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【心に響く漢詩】蘇舜欽「夏意」~真っ赤な石榴、枝をわたる鶯の声、まどろむ午睡の気怠い悦楽

    夏意  夏意(なつい)
                           宋・蘇舜欽
  別院深深夏簟淸  
  石榴開遍透簾明 
  樹陰滿地日當午 
  夢覺流鶯時一聲  

別院(べついん)深深(しんしん)として 夏簟(かてん)清く
石榴(せきりゅう)開くこと遍(あまね)く 簾を透かして明らかなり
樹陰(じゅいん)地に満ちて 日は午(ご)に当たり
夢覚(さ)めて流鶯(りゅうおう) 時に一声(いっせい)

 唐・高駢の「山亭夏日」(投稿済)に続いて、もう一首、夏の詩です。

 蘇舜欽(そしゅんきん)は、北宋の詩人。進士に及第し、政界では范仲淹(はんちゅうえん)に認められて出世しますが、のちに失脚し、蘇州に居を移します。滄浪亭(そうろうてい)を造営し、書を読み詩を詠ずる日々を送りました。

 この詩は、夏の真昼時、おそらく滄浪亭の離れで詠んだものでしょう。
 詩題の「夏意」は、夏の趣(おもむき)という意味です。 

別院(べついん)深深(しんしん)として 夏簟(かてん)清く
石榴(せきりゅう)開くこと遍(あまね)く 簾を透かして明らかなり

――ひっそりとした奥深い離れに、涼しげな竹むしろ。すだれ越しに鮮やかなのは、一面に咲き乱れる真っ赤なザクロ。

樹陰(じゅいん)地に満ちて 日は午(ご)に当たり
夢覚(さ)めて流鶯(りゅうおう) 時に一声(いっせい)

――まばゆい真昼の陽射しの下、木々の影がくっきりと地を覆い、ふと目覚めれば、枝を移るウグイスのさえずり。

「午」は、午(うま)の方角、つまり南です。太陽が真南にある時刻、すなわち正午の景趣を歌っています。「流鶯」は、枝から枝へ飛び移りながら鳴くウグイス。

 漢詩と言えば、詠じる季節は春と秋が圧倒的に多いのですが、炎暑の夏も捨てたものではありません。蒸し暑い空気の中に、ひとしきりの清涼感を与えるような洒落た佳作が、数多く残されています。 

 「夏意」は、詩人の風雅な生活のひとコマを切り取った作品です。
 竹むしろに寝そべって、夏の風物を愛でるうち、いつしかまどろんで眠りに落ち、ウグイスのさえずりがうたた寝の夢を破る、というごく平凡なひとコマです。
 気怠さと清々しさの交錯する不思議な心地よさ、午睡の中にふと覚えた悦楽を歌った詩です。

 宋代の詩人は、哲理的な風趣を以て、日常の小さなひとコマを平静淡泊に歌うのが得意でした。この「夏意」も、そうした宋詩の特徴がよく出ている作品です。

石榴の花

 さて、「午睡」と言えば、風雅に聞こえますが、「昼寝」と言うと、少々違ったニュアンスになるようです。

 中国の古い文献の中で、昼寝と言うと、しばしば『論語』「公冶長(こうやちょう)」に見える宰予(さいよ)の話が引っ張り出されてきます。

宰予、昼寝(い)ぬ。子曰く、「朽木(くちき)は雕(ほ)るべからず、糞土(ふんど)の牆(しょう)は杇(ぬ)るべからず。予に於いてか何ぞ誅(せ)めん。

――弟子の宰予が昼寝をしていた。孔子は言った、「腐った木には彫刻できない。ぼろぼろの土塀には上塗りできない。宰予に対しては、叱ったところで何になろうか。」

 師匠から、叱る価値すらないと言われては、弟子は身も蓋もありません。宰予は、「孔門十哲」に名を連ねる高弟でしたが、弁舌に巧みな利口者で、実用主義者。どうやら孔子の好みではなかったようです。

 それにしても、たかが昼寝ごときで、どうしてこうまで言われなければならないのか、いささか不可解ではあります。
 「昼(旧字体は晝)」は「画(畫)」の誤りで、宰予は寝室に絵を描いていたのだとか、また一説には、ただの昼寝ではなく、女と同衾していたのだとか、この一節は、古来、諸説紛紛としています。

 閑話休題、漢詩に話を戻しましょう。
 唐代の詩人白居易(はくきょい)に、「昼寝」と題する詩があります。
その中で、こう歌っています。

不作午時眠  午時(ごじ)の眠りを作(な)さずんば
日長安可度  日長くして安(いずく)んぞ度(わた)るべけん

――昼寝をしなかったら、日が長くて、どう過ごしたらいいのだろう。

 エアコンも扇風機もない時代、夏の昼下がりは、所詮仕事になりません。どのみち昼寝でもするしかなくなります。

 中国には、古来「昼寝文化」なるものがあります。幼稚園から高校まで、昼寝の時間がきっちり設けられています。進学塾や会社でも、昼寝休憩を取るのは珍しくありません。
 養生を第一に考える中国人にとって、昼寝は欠かせない生活の一部なのでしょう。


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