毒を仰いだ韓非~天下統一、影の立て役者
韓非は、戦国時代末期、韓の王族に生まれた。
尊称で「韓非子」とも呼ばれる。
法家思想の第一人者である。
韓は、「戦国七雄」の一つに数えられる。
とは言え、国土は狭く、七雄の中では、最弱。
周りを大国に囲まれ、存立を脅かされていた。
韓非は、初め荀子のもとに遊学した。
吃音であったため、口頭の弁論は不得手であったが、著述には長けていた。
韓非は、富国強兵の策として「法」の理念を韓王に進言した。
再三進言したが、採用してはもらえなかった。
時に、七雄の中で、秦が最も強大であった。
秦王政(のちの始皇帝)は、韓非の著書を読んで痛く感動し、
「この著者に会えたら死んでもかまわん!」
と言った。
というのは、作り話だが、とにかく韓非を高く評価した。
のち、韓が講和の使節として韓非を秦に送ると、秦王は韓非を自国に留めて登用しようとした。
ところが、宰相の李斯がこれを嫉んで阻止しようとする。
李斯は、かつて同じ荀子の門下で、韓非の才をよく知っていた。
「こいつが来たら、おれの地位が危うくなる・・・」
というわけで、李斯が秦王に讒言する。
「韓非は韓の公子でございます。重用しても、いざ事が起きたら韓のために動くでしょう。かと言って、この有能な男を韓に帰せば、のちのち秦の禍になるやもしれません。」
こう吹き込まれた秦王は、あっさり翻意してしまう。
投獄された韓非は、獄中で李斯から渡された毒を仰いで自害する。
韓非の思想は、荀子の「性悪説」に基づいている。
人間は「利」を追求する存在であり、すべての人間関係は利害関係で成り立つものである、という認識から発している。
「人は利を好み、利のためなら何でもする。よって、法律や賞罰で抑制し、秩序を保つべし」
という至極明快な国家統治理念である。
荀子の「性悪説」に加えて、商鞅の「法」、申不害の「術」、慎到の「勢」を統合して体系化している。
「法」とは、君主が公布する法律である。すべての民に周知徹底させ、如何なる場合においても従わなくてはならない絶対的な規則である。
「術」とは、君主が臣下を統御する技術である。臣下に対する信賞必罰は、その規準を公開することなく、君主が自ら裁量すべしとしている。
「勢」とは、君主が固く保持すべき権勢である。権力は、わずかでも臣下に委譲することなく、君主一人のみに集中させるべしとしている。
『韓非子』の中から、韓非の思想が端的に表れている章句をいくつか挙げてみる。
こうした政治理念に基づけば、統治者にとっては「専制君主制」が最も望ましい政治体制である、という結論に落ち着くことになる。
韓非が獄中で毒を仰いだ10年後、秦が天下を統一する。
誕生した「始皇帝」は、まさしく韓非が構想した「専制君主」であった。
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