4. 「面白い」と「楽しい」は違うぞ

 何かいい映画を見たときや、ゲームをプレイしたとき、たまたまジャケ買いした漫画でゲラゲラ笑ったとき、きっと君は「この映画、"面白い"」「このゲーム、"面白い"」「この漫画、"面白い"」って言うだろう。でも、たいていの場合、君の言う"面白い"は"面白い"のではない。

それは"楽しい"なのだ。

 でも、君はこう思うだろう。
「"面白い"も"楽しいも"同じことやんけ。細かいことうるさいわ。」
 いや、でもこれ、ゲームクリエイターにとってはとても大きな問題なんだ。一方で、映画やアニメのクリエイターにとっては、"面白い"と"楽しい"はそこまで大きな問題じゃない場合も多いと思う。何が違うのだろうか?
 最も大きく根本的な違いは、「ゲームは、客が主体的に楽しむことを前提としたメディア/エンタメである」という点である。もちろん、映画やアニメも、主体的な鑑賞方法を身に着けている人もいるだろうけど、ほとんどのお客さんはただ見せられる映像を見て、楽しむ。しかし、ゲームの場合は、ただ「映像を見て楽しむ」という楽しみ方は前提としていない(*1)。ゲームは、必ず客が自ら「プレイヤー」となって主体的に行動を起こさなければ、楽しむことができないエンタメである。

 このゲームというメディアの特性によって、"面白い"≠"楽しい"が重大な問題となる。かなり感覚的な話なので説明が難しいのだが、私は以下のように定義している。

楽しい…刹那的なもの。本能的なもの。脊髄反射的に感じる快楽。感情。
面白い…奥深いもの。噛めば噛むほど味が出るもの。思考。理性。

 この違い、受け身のメディアだったらそもそも鑑賞スタイルの違いによるもの、としてあまり違いを気にする必要もない。と言うか"面白い"が"楽しい"と同じ意味を示す場合が多い。なぜかって?だって、映画だったらせいぜい2時間、椅子に座らせとけばよいのだから。奥深くなくても、楽しければ2時間持たせることはできる。よっぽどのクソ映画でもない限り、"楽しい"だけの作品でも途中で飽きることはない。
 しかし、ゲームはそうはいかない。基本的にゲームは「繰り返し」のメディアだ。同じことを何十時間も繰り返しプレイさせないといけない。そう。単に1作を遊ぶのに必要な時間が長いだけではなく、繰り返し遊ばせないといけないのだ。多少の差異があれ、同じことをやり続けさせるには、プレイヤーに相当のモチベーションを維持させ続けなければならない。

 例えば、アクションゲーム。とてもスムーズで爽快感があるアクションゲームで、"触ってるだけで気持ちいい"と呼ばれるようなアクションゲームがあるとしよう。敵を倒せばド派手なエフェクトが出るし、心地よいSEが鳴る。プレイヤーキャラクタもストレスなく、プレイヤーの思い通りに動いてくれる。……このゲームは、間違いなく"楽しい"ゲームだ。
 しかし、それだけでは"面白い"ゲームにはならない。と言うか、ゲームとして成立しない。
 想像してみよう。どんな敵も、同じように攻撃をしてくる。攻略方法はいつも1つ。敵に近づく→ボタン連打→逃げる→また近づく…の無限ループ。敵を倒した、と思って先に進むと、また敵が現れる。敵が現れる→ボタン連打で倒す→移動する→また敵が現れる…と言った無限ループが続くだけのステージ……だとしたら、そのゲームは面白いのだろうか?君はそのゲームを10時間も20時間も、もしくは200時間もプレイするだろうか?そもそも、君はそのゲームを買うだろうか?
 よしんば購入してプレイしたとしても、途中で絶対飽きるよね(*2)。せめて、敵ごとに攻略法が違うとか、そういう変化は欲しくなってくる。つまり、「そういう変化にどう対処していくか」を考え、実際に試行錯誤しながら実践し、クリアする過程が"面白い"のだ。

 ただ、一点だけ"楽しい"と"面白い"の共通点があるとしたら、クリアした瞬間は"面白い"と同時に"楽しい"という感情が沸き起こるのだ。しかも、その"楽しい"という感情のほうが大きかったりする。"面白い"のうち"一瞬の面白さ"を切り取ったものが"楽しい"ものなのだ、と考えたほうが正しいのだ。言い換えるならば、"楽しさ"を積み重ねて"面白さ"につなげていく=「面白さには楽しさが必要」なのだ。

 だから、ゲームクリエイターが"楽しい"と"面白い"をはき違えると、結構悲惨なことになる。自分が今作ろうとしているのは、"楽しさ"なのか、"面白さ"を作っているのか、分からなくなってしまう。
 "面白さ"を求めて試行錯誤しているときに、アイデアの1つを試してみたら"面白かった"ときは要注意だ。それはたいてい、"面白さ"ではなく単なる"楽しさ"に過ぎないことがある。いかんせん楽しいから、そのアイデアに固執してしまう。その"楽しい"アイデアをブラッシュアップし続け、"楽しいだけ"のゲームが出来上がっていく。そうして数か月たった頃改めてゲーム全体を見渡してみると、「なんかこのゲームつまらなくね?」って気が付いてしまう。なんとなく触ってて感じた"楽しい"という感想を、より広い"面白い"という概念で捉えてしまったことによる悲劇である。
 とはいえ、「楽しくない」と思った瞬間にプレイヤーはゲームを止めてしまう可能性があるので、面白さを求めすぎて楽しさを軽視してしまうのも問題だ。楽しくないゲームを作ってしまう悲劇は防がなければならないが、「面白さにつながる楽しさを作ろう」と、面白さを細分化して楽しさを作っていく考え方で作っていけば、すべての楽しさは面白さがつながっていき、企画ごと崩れるような状況にはならないはず。

 というか、ぶっちゃけこの"楽しさ"と"面白さ"の違いってゲームに限らず、受け身のメディアでも関係するのよね。
 映画の例だと、一回の視聴時間はどんなに長くても2時間~3時間程度だし、初期投資は0円だし、一回1800円(*3)だから、"楽しい"一辺倒の作品でもユーザーに受け入れられやすい。しかし、ロングセラーや大ヒット作は何度も楽しんでもらえるよう、"面白さ"も仕込んである。
 例えば、マッドマックス。100%受け身の干渉をするなら「爆音!車!!V8!!!」って感じで「楽しー!!!!」なのだが、一方で考えながら分析的に鑑賞すると、「なるほど、面白いっ…!」って感じる(以下参考)。

そういうわけで、「楽しい」と「面白い」は全く違う概念であり、しかしつながっているので、「面白さにつながる楽しさを作ろう」という話でした。

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*1…最近では配信/実況によるゲームの楽しみ方も一般化してきたが、「映像を見るだけ」の人たちはゲーム会社にお金をもたらしていないので、そもそも「お客様」ではない。誤解を恐れずに言うと、あくまで視聴者は「実況者のエゴを満たすための装置」とでも言うべき位置づけだ。
*2…みんな想い出補正で忘れてるだろうが、FFCCのボス戦は殴っては逃げ、殴っては逃げの繰り返しだった。どのボスもヒットランドランを繰り返していると勝てるのだ(FFCCはマルチプレイでがったい攻撃ができる、という「楽しさ」に振り切ったゲームだ)。
*3…TOHOシネマズは最近1900円に値上げしたと思う。

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