」を列挙して次のように述べている。

嵆康けいこうたん武子ぶしの馬、陸羽りくうの茶、米顛べいてんの石、倪雲林げいうんりんの潔、皆癖を以て其の磊塊らいかい儁逸しゅんいつの気を寄する者なり。余、世上の語言に味無く面目憎むべき人を観るに、皆癖無きの人のみ。

世に知られる「癖」はみな「磊塊儁逸」(非凡で偉大)の気を寄せたものであり、「癖」のない人間は、話はつまらなく面も憎たらしいと語っている。

明末の賞玩文化

明末は、政治的には朋党間の抗争や宦官の跋扈などで廃頽し混沌とした時代であったが、文化的には、特に江南地方では、商業経済の成長、物質文明の発展に伴って、洗練され爛熟した都市文化が現出した時代であった。

文人たちは書画・工芸・奇石・園林・花卉などに耽溺し、享楽的、文人趣味的な、一種独特の精神文化を生み出した。

そうした風潮の中で、「癖」の文化とも呼ぶべきものが生まれたのである。

前述の通り、「癖」は伝統的士大夫の道徳においては玩物喪志の悪習とされてきた。

ところが、明代後期に至って王陽明の心学が台頭し、やがて李卓吾ら陽明学左派の放胆な思想が文人たちに影響を与えるようになると、朱子学では抑圧され否定されていた人間のあるがままの「情」や「欲」が正当に認められるようになる。

そして、「情」や「欲」の極みとして、「痴」や「癖」も肯定的に評価されるようになるのである。

明末の文人にとって「玩物喪志」という言葉の含意は、それまでとは異なるものとなった。彼らにとって、珍奇なものに物欲を示したり官能的な情感の世界に遊んだりすることは、無味乾燥な日常からの精神の解放であった。

また、骨董を収蔵したり器皿を鑑賞したりすることは、博覧博識を示す一種のペダンチックな自己表現でもあった。

そしてさらに、そうした物品を賞玩する行為は、人徳を修養し、気品を錬磨し、高尚で垢抜けた市井の文人としての風雅を顕示するものとまでその意義が高められていった。

明末の文震亨の『長物志』は、そうした「賞玩文化」を象徴的に示すものである。花木・水石・禽魚・書画・器具・衣飾・舟車・蔬果・香茗などに分類され、その下に一群の「長物」(無駄なもの、余計なもの)が累々と羅列されている。

日々の生計に汲々とした暮らしの中からは、こうした嗜好や趣味は生まれてこない。文化の爛熟した明末には、特に洗練された江南の地では、「長物」を愛玩するゆとりのある有閑貴族的階級の人々が存在した。

そうした環境で生きることのできる優雅な知識人のサロンで「癖」の文化が誕生し、熟成されていったのである。

明末の人間論

明末の文人張岱は、『陶庵夢憶』「祁止祥癖」の中で、

人は癖無くんば、ともに交わるべからず、其の深情無きを以てなり。
人はきず無くんば、与に交わるべからず、其の真気無きを以てなり。

と述べて、「癖」と「疵」(きず)を並べている。こうした欠点を持つ人間こそが、「深情」「真気」を持つ人間であると語っている。

さらに、『瑯嬛文集』「五異人傳」では、「癖」を持った風変わりな五人の伝記を記して、

余が家の瑞陽ずいようの銭に癖し、髯張ぜんちょうの酒に癖し、紫淵しえんの気に癖し、燕客えんかくの土木に癖し、伯凝はくぎの書史に癖するは、其の一往なる深情、小ならば則ち疵と成り、大ならば則ち癖と成る。

とあり、ここでも「癖」と「疵」を程度の異なる同類のものとして称賛している。

このように「癖」や「疵」がプラスの価値で扱われたのは、明末の文人たちがこれら字面の悪い文字に個性尊重の意図を託したからにほかならない。

当時、常識人や円満居士を嫌い、むしろ極端に個性的で人格に偏りがあり、世俗的尺度からは駄目男とされるような人間、奇人変人や欠陥人間を良しとする風潮があった。

そうした風潮を如実に反映した書物に『癖顚小史』がある。さまざまな「癖」を持った歴代の人物の列伝である。

これについては、次回の投稿で詳述したい。


*本記事は以前投稿した以下の記事の前半を簡略に改編したものである。

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