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【心に響く漢詩】孟郊「遊子吟」~老母の慈愛に報いたい息子の孝心

 遊子吟    遊子吟(ゆうしぎん)」
                           唐・孟郊
慈母手中線      慈母(じぼ) 手中(しゅちゅう)の線(いと)
遊子身上衣   遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも)
臨行密密縫   行(こう)に臨(のぞ)みて 密密(みつみつ)に縫(ぬ)う
意恐遲遲歸      意(こころ)に恐(おそ)る  遅遅(ちち)として帰(かえ)らんことを
誰言寸草心      誰(たれ)か言(い)う 寸草(すんそう)の心(こころ)
報得三春暉      三春(さんしゅん)の暉(ひかり)に報(むく)い得(え)んと

孟郊

 孟郊(もうこう)は、字は東野、中唐の詩人です。
 科挙に落第し続け、四十半ば過ぎでようやく進士に及第し、五十になって初めて任官されますが、その後まもなく病で急死する、という不遇の生涯を送りました。

 「推敲」の故事で知られる賈島(かとう)と共に、一字一句に苦心を凝らすいわゆる「苦吟派」の詩人として知られています。

 「遊子吟」は、わが子のために旅支度をする母親の姿を描いています。 

慈母(じぼ) 手中(しゅちゅう)の線(いと)
遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも)


慈しみ深い母が手に持っている糸、
それは旅に出る息子が身につける衣服を縫うためのもの。

「遊子」は、旅人。故郷を離れている者。ここでは、任地に向かう作者自身を指します。

行(こう)に臨(のぞ)みて 密密(みつみつ)に縫(ぬ)う
意(こころ)に恐(おそ)る  遅遅(ちち)として帰(かえ)らんことを

旅立ちに臨んで、母は心を込めて、ひと針ひと針こまやかに縫う。
心の中では、息子の帰郷が遅くなるのを心配しながら。

 旅立つ子どものことを気遣いながら、黙々と針仕事を続ける母親。
 どこの国、いつの世にも普遍的に見られる慈母の姿がそこにはあります。

誰(たれ)か言(い)う 寸草(すんそう)の心(こころ)
三春(さんしゅん)の暉(ひかり)に報(むく)い得(え)んと

わずか一寸ばかり伸びた草が、暖かな春の陽光に恩返しするなど、
とうていできることではない。

 「寸草心」は、一寸(約三センチ)ほどに成長した草に喩えた息子の心、「三春暉」は、春の三ヶ月(孟春・仲春・季春)の陽光に喩えた母の慈愛をいいます。
 「誰言」は反語です。「誰が言えようか」「そんなことはあり得ない」という意味です。
 つまり、最後の二句は、「母の慈愛に包まれて育った私は、なんとか恩返しをしたい。でも、小さな野草のように微力な私にとって、太陽の日差しのような母の愛情はあまりにも偉大で、十分に報いることができそうもない」という意味です。

 「遊子吟」は、孟郊が任地の溧陽(今の江蘇州)に老母を呼び寄せた際に歌ったものです。

 慈しみ深い母の愛情と、それに心から感謝する孝行息子の気持ちを歌った名作です。

 平易で素朴な表現を以て、ほのぼのとした古風な筆致で詠じています。
 息子を思う母、母を思う息子の気持ちが、一字一句しみじみと歌い上げられています。

 遙かな時空を越えて、私たちの胸に響くものがあります。

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