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【心に響く漢詩】白居易「賣炭翁」~搾取する官吏、困窮する庶民

    賣炭翁   炭(すみ)を売(う)る翁(おきな)
                          唐・白居易
  賣炭翁  
  伐薪燒炭南山中
  滿面塵灰煙火色
  兩鬢蒼蒼十指黒
  賣炭得錢何所營
  身上衣裳口中食
  可憐身上衣正單
  心憂炭賤願天寒

炭(すみ)を売(う)る翁(おきな)
薪(たきぎ)を伐(き)り炭(すみ)を焼(や)く 南山(なんざん)の中(うち)
満面(まんめん)の塵灰(じんかい) 煙火(えんか)の色(いろ)
両鬢(りょうびん)蒼蒼(そうそう) 十指(じっし)黒(くろ)し
炭(すみ)を売(う)り銭(ぜに)を得(え)て 何(なん)の営(いとな)む所(ところ)ぞ身上(しんじょう)の衣裳(いしょう) 口中(こうちゅう)の食(しょく)
憐(あわ)れむ可(べ)し 身上(しんじょう) 衣(い)正(まさ)に単(ひとえ)なり
心(こころ)に炭(すみ)の賤(やす)きを憂(うれ)え 天(てん)の寒(さむ)からんことを願(ねが)う

  夜來城外一尺雪
  曉駕炭車輾冰轍
  牛困人飢日已高
  市南門外泥中歇
  翩翩兩騎來是誰
  黄衣使者白衫兒
  手把文書口稱敕
  廻車叱牛牽向北
  一車炭 千餘斤
  宮使驅將惜不得
  半疋紅紗一丈綾
  繫向牛頭充炭直 

夜来(やらい) 城外(じょうがい) 一尺(いっしゃく)の雪(ゆき)
暁(あかつき)に炭車(たんしゃ)に駕(が)して 氷轍(ひょうてつ)を輾(きし)らしむ
牛(うし)困(つか)れ人(ひと)飢(う)えて 日(ひ)已(すで)に高(たか)く
市(いち)の南門外(なんもんがい) 泥中(でいちゅう)に歇(やす)む
翩翩(へんぺん)たる両騎(りょうき) 来(きた)るは是(こ)れ誰(たれ)ぞ
黄衣(こうい)の使者(ししゃ) 白衫(はくさん)の児(じ)
手(て)に文書(ぶんしょ)を把(と)りて 口(くち)に勅(ちょく)と称(しょう)し
車(くるま)を廻(めぐ)らし牛(うし)を叱(しつ)し 牽(ひ)きて北(きた)に向(む)かわしむ
一車(いっしゃ)の炭(すみ) 千余斤(せんよきん)
宮使(きゅうし)駆(か)り将(ゆ)けば 惜(お)しみ得(え)ず
半疋(はんびき)の紅紗(こうさ) 一丈(いちじょう)の綾(あや)
牛頭(ぎゅうとう)に繫(か)けて 炭(すみ)の直(あたい)に充(あ)つ

 白居易(はくきょい)は、字を楽天(らくてん)といいます。中唐を代表する詩人です。二十九歳で進士に及第し、翰林学士(かんりんがくし)や左拾遺(さしゅうい)などの官を歴任し、中央のエリート官僚として順調に出世しました。

 ところが、元和十年、四十四歳の時、長安で起きた宰相殺害事件に関して、事件の処理の手ぬるさに不満を抱き、早急な犯人逮捕を要求して上書したことが越権行為と見なされ、江州(江西省)に左遷されます。

 その後は、杭州(浙江省)や蘇州(江蘇省)の刺史(州の長官)を歴任し、五十代後半に中央に返り咲き、官は刑部尚書(司法・刑罰を掌る大臣)に至っています。

 白居易の詩は、平易明快で人々に親しまれ、詩人の生前から大いに流行し、早くから日本にも伝わっています。

 白居易は、自らの詩を編集して、諷諭・閑適・感傷・雑律の四類に分けています。

 「諷諭」は、主に若い頃に、経世済民の儒家的理念を抱いて歌った詩です。社会の現実を諷刺したもので、「新楽府(しんがふ)」五十首、「秦中吟(しんちゅうぎん)」十首など、杜甫の社会詩を継承し、人道主義の上に立って政治批判の意を込めた作品群です。

 「閑適」は、日常の生活を題材とした作品群です。主に、江州に左遷された後のもので、中央の政界から遠ざかり、俗世から離れた心静かな境地を歌っています。

 「感傷」は、世間の事物や歴史的事柄によって触発された情感を歌ったもので、「長恨歌(ちょうごんか)」や「琵琶行(びわこう)」などの名作があります。日本では、感傷詩が有名ですが、白居易本人は、感傷詩は遊戯的な作品に過ぎず、自分の詩の本領は、諷諭詩にあると考えていました。

 「雑律」は、ほかの三類がいずれも古体詩であるのに対して近体詩(絶句・律詩・排律)を集めたものです。

 「賣炭翁」は、「新楽府」五十首の中の第三十二首。官吏の横暴と庶民の窮状を活写し、世の不条理を告発した作品です。

炭(すみ)を売(う)る翁(おきな)
薪(たきぎ)を伐(き)り炭(すみ)を焼(や)く 南山(なんざん)の中(うち)

――炭売りの爺さん。南山に入って薪を伐り、炭を焼いている。

 「南山」は、終南山。長安の南に位置する山です。老人は、ここで炭焼きをして生活の糧としています。

満面(まんめん)の塵灰(じんかい) 煙火(えんか)の色(いろ)
両鬢(りょうびん)蒼蒼(そうそう) 十指(じっし)黒(くろ)し

――顔中にほこりと灰をかぶって、炭焼きの煙ですすけた顔をしている。
左右の耳際の髪の毛は、黒白入り交じり。十本の指は、すすで真っ黒だ。

「蒼蒼」は、灰白色。黒と白が入り交じった色です。老人の髪は白髪なのですが、炭焼きのすすで汚れているので、黒白が入り交じって胡麻塩頭のようになっています。

炭(すみ)を売(う)り銭(ぜに)を得(え)て 何(なん)の営(いとな)む所(ところ)ぞ
身上(しんじょう)の衣裳(いしょう) 口中(こうちゅう)の食(しょく)

――炭を売って小銭をかせいで、それでいったい何をしようというのか。
それは、身につける着物と、口に入れる食べ物を手に入れるためだ。

 この二句は、自問自答の形式です。炭を売る目的は何かといえば、それは最低限の生活を維持するため。言い換えれば、もし炭が売れなければ、着る物も食べる物もないということです。

憐(あわ)れむ可(べ)し 身上(しんじょう) 衣(い)正(まさ)に単(ひとえ)なり
心に炭(すみ)の賤(やす)きを憂(うれ)え 天の寒(さむ)からんことを願う

――ああ、なんと気の毒なことに、爺さんがこんな真冬に身につけているのは、まさに夏に着る単衣の薄着ではないか。それでも、爺さんは炭が安くなるのを心配して、「天よ、もっと寒くなれ」と祈っている。

 「可憐」は、句頭に用いて、詩人の強い感情の高ぶりを示します。ここでは、「ああ、かわいそうに」という詠嘆を表しています。

夜来(やらい) 城外(じょうがい) 一尺(いっしゃく)の雪(ゆき)
暁(あかつき)に炭車(たんしゃ)に駕して 氷轍(ひょうてつ)を輾(きし)らしむ

――昨夜は雪が降り、長安の郊外では、一尺の雪が積もった。明け方、爺さんは炭を積んだ荷車に牛をつないで、凍った轍の上を車輪をきしらせながら引いていく。

 「城外」は、長安の城郭の外。老人が住んでいる終南山の周辺の村を指します。「一尺」は、当時の度量衡では、約三十センチ。「轍」は、わだち、車輪の通った跡。その轍の上を行くということは、夜明けに出発した老人よりもっと早く家を出て都に向かった農民がいる、ということを暗示します。

牛(うし)困(つか)れ人(ひと)飢(う)えて 日(ひ)已(すで)に高(たか)く
市(いち)の南門外(なんもんがい) 泥中(でいちゅう)に歇(やす)む

――町に着いた時には、牛は疲れ、爺さんは腹を空かし、日はもう高い。
市場の南門の外で、ぬかるんだ泥道に腰を下ろしてひと休み。

 明け方に出発して、町中に到着した頃には、もう太陽が高く昇っている。雪道を長時間かけてやっとたどり着いたさまを表します。降った雪が溶け、ぬかるんだ泥の中で、老人はしゃがみ込んで休んでいます。

翩翩(へんぺん)たる両騎(りょうき) 来(きた)るは是(こ)れ誰(たれ)ぞ
黄衣(こうい)の使者(ししゃ) 白衫(はくさん)の児(じ)

――と、そこへ飛ぶように軽快にやってきた騎馬の二人。いったい何者かといえば、それは黄色い服を着た宮市使(きゅうしし)と、白い上衣の若者だ。

 「翩翩」は、鳥が風に乗って飛び回るさま、軽い物がヒラヒラと舞うさまをいいます。ここでは、馬が勢いよく駆けてくるさまを表し、老人の牛車のノロノロとした鈍い歩みとの好対照になっています。「黄衣使者」は、宮中の使い、「宮市使」(宮中の物資調達役の宦官)を指します。黄色は、本来天子の色であり、これを着るのは、勅使であることを示します。「白衫兒」は、宮市使に付き従っている手下の若者。

手(て)に文書(ぶんしょ)を把(と)りて 口(くち)に勅(ちょく)と称(しょう)し
車を廻(めぐ)らし牛(うし)を叱(しつ)し 牽(ひ)きて北に向(む)かわしむ

――手には文書を持ち、口では「勅命じゃ!」と叫ぶ。爺さんの荷車の向きを変えさせ、牛をシッシッと叱るように追い立て、北の方へと向かわせる。

 「文書」は、ここでは、民からの物資買い上げを認める公文書のこと。「牽向北」は、荷車を北に向かって引く。長安の東西の市から見ると、皇宮は北の方角に位置します。つまり、老人の焼いた炭が宮中で買い上げられることになった、ということです。

一車(いっしゃ)の炭(すみ) 千余斤(せんよきん)
宮使(きゅうし)駆(か)り将(ゆ)けば 惜(お)しみ得(え)ず

――荷車いっぱいに積んだ炭は、千斤余りの重さがある。でも、宮中の使者に駆り立てられてしまっては、もう惜しんでもどうしようもない。

 「千斤」は、約六百キロ。老人が寒い中苦労して焼いて、重いのをやっとの思いで運んできた炭の重さです。「惜不得」は、惜しんでも仕方ないという意味です。惜しむと言っているのは、これだけの重さの炭をもし市場で売れば、それなりの銭は稼げたはずなのに、お上に買い上げられてしまったらタダ同然になってしまうのを悔やむ、ということです。

半疋(はんびき)の紅紗(こうさ) 一丈(いちじょう)の綾(あや)
牛頭(ぎゅうとう)に繫(か)けて 炭(すみ)の直(あたい)に充(あ)つ

――わずか半疋の赤い薄絹と一丈のあや絹を牛の頭に引っ掛けて、これを炭の代金に充てろと言っている。

「疋」は、布の長さの単位。「半疋」は、二丈、約六メートルです。当時、実際に、宮中で使い残した半端な絹などが、品物の代金に充てられました。こんな物をもらっても、山村に暮らす庶民には、なんの役にも立ちません。

 この作品に描かれているのは、当時の「宮市」(お上による売り買い)の制度の実態です。

 物資調達役の宦官が、手下の者を従えて都の市場を徘徊し、めぼしい品物を見つけると、宮中で要らなくなったものと物々交換させていました。ほとんど没収・略奪に等しいやり方です。

 特に、徳宗の時代の悪政の一つに数えられています。徳宗の在位期間は、ちょうど白居易の前半生に当たります。「賣炭翁」は、こうした悪政の弊害を諷刺し、批判した作品です。

 虐げられてもなすすべのない庶民のありさまを淡々とした筆致で描写しています。政策を非難したり譴責したりする言葉は一切用いず、ただ起きている事柄だけを平易な表現で客観的に語っています。

 個別の事象を一つの物語に仕立てて歌い、それを社会全体の問題として提示する手法は、まさに楽府の伝統にのっとり、杜甫の社会詩を継承するものと言えるでしょう。


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