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七本目 『ドイツで柔道指導者の駆け出し時代にやって良かったこと・悪かったこと』

Hallo zusammen!! (←Hello Everyone!!のことです)

"DJB"の江口貫拙です。今回もよろしくお願いします。

前回・前々回と技術的な考察を記事にしましたが、今回は指導者になってからの自分の起こした行動・失敗談などを振り返りつつ、自身の経験をつらつらと書いていこうと思います。

それではまいりましょう。「はじめ!」

英語 or ドイツ語?

やってよかったことの1つ目はドイツ語を習得するという決断をし、勉強を早急にはじめたことです。

2015年3月に日本人幼稚園を退職し、Judo Club 71 Düsseldorf e.V.(以下JC71)で指導者になることが決まったわけですが、実は指導者としての仕事が始まるまでに5ヶ月ほど時間がありました。

というのもドイツでは新学期が始まるのが4月ではなく夏休み明けの9月になります(その年によっては8月になったりもします)。秋学期制度ってやつですね。

ですのでこの5ヶ月の間に何をするのかという判断は今思うとかなり重要だったと思います。

まず考えたのがドイツ語を習得しようということでした。幸か不幸かデュッセルドルフという街は多くの日系企業があり何千という日本人が住んでいるので日本語だけでも十分生活が成り立ってしまいます。

実際日本人幼稚園に勤めていた時も99%日本語で仕事していましたし、ドイツ語は簡単な挨拶や文章が理解できるレベルでした。あとは中学英語ができるくらいの言語力しかありませんでした。

今後もドイツに残ることを考えて英語かドイツ語かどちらかの言語を勉強しようと思っていたのですが、ある程度基礎ができていて、いろんな国で潰しが効く英語やった方がいいやろうなと一度は考えたんですが、いやちょっと待てよと。

「ドイツ語が話せる日本人柔道家の方が希少価値があるんじゃないか。」

おそらく日本にも他の国にも英語を話すことができる日本人柔道家や指導者はたくさんおられると思います。そこでたいして知名度もない僕が英語で柔道教えられたとしてもそこまで需要がないだろうと思いました。

そして僕が知る限りでは、その当時ドイツ国内に他の日本人指導者がいるという話はありませんでした。(後にミュンヘンに腹巻先生という女性の指導者が来られますが。)

てことは時間はかかるけどドイツ語習得してドイツ人にとって母国語でコミュニケーションが取れる人間になれればドイツ国内での指導者としての需要が高まるのではと考えました。

ドイツ語ができれば、ある程度年齢を重ねて英語を理解できる選手だけでなく幅広い年代への指導も可能になりますからね。

環境設定をしよう

やってよかったことの二つ目はドイツ語を学ぶための環境作りです。

「ドイツ語を話せる指導者になろう!」そう思い立ってからはすぐに語学学校に通い出し、とにかく基礎を学ばなければと必死でした。そして5月からはJC71のチームメイトの家族にお願いして、デュッセルドルフの隣町のヒルデンという日本人もほとんど住んでいない街で三ヶ月間ホームステイをさせてもらいました。

デュッセルドルフにいる以上日本語のある環境に甘えてしまうのは目に見えていましたし、とにかくドイツ語でしかコミュニケーションを取れない環境に身を置くことが最良と考えての判断です。

実際にこの三ヶ月間は
午前:語学学校
午後:宿題
夕 :練習
夜 :ホストファミリーとご飯・談笑

みたいな感じでとにかくドイツ語に耳を慣らすため、頭をドイツ語脳にするためになるべく日本語から遠ざかれるような環境作りを心がけました。

自分では良くないと理解していても、近くに簡単な手段があるとすぐに手を伸ばしてしまうのが人間の性です。僕自身そこまで自分を律することができないのも十分承知していました。

だからこそ、日本語のある生活に簡単に手を出せない環境作りがどうしても必要だったのです。今でもドイツでの日本人の方とのお付き合いは必要最低限になるよう努力しています。(でも妻が日本人なので日本語使いまくってますが。笑)

まあ、その甲斐あってかこの三ヶ月でドイツ語の基礎の基礎ぐらいはなんとか習得でき2015年の9月からドイツ語での指導を開始することになります。

時間を投資せよ

次にやって悪かったことになりますが、これは時間の切り売りです。

指導者としての仕事が始まる9月になる頃には、前職を辞めてから半年近くが経ち、貯蓄もだんだん目減りしてきていました。そこで柔道の指導とは別で、以前の職場で少し関わりのあったデュッセルドルフの某パン工場からお声掛けをいただきアルバイトをすることになります。

というのも指導者としての仕事を始めたての頃は任せてもらえる仕事も少なく、時給10€で働く派遣社員みたいなものだったので、今見返すと平均月収は手取りで600€くらいしかなかったのです。日本円で月給75,000円くらいです。家賃やら生活費やらで給料全部なくなります。むしろ赤字です。なのでアルバイトせざるを得ない状況でした。

しかしまあ言ってはなんですがそこがなかなかブラックな職場環境でして、仕事内容は朝の2時から7時までパンの袋詰めの作業とその配達になります。まあこれはわかっていたのでいいのですが、本来シフトが入っていない日の前日の夜に急に仕事に来てくれなどの無茶振りや、ドイツ語が必要な工場長(日本人)のプライベートな手伝いなどわけのわからない残業をさせられてました。

ひどい時には仕事のない朝の5時半に電話がかかって来て、「配達用の車のバッテリーが上がってエンジンがかからへんから車で自宅に来てくれ。」と言われ、片道30分かけてわざわざジャンピングスタートだけをしにいったこともあります。そもそも近所のドイツ人に頼んでくれよっていう話なんですが。

まあその方は残念ながら20年以上ドイツには住んでいたと思うのですがドイツ語があまりできなかったようです。絶対にこんな自立できてない人にはならんとこうと強く思った出来事でした。

それでちゃんと給料が支払われていればまだいいのですが、ドイツにはミニジョブという月々450€までは無課税で給料をもらえるというアルバイト制度があります。当時は最低賃金が時給約9€だったので、ミニジョブ契約での50時間/月以上の労働は法律上禁止されていました。(今は少し最低賃金が上がりもう少し短い時間しか仕事をしてはいけなかったはず)

ですので雇用主としても450€以上の給料は月々に支払うことはできず、未払いがどんどん膨れ上がっていってました。いずれ労働時間が短い月で帳尻を合わすと言っていましたが労働時間はなかなかへらず溜まる一方でした。

この時の1日のスケジュールが

深夜〜早朝:パン工場
午前:語学学校
昼:睡眠(0.5〜1時間)
午後:柔道の指導
夜:自分の練習
練習後:睡眠(3~4時間)

みたいな感じで死ぬほど忙しかった記憶があります。こんな生活を一年くらいしてました。地獄です。自覚はないんですがだんだんメンタルがやられていって正常な判断ができなくなっていってたと思います。

働いても働いてもお金が増えることはなく、自分の時間ばかりがなくなっていきます。さらには仕事時間外でも呼び出され、給料の代わりに安い中華ビュッフェに連れて行かれそのご飯代で対価を支払われ、ただただ時間を浪費していくだけでした。

この時期には肝心の語学にも身が入らず本当に無駄な時間を過ごしてしまったと後悔しています。この無駄な時間に勉強や自分のためになる経験をしておけば給料以上の報酬があったかもしれないと。

しかしまあいくら悔やんでも時間はもどって来ないので、とにかく収入は減ってもこの仕事をやめてもう一度自分のすべきことを見直そうと思いました。自分がなぜドイツに残ったのか、これからまともな生活をするために何に集中するべきか。

自分の時間を切り売りすればもちろん給料はもらえますが、今回の場合何かスキルが身につくわけでもなく、自分のやりたいことでもなかったわけです。それどころか少しずつメンタルや健康を蝕んでいくことを考えると経済的観点からは大赤字です。

目先のお金に惑わされるのではなく、将来自分がなりたい自分、やりたい仕事をやるために今すべきことに時間を投資するべきです。

長期的な見通しを

最後に、やってよかったことの三つ目は客観的・長期的な戦略を立てたことです。

これまでは生活するために時間を切り売りしてきたわけですが、このままではいけないと思い、もう一度自分の人生設計を考え直しました。

そしてアルバイトを辞めてから立てた目標が以下になります。

目標:30歳までに柔道の指導だけで生活できるように月収3,000€以上(額面)
必須項目
⑴さらなるドイツ語能力の向上
⑵指導者Aライセンス取得
⑶競技スポーツの指導者としての経験・知識を増やす
⑷ドイツ柔道界での認知度の向上

考えた当時(27歳)は「これ達成できんのか?」と不安しかなかったです。笑
750€(←額面なので手取りでは600€くらい)から3000€まで給料4倍ってなかなかやなと思ってました。日本では普通に仕事してたら30歳くらいならもっともらってる人いっぱいいるんでしょうか?

ドイツにお住まいの方はわかるかもしれませんが駐在員ではなく現地採用で月に3000€稼ぐのは簡単ではありません。しかしまあ立ててしまったものはしょうがない。目標達成に向けて頑張るしかないのです。

それでは挙げた各必須項目につて説明します。

⑴さらなるドイツ語能力の向上

これは簡単です。自分の考えを正確に伝えるためのドイツ語能力が明らかに低かったのです。特に日本特有の柔道の考え方や捉え方を日本語以外で伝えるのは難しいです。選手に教えたいことを正しく理解してもらうため、そして自分の考えを他のドイツ人指導者に伝えるためにはドイツ語の上達が絶対条件でした。

この自分の考えや意見の発言はドイツでは非常に重要なことです。発言しなければ意見や考えのないやつというレッテルを貼られて、仕事は回してもらえません。

⑵指導者Aライセンス取得

自分は指導者を始めた時には中学校・高校の保健体育教員資格しかなく柔道の指導者としてのライセンスを持ち合わせていませんでした。ただ日本では中学校では武道が必修になっており大学では柔道の単位を取っていたことを考慮してもらい、指導者Bライセンスをもらいました。

ドイツではC→B→Aの順番でライセンスのレベルが上がり、それとともに就ける役職や給料も変わるという資格が絶対の社会です。

自分のできること、就ける仕事の幅を広げるために2年前にこのAライセンスを取得しています。今やっているNRW州代表監督もこの資格がないとできません。

ちなみに僕が今ケルンのアカデミーで勉強しているのはDip.Trainer(大学で専門の必要単位を取得した指導者)の資格のためです。これは指導者資格の最高位でナショナルコーチやそのチームの仕事に就くために必要な資格になります。

⑶競技スポーツの指導者としての経験・知識

これまでのJC71の仕事というのは主に生涯スポーツクラスに通う子供達の指導がほとんどだったので、競技スポーツの仕事を増やすために、競技スポーツコースの指導者の元で見学や補助、試合の引率など、ドイツの指導方法、専門用語の勉強などとにかくできることをやりました。

⑷ドイツ柔道界での認知度の向上

響きはあまり良くないかもしれませんがロビー活動的なやつです。いくら良い指導ができても認知されていなければ一向に状況は変わりません。積極的にいろんな先生と関わっていくことが重要になります。

幸運にも自分がついて一緒に仕事をしていた競技スポーツコースの先生はかつてドイツ柔道ブンデスリーガでも活躍していた元ナショナルチームの選手だったようでその方からいろんなドイツ国内の先生を紹介してもらい、顔と名前を知ってもらいました。

そしてそこからいろんな場所でワークショップに呼んでもらえたり、試合会場で顔をさされるようになったりして少しずつ認知度が上がっていったように思います。

今のNRW州での仕事もこういった活動が招いた結果だと言えます。


以上のように自分に足りないものを客観的に考え、立てた計画から逆算して自分を成長させていくことで見通しを持ってここ数年の人生を歩むことができました。もちろん全てが計算通りにはいきませんし、その都度修正はありました。

しかし、大きな道筋がわかっていれば少し道を外れてもすぐに軌道修正は可能です。逆に何も計画や目標を立てず行き当たりばったりな人生だと、自分がどこにいるのか、そしてどこに向かっているのかわからなくなります。

僕はおかげさまで30歳までの目標は概ね達成できました。

今後の目標

長期的な見通しを持つのはもちろん簡単なことではありませんが、苦労して考えた分その後の人生を楽にしてくれます。皆さんも今一度自分の目標や人生計画を考えてみてもいいかもしれませんね!

今後の目標はDip.Trainerの資格を取得しドイツのナショナルコーチとして2028年ないしは2032年のオリンピックでコーチをできればいいなと考えております。特に2032年はドイツのNRW州がオリンピック招致に向けて動いているみたいなのでとても楽しみです。


長々と文章を読んでいただき本当にありがとうございました。

それでは今回はこのへんで。

それまで。ではまた。

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