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「韓非子」説林下 (26)

「韓非子」説林下 (26)

【書き下し文】
管仲鮑叔 相ひ謂ひて曰く、君(※1)の乱甚(はなはだ)し。必ず国を失はん。斉国の諸公子、其の輔(たす)く可き者は、公子糾に非ずんば則ち小白(※2)なり。子と人(ひとびと)一人に事(つか)へん。先づ達する者は相ひ収めん、と。
管仲乃ち公子糾に従ひ、鮑叔小白に従ふ。
国人果たして君を弑す。
小白先づ入りて君と為る。
魯人 管仲を拘して之を効(いた)す。鮑叔言ひて之を相とす。
故に諺に曰く、巫咸(ふかん)善く祝すと雖も、自ら祓ふ能はず。秦医(※3)善く除(をさ)む(※4)と雖も、自ら弾ずる(※5)能はざるなり、と。
管仲の聖を以てして、而かも鮑叔の助を待つ。此れ鄙諺(ひげん)に所謂虜(※6)自ら裘(きゅう)を売りて售(う)れず。士自ら弁を誉めて信ぜられざる者なり。


【現代語訳】
管仲と鮑叔が相談して言った。「ご主君の乱行はひどいものだ。必ずや国を失ってしまうだろう。斉国の公子のうち、補佐すべきは公子糾様か小白様だろう。我らはそれぞれ別々にひとりに仕えよう。そして先に成功した者がもう一方を助けよう」と。
こうして管仲は公子糾に従い、鮑叔は小白の従った。
その後、斉国の人が君主を殺した。
小白が先に入国して君主になった。
魯の人が管仲を捕らえて斉へ引き渡した。鮑叔が取りなして管仲を宰相にした。
諺に「巫咸の祈祷はよく効いたが、自分への禍を祓うことはできなかった。秦の医師は病をよく取り除いたが、自分の病を取り除くことはできなかった」と。
管仲ほどの賢者でも鮑叔の助けが必要であったのだ。
これが世の諺に言う「俘虜が自分で皮衣を売ろうとしても売れず、士人が自分で自分の弁舌を褒めても信用されない」ということである。


※1 君は斉の襄公のこと。酒に溺れ、淫乱であったという。
※2 小白は桓公の名。
※3 秦医とは扁鵲を指す。名医。
※4 除は病を治すこと。
※5 弾は治療用の石針で刺すこと。
※6 虜は俘虜。盗んだものを売ろうとするので誰も買わない、という解釈。また、北夷であるとする説もある。裘の産地。匈奴に対する信用が無いので直接は買わない。

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