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母はすごかった。

今日、出掛ける時に

なぜかジーンとした。

いつ私に何かが起こっても、後悔ないように

玄関まで見送ってくれてるんだ。

そう思ったら、母すげー。って湧いてきたんだ。

ちょっとドアを使って変顔して見送ろうとしてくれて、サラリーマンが家の前を通るという ………。笑

その辺も含めて、じんわり心に来るものがあった。

その後に、悟さんがなぜ「ご縁」や「今」を大切に言うようになったのかというnoteを読んだ。

時が止まった感覚の中で読んでいた。

曲が1音も頭に入ってこない感覚だった。

人間観察を手放しては駄目だったんじゃないか、

私は手放した人間関係を大切にできてなかったのか、

私は人を亡くした経験が大きくないから人を大切にできないのか、

少し自分を責める声も聞こえる。

そんな時に、「寂しくても自分はその寂しさを埋めるために動いたのは事実だよね」って言葉を拾った。

そしたらまた母の変顔して見送ろうとした気持ちに泣ケテキタ。

きっと母も、私も、家族も、友だちも、大好きな人たちも、

いつ明日が来なくなるかなんて分からないんだよな

この大きくなり過ぎたアタマでは分かってるつもりなんだよ。

だけど、全然わからない。

でも、分かってないことを責めるほど無駄なこともないよな。

分かんないんだもん、責められても分かるようにはならんよ。

でも、やっぱり

…明日が来なかったら、そんな言動してないよなってことばかりが思い出される。

でも、愛を感じて伝えるチカラは絶対にある。私。

今夜は、満月🌕

全国の神社が15時頃に一斉にお祓いをする尊い日。

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