目的地ー現在地 vol5


おはようございます!

いよいよ新事業のラグビーサポートプログラム「LEAD+」についてですが

あれよあれよとGWに突入し。

いよいよもうダラダラとしてられないなと身を引き締めているリード吉川です。

さて、今日は「プレーヤーを辞めてもラグビー熱を上げていきたい」

という内容について書いていきたいと思います。

結論から言いますと、
「リードで子供達への指導を通して、
ラグビーの好きさが増してくれたら最高だよね」
ってことです。

私自身のお話からすると、5歳から東大阪の布施ラグビースクールでラグビーをスタートさせました。

そこから、「ラグビーがしたいしたい」
「ラグビー好き」熱が周りより割と高いまま
ラグビーを15年以上プレーし続けてきました。

しかし、ラグビーの実力は高校くらいから
自分が持ってた理想と実際は掛け離れ出して

「早稲田でラグビーしたい」という
中学の時持ってた夢が、

自分では難しいということに気づき出します。

高一の時に膝を手術して
手術後、歩行すらできなくて歩行練習からリハビリを始めたくらいから

「俺あかんかも」と15歳の吉川少年は少し感じ出してました。

そんな中、
子どもの時ってPRIDEや俺は上手いからできる!的ないい意味にも持てる、
勘違いな自信を持っていたんです。

しかし、その自信と実際が掛け離れだした時に、
吉川少年が取った行動は、、

「拗ねると周りのせいにする」です。。

あんなに、早稲田に行きたいと思って
高校を選んだのに、

「もうラグビーは楽にしたい。」とか
思い出して

周りの方のご協力やご縁で関東の大学の選択肢もありながら、

「ラグビーはぼちぼち地元関西に帰りたい。」と思ってしまってました。

今思うと、親の思いを裏切る形で、大学を自分で勝手に大分県で選んだのだと思います。

「早稲田行きたい」という自分の夢が断たれた時点で、自分の中では挫折して。

いつのまにか、学校の先生する事にシフトチェンジしていたので、

教員免許が取れる学校と学部を優先して選んだというのはありました。

そんなこんなで、

花園を終えて引退して、
三年生は大学に入るまで遊びまくる期間に入りました。

しかし、ある日。

同級生達は
お祭りモードに入っている時に、

スネ夫の吉川に転機が来るわけです。

監督から、「お前はラグビー好きやから、大人になってもラグビーをしてるか携わってるやろ。指導者にも向いてるし、グランドに来てコーチしろ。」って通告される訳です。

生徒たちから裏で「ボス」と呼ばれていた程、
監督は絶対的存在です。

土食えと言われれば食べる。
理不尽な事も「はい!」て返事してやる。
そんは存在です。

私は引退したにも関わらず、毎日グランドに行き
後輩たちにコーチ紛いのことをする事になりました。

今思うとこの機会が、
今の自分転機かもしれません。

そこから大学に入ってもラグビー部でプレーもして

下手くそなりに、Aチーム目指して頑張るぞ。
とは意気込みながら、

将来は学校の先生になると思っていたんです。

そして、大学卒業後、
母校大分舞鶴で社会科の非常勤講師として
学校の先生をスタート。

そこから、指導者としての新しいラグビー立ち位置となり、5歳から中学までの「ラグビーしたくてたまらん」の気持ちは一切なくなり、

「ラグビー教えたい。早く指導しにグランド行きたい」
という気持ちに変わりました。
クラブチームに、誘われても

全然ラグビーをプレーしたい気持ちは0で
教えたい気持ちが100だった僕は

お断りさせて頂いていました。

教師になってから、授業作りや指導、ラグビーの勉強に毎日休む時間なく、没頭しました。

授業がない空き時間は、生徒のように
先輩先生の授業を見に行ったり。

部活がテスト休みの時は、東福岡高校さんや
オルソ井上さんのセミナーを受けに大阪に帰ったり。

当時15万円もない給料のほとんどを指導磨き
に使っていたと思います。

黒板の前に立って授業をするのも。
グランドに立ってラグビーを教えるのも。

教える事が好きで好きでたまらなかったので、
当時から努力を努力と思わず

楽しんでやっている自分がいました。

高校生の時のスネ夫吉川とは間反対の感情です。笑

15歳〜20歳くらいまでの自分に指導してやりたいくらいです。

ラグビーの練習や努力を楽しんでしていなかったから上手くならない。

練習が作業になっていて、身を削るだけで
上達は遅い。
何のためにやってるかもわからん。
楽しくないから自分から努力しない。

それが、指導者になってからは
生徒が上手く、勝つ為に努力をする。
学んで、試行錯誤してやればやるほど程、
上達する自分がわかってどんどん楽しくなる。
負けや失敗もあるけど、次は勝つ為にまた努力をしようとする。

1番はラグビーがまた好きになった。

僕は指導者になってから、ラグビーの好きさが
増しました。
多分指導者を続ける限り、どんどん好きになって行くと思います。

先週金曜日に、初めて女子だけで教室をした機会では、

楽しくて楽しくて堪りませんでした。
またラグビーの新しい楽しさを作ってしまいました!

てことで、話を戻すとですね。

ラグビーのプレーを止めても、ラグビーが好きという気持ちを持ち続ける方が側にいたら幸せで、

リードで指導者として
ラグビーが好きな方が指導を通して

・「ラグビーの好きさが増した」
・「ラグビーやっぱり好き」
・「ラグビーの指導者として努力をして
自分を楽しい中で磨きたい」

という方がいれば幸せだなと最近思いだしたんです。

なので、新しくやる「LEAD+」は
定員が最大14人と12名ずつの教室で、
僕1人でも教えられる人数ですが、

2〜3名ずつのコーチで指導していこうと思います。

正直、人件費を考えるとアホです。
今大手の企業にや街のお店では

人件費を削減して

セルフレジにしたり、ロボットにしたり。
自動化にしたり、職を失う方もいたりする中。

12人の教室で最大3名のコーチがいるのですから。

でも、良いんです。

5月末か6月から開催予定の木曜日のラグビー教室も、

そんな思いを持てるようなコーチの方と出会えたら良いなと思ってます。


指導を通して、ラグビーに携われ
コーチの方々がプレーヤーをやめても

ラグビーを通して。
「楽しさ」と「自分磨き」ができるんですから。


楽しくコーチングして下さったり、自分磨きをすると、子ども達も楽しく、ラグビーをしてくれるかもしれないんで。

楽しくラグビーをしてくれた子達は、
「努力したい!練習したい!」と思ってくれて自分磨きをしてくれるかもしれません。

楽しさが広がる!
ラグビー好きな気持ちが広がる!
自分磨きをする人が増える!
自分磨きを楽しくできる!

リードは、今年度から
「指導者育成」とか固い言葉でなく、

「プレーヤーを辞めてもラグビー熱を上げていきたい」。

そんな場になりたいんです。

皆さん応援してください。

鼻で笑ってる人がいるとおもいますが、

僕は応援してくださる方にいつも背中を押されてます。

頑張ります。

以上です。

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