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「韓非子」説林下【完成版・一気読み】

「韓非子」説林下

1)
【原文】
伯樂敎二人相踶馬。相與之簡子廏觀馬。一人擧踶馬。其一人從後而循之。三撫其尻而馬不踶。此自以爲失相。其一人曰。子非失相也。此其爲馬也。踒肩而腫膝。夫踶馬也者。擧後而任前。腫膝不可任也。故後不擧。子巧於相踶馬。而拙於任腫膝。夫事有所必歸。而以有所腫膝而不任。智者之所獨知也。惠子曰。置猿於柙中。則與豚同。故勢不便。非所以逞能也。

【書き下し文】
伯楽(※1) 二人に踶馬(ていば)を相(そう)するを教ふ。
相ひ与(とも)に簡子(※2)の厩に之(ゆ)きて馬を観る。
一人 踶馬を挙げ、其の一人 後に従ひて之に循(したが)ふ。三たび其の尻を撫すれども馬 踶せず。此れ自ら以て相を失へりと為す。
其の一人曰く、子 相を失へるに非(あら)ず。此れ其の馬為(た)るや、踒肩(わけん)(※3)にして腫膝(しょうしつ)。夫れ踶馬なる者は、後を挙げて前に任ず。腫膝は任ず可からざるなり。故に後 挙がらず。子、踶馬を相するに巧なれども、腫膝に任ずるに拙し、と。
夫れ事は必ず帰する所有り。而かも腫膝する所有るを以て任ぜず。智者の独り知る所なり。
恵子(※4)曰く、猿を柙中(こうちゅう)に置けば、則ち豚と同じ、と。
故に勢の便ならざるは、能を逞しくする所以に非(あら)ざるなり。

【現代語訳】
伯楽が二人に跳ね馬の見分け方を教えた。二人は簡子の厩へ行き、馬を観察した。
一人がある馬を跳ね馬だと指摘した。もう一人が後ろからついて行った。馬の尻を三度撫でてみたが、馬は跳ねない。そこで指摘した一人が自分から見分け方を間違えたと認めた。
もう一人が言った。「君は見分け方を間違えたのではない。その馬は前脚の付け根が小さく、膝が腫れている。跳ね馬とは後脚を蹴り上げて前脚で支えるものだ。だが膝が腫れているので支えられないのだ。だから後脚が上がらなかった。君は跳ね馬を見分けるのはうまいが、膝が腫れているのを見逃したのだ」と。
物事には必ず要点というものがある。しかし馬の膝に腫れがあるのを見逃した。このような要点に気づけるのは智者のみである。
恵子は言った。猿を檻の中に入れてしまったのでは、豚も同然である、と。
だから周囲の情勢が不利であれば、能力を充分に発揮できないのである。

※1 伯楽は晋の大夫で郵無恤。伯楽は字。馬の鑑定に優れ、晋の重臣である趙簡子の御者を務めた。王良のことであるとされる。また、秦の穆公の臣であるとする説もある。
※2 簡子は晋の卿の趙簡子。趙襄子の父。
※3 踒肩の踒は足の骨折や捻挫のこと。
※4 恵子は恵施。魏の大臣で、「荘子」にも登場する弁論家。


2)
【原文】
衞將軍文子見曾子。曾子不起。而延於坐席。正身於奧。文子謂其御曰。曾子愚人也哉。以我爲君子也。君子安可毋敬也。以我爲暴人也。暴人安可侮也。曾子不僇命也。

【書き下し文】
衛の将軍文子 曾子を見る。曾子起たずして、坐席に延(ひ)き、身を奥(※3)に正す。
文子 其の御に謂ひて曰く、曾子は愚人なるかな。我を以て君子と為さんか。君子安(いづく)んぞ敬する毋(な)かる可けんや。我を以て暴人と為さんか。暴人安(いづく)んぞ侮る可けんや。曾子 僇(りく)(※4)せられずんば命(さいは)ひ、と。

【現代語訳】
衛の将軍の文子が曾子に会いに行った。曾子は立ち上がらず、席に案内させ、自身は奥の部屋で身を正していた。
文子は御者に言った。「曾子は愚人だな。私を君子と認めるなら、敬うだろう。乱暴者と認めるなら、侮ることなどできないだろう。曾子が恥辱を受けずに済めば幸いだ」と。

※1 文子は衛の大夫で公孫彌牟(びぼう)。
※2 曾子は孔子の弟子で、名は参(しん)。
※3 奥は室の西南隅。鬼神を祭る神聖な場所。
※4 僇は辱め。恥辱。


3)
【原文】
鳥有翢翢者。重首而屈尾。將欲飲於河。則必顚。乃銜其羽而飲之。人之所有飲不足者。不可不索其羽也。

【書き下し文】
鳥 翢翢(とうとう)(※1)といふ者有り。重首にして屈尾。将(まさ)に河に飲まんと欲せば、則ち必ず顚(てん)す。乃ち其の羽を銜(ふく)みて之を飲ましむ。
人の飲むに足らざる有る所の者は、其の羽(※2)を索めざる可からざるなり。

【現代語訳】
翢翢という鳥がいる。頭が大きく尾が曲がっている。河で水を飲もうとすると、必ず前のめって倒れる。そこで別の鳥がその羽を咥えて支え、飲ませる。
人も同じで、自分の力で飲めないようなことがあれば、羽を咥えて支えてくれる味方を探し求めなければならない。

※1 翢翢(とうとう)は一羽で河の水を飲もうとすると必ず転倒してしまうので、二羽ひと組となり、一方が他方の羽を咥えて支えて飲ませるのである。
※2 羽は友の誤りとする。


4)
【原文】
鱣似蛇。蠶似蠋。人見蛇則驚駭。見蠋則毛起。漁者持鱣。婦人拾蠶。利之所在。皆爲賁諸。

【書き下し文】
鱣(せん)(※1)は蛇に似、蚕(さん)は蠋(しょく)に似たり。
人 蛇を見れば則ち驚駭(きょうがい)し、蠋を見れば則ち毛起す。漁者 鱣を持し、婦人 蚕を拾ふ。
利の在る所、皆な賁諸(ほんしょ)(※2)と為る。

【現代語訳】
鰻は蛇に似ているし、蚕は芋虫に似ている。
人は蛇を見れば驚くし、芋虫を見れば身の毛がよだつ。しかし漁師は鰻を素手で握り、婦人は蚕を素手でつまむ。
利益があるとなれば、皆、孟賁や専諸のような勇者となるのだ。

※1 鱣は鰻。たうなぎ(田鰻)、うつぼ、ヨウスコウアリゲーター、チョウザメなど、様々な意味を持つが、ここは蛇に似た鰻や田鰻が適当。
※2 賁諸は孟賁と專諸のこと。孟賁は衛の人。專諸は呉の人。どちらも古の勇士。


5)
【原文】
伯樂敎其所懀者。相千里之馬。敎其所愛者。相駑馬。千里之馬時一。其利緩。駑馬日售。其利急。此周書所謂下言而上用者惑也。

【書き下し文】
伯楽 其の憎む所の者に、千里の馬を相するを教へ、其の愛する所の者に、駑馬を相するを教ふ。
千里の馬は時に一あるのみ。其の利 緩なり。駑馬は日びに售(う)れ、其の利 急なり。
此れ周書(※1)に所謂下言(かげん)にして上用する者 惑(※2)なり。

【現代語訳】
伯楽は気に入らない者には千里を駆ける駿馬の見分け方を教え、お気に入りの者には並の馬の見分け方を教えた。
千里の馬はたまに一頭見つかる程度なので、利益はそれほど得られない。並の馬は毎日取引されるので、利益を頻繁に得られる。
これこそが周書に言う、低俗な内容だが応用は広く役に立つ、ということである。

※1 周書は蘇秦が読んだ「周書陰符」であろうという説がある。
※2 惑は衍文(誤って紛れ込んだ余分な文字)だとされる。


6)
【原文】
桓赫曰。刻削之道。鼻莫如大。目莫如小。鼻大可小。小不可大也。目小可大。大不可小也。擧事亦然。爲其不可復者也。則事寡敗矣。

【書き下し文】
桓赫曰く、刻削(こくさく)(※1)の道、鼻は大に如(し)くは莫く、目は小に如(し)くは莫し。鼻大なるは小にす可し。小なるは大にす可からざればなり。目小なるは大にす可し。大なるは小にす可からざればなり、と。
事を挙ぐるも亦然り。其の復(ふたた)びす可からざる者の為にせば、則ち事敗るる寡なし。

【現代語訳】
桓赫が言った。「人形を削って作る時は、鼻は大きめに作るのがよく、目は小さめに作るのがよい。鼻が大きい場合には削って小さくすることができるが、小さいのを大きくすることはできない。目が小さい場合には削って大きくすることができるが、大きいのを小さくすることはできない」と。
物事を行う際にもまた同じである。やり直しのきかないことにしっかり備えていれば、失敗することも少ない。

※1 刻削は偶像を彫ること。


7)
【原文】
崇侯惡來。知不適紂之誅也。而不見武王之滅之也。比干子胥。知其君之必亡也。而不知身之死也。故曰。崇侯惡來。知心而不知事。比干子胥。知事而不知心。聖人其備矣。

【書き下し文】
崇侯悪来(しゅうこう・おらい)(※1)は、紂の誅 適(あ)はざるを知りて、武王の之を滅すを見ず。
比干子胥(※2)は、其の君の必ず亡ぶるを知りて、身の死するを知らず。
故に曰く、崇侯悪来は、心を知りて事を知らず。比干子胥は、事を知りて心を知らず、と。
聖人は其れ備はる。

【現代語訳】
崇侯と悪来は、自分が紂王に罰せられないことを知っていたが、武王によって攻め滅ぼされようとは気づかなかった。比干と子胥は自分の君主が滅びることを知っていたが、自分自身が死ぬことには気づかなかった。
崇侯と悪来は人の心を知って、事の形勢を知らなかった。比干と子胥は事の形勢を知って、人の心を知らなかった。
しかし聖人であれば、両方とも知る能力を兼ね備えている。

※1 崇侯と悪来は、共に紂王に媚び諂う姦臣。
※2 比干は紂王の諫臣で、紂王に殺された。子胥は呉王闔閭と子の夫差に仕えた名臣。諫言により殺された。


8)
【原文】
宋太宰貴而主斷。季子將見宋君。梁子聞之曰。語必可與太宰三坐乎。不然將不免。季子因說以貴主而輕國。

【書き下し文】
宋の太宰 貴くして断を主(つかさど)る。季子 将(まさ)に宋君を見んとす。
梁子 之を聞きて曰く、語らば必ず太宰と三坐(※1)す可し。然らずんば将(まさ)に免れざらんとす、と。
季子 因(よ)りて説くに 主 貴びて国を軽んずるを以てす。

【現代語訳】
宋の宰相は身分が高く政治を専断していた。季子が宋の君に見(まみ)えることになった。
梁子がこれを聞いて言った。「宋の君に話をするときは必ず宰相も同席させるべきです。そうでないと禍を免れられないでしょう」と。
そこで季子は宋の君に対して、命を大切にして国政を軽視するよう説いた。

※1 ここでの三坐という意味は、宋君と太宰と季子との三名が相い座することをいう。


9)
【原文】
楊朱之弟楊布。衣素衣而出。天雨。解素衣。衣緇衣而反。其狗不知而吠之。楊布怒將擊之。楊朱曰。子毋擊也。子亦猶是。曩者使女狗白而往。黑而來。子豈能毋怪哉。

【書き下し文】
楊朱(※1)の弟 楊布、素衣を衣(き)て出づ。天 雨ふる。素衣を解き、緇衣(しい)(※2)を衣(き)て反(かへ)る。
其の狗 知らずして之に吠ゆ。楊布怒りて将(まさ)に之を撃たんとす。
楊朱曰く、子 撃つ毋(なか)れ。子も亦た是くの猶(ごと)くならん。曩(さき)に女(なんぢ)の狗をして白くして往き、黒くして来(きた)らしめば、子 豈(あ)に能(よ)く怪しむ毋(なか)らんや、と。

【現代語訳】
楊朱の弟の楊布は、白い衣を着て出かけた。すると雨が降り、濡れてしまったので白い衣を脱ぎ、黒い衣を着て帰った。
飼い犬が気づかずに吠えた。楊布は怒って犬を殴ろうとした。
楊朱が言った。「お前、殴ってはいけない。お前だって同じだろう。もしお前の飼い犬が白い色で出かけ、黒い色になって帰ってきたなら、お前だって怪しまずにはいられないだろう」と。

※1 楊子、名を朱、字を子居。
※2 緇衣の緇は黒色。


10)
【原文】
惠子曰。羿執鞅持扞。操弓關機。越人爭爲持的。弱子扞弓。慈母入室閉戶。故曰。可必則越人不疑羿。不可必則慈母逃弱子。

【書き下し文】
恵子曰く、羿(げい)(※1) 玦(けつ)(※2)を執り扞(かん)(※3)を持し、弓を操りて機を関(※4)せば、越人も争ひて為に的を持たん。
弱子 弓を扞(ひ)かば、慈母も室に入りて戸を閉ぢん。
故に曰く、必(ひつ)す可くんば則ち越人も羿を疑はず。必(ひつ)す可からずんば則ち慈母も弱子を逃る、と。

【現代語訳】
恵子が言った。「弓の名手である羿が弓懸(ゆがけ)をはめ、弓籠手(ゆごて)をつけ、弓をとって弓筈(ゆはず)を引く時は、越の人でさえ争って的を持つだろう。
幼い子供が弓を引けば、優しい母でさえ家に逃げ込み戸を閉めるだろう」と。
だから言うのだ。必ず的に当たると分かれば越の人でさえ羿を疑わないが、どこに当たるか分からなければ、優しい母でさえ幼い子供から逃げるものだ、と。

※1 羿は伝説上の弓の名手。
※2 原文では鞅だが、玦の誤りとする。射る者が右手の親指にはめるもの。
※3 扞は左手に着けて袖を収納するためのもの。
※4 関は彎に通じ、弓を引くこと。


11)
【原文】
桓公問管仲。富有涯乎。答曰。水之以涯。其無水者也。富之以涯。其富已足者也。人不能自止於足。而亡其富之涯乎。

【書き下し文】
桓公 管仲に問ふ。富 涯(かぎり)有るか、と。
答へて曰く、水の涯(かぎり)以(た)る、其の水無き者なり。富の涯(かぎり)以(た)る、其の富已に足る者なり。人 自ら足るに止(とど)まる能(あた)はず。而して亡(むし)ろ其れ富の涯(かぎり)あらんや、と。

【現代語訳】
桓公が管仲に問うた。「富に限りはあるだろうか」と。
管仲は答えて言った。「水の際限は、その水面より上の水が無くなる所です。富の際限は、富に充分満足した時です。しかし人は自分で満足だといって止まることができません。ということは、むしろ富に限りなどありましょうや」と。


12)
【原文】
宋之富賈有監止子者。與人爭買百金之璞玉。因佯失而毀之。負其百金。而理其毀瑕。得千鎰焉。事有擧之而有敗。而賢其毋擧之者。負之時也。

【書き下し文】
宋の富賈に監止子といふ者有り。人と争(きそ)ひて百金の璞玉を買ふ。因(よ)りて佯(いつわ)り失して之を毀(こぼ)ち、其の百金を負(つぐな)ふ。而して其の毀瑕(きか)を理して千鎰を得たり。
事 之を挙げて敗るる有り、而も其の之を挙ぐる毋(な)きに賢(まさ)るといふ者有り。負の時なり。

【現代語訳】
宋の豪商で監止子という者がいた。人と競争して百金の璞玉を買おうとしたが、わざとしくじったふりをして璞玉を傷をつけ、百金をもって償った。そしてその傷を修復して千鎰で売った。
物事には、行動して失敗することがあるが、行動せずにいるより勝ることがある。失敗の償いをした時である。


13)
【原文】
有欲以御見荊王者。衆騶妒之。因曰臣能撽鹿見王。王爲御不及鹿。自御及之。王善其御也。乃言衆騶妒之。

【書き下し文】
御を以て荊王に見(まみ)えんと欲する者有り。衆騶(しゅうすう)(※1)之を妒(ねた)む。
因(よ)りて臣能く鹿を撽(う)(※2)つと曰ひて王に見(まみ)えたり。王 為に御して鹿に及ばず。自ら御して之に及ぶ。
王の其の御を善するや、乃ち衆騶の之を妒(ねた)むを言へり。

【現代語訳】
馬を御するのが得意な者が楚王に目通りを願った。他の多くの御者が彼を妬んだ。
そこで彼は「私は鹿を捕えるのが得意です」と言って王に謁見した。王が馬を御してみたが鹿には追いつかない。しかし彼が御すると鹿に追いついた。
王が彼の御する能力を認めてから、他の多くの御者が自分を妬んでいることを王に告げた。

※1 騶は御者。
※2 撽は徼に通じ、遮ること。遮って撃ちとる。


14)
【原文】
荊令公子將伐陳。丈人送之曰。晉彊。不可不愼也。公子曰。丈人奚患。吾爲丈人破晉。丈人曰。可。吾方盧陳南門之外。公子曰。是何也。曰。我笑句踐也。爲人之如是其易也已。獨何爲密密十年難乎。

【書き下し文】
荊 公子に令して将(まさ)に陳(※1)を伐たんとす。丈人(じょうじん)(※2)之を送りて曰く、晋は強し。慎まざる可からず、と。公子曰く、丈人奚ぞ患(うれ)へん。吾れ丈人の為に晋を破らん、と。
丈人曰く、可。吾、方(まさ)に陳の南門の外に盧(ろ)(※3)せん、と。公子曰く、是れ何ぞや、と。
曰く、我 句踐を笑ふなり。人為(た)るの是くの如く其れ易くば、独り何ぞ密密十年の難きを為さんや、と。

【現代語訳】
楚は公子に命じて陳を伐とうとした。長老が見送って言った。「晋は強い。慎重になさいませ」と。公子が答えた。「長老、心配はいりません。私があなたのために晋を破って参りましょう」と。
長老は言った。「よろしい。では私は陳の南門の外に喪屋を作りましょう」と。公子は言った。「何故ですか」と。
長老は答えた。「私は越王句践を笑いましょう。人として敵を伐ち破るのがそのように容易いのなら、ひとり何故密かに十年も苦労したのでしょうか」と。

※1 陳は小国だが、その後ろ立てとして大国の晋が控えている。
※2 杖人は杖をついた人で、老人を意味する。
※3 盧は廬で、小屋。晋を軽んじ攻めた結果、敗走するであろう楚軍を弔うために喪屋を作っておこう、と皮肉っているのである。


15)
【原文】
堯以天下讓許由。許由逃之。舍於家人。家人藏其皮冠。夫弃天下。而家人藏其皮冠。是不知許由者也。

【書き下し文】
堯 天下を以て許由に譲る。許由 之を逃る。家人に舎(※1)す。
家人 其の皮冠を蔵(かく)せり。
夫(そ)れ天下を弃(す)てて、家人 其の皮冠を蔵す。
是れ許由を知らざる者なり。

【現代語訳】
堯は天下を許由に譲ろうとした。許由は断って逃げ、民家で休ませてもらった。
その家の者が許由に盗まれるのを恐れて皮の冠を隠した。
許由という人物を全く知らないからである。

※1 舎は休息すること。


16)
【原文】
三虱相與訟。一虱過之曰。訟者奚說。三虱曰。爭肥饒之地。一虱曰。若亦不患臘之至。而茅之燥耳。若又奚患。於是乃相與聚。嘬其母而食之。彘臞。人乃弗殺。

【書き下し文】
三虱(しつ)相ひ与(とも)に訟(あらそ)ふ。
一虱 之に過(よ)ぎりて曰く、訟(あらそ)ふる者は奚(なに)の説ぞ、と。
三虱曰く、肥饒(ひじょう)の地を争ふなり、と。
一虱曰く、若(なんぢ)亦た臘(ろう)(※1)の至りて、茅の燥(や)くる(※2)を患へざるか。若(なんぢ)又た奚(なん)ぞ患ふる、と。
是に於て乃ち相ひ与(とも)に聚(あつまり)て、其の母を嘬(さい)して之を食ふ。
彘(いのこ)臞(や)せたり。人乃ち殺さず。

【現代語訳】
三匹の虱が言い争いをしていた。
そこへもう一匹が通りかかって言った。「何の話で言い争っているのか」と。
三匹は言った。「豚の一番旨いところを争っているのだ」と。
そこで一匹が言った。「君たちは臘祭が来て、茅が焚かれることを心配しないのか。君たちは他に何の心配をするというのだね」と。
そこで皆な一緒に集まり、豚の身をかじって血を吸った。
豚は痩せてしまった。臘祭になっても人は豚を殺さなかった。

※1 臘は祭りの名。
※2 臘祭のとき、茅を焚いて彘の毛を焼き、その彘を丸焼きにして食った。


17)
【原文】
蟲有蚘者。一身兩口。爭食相齕也。遂相殺。因自殺。人臣之爭事而亡其國者。皆蚘類也。

【書き下し文】
蟲に蚘(かい)といふ者有り。一身両口。争ひて相ひ齕(か)む。遂に相ひ食ひ、因(よ)りて自ら殺す。
人臣の事を争ひて其の国を亡す者、皆な蚘(かい)の類なり。

【現代語訳】
虫に蚘(かい)というのがいる。体は一つで、口は二つ。争って口同士が噛み合い、しまいには殺しあって、自殺してしまう。
臣下が互いに争って自国を滅ぼしてしまうのは、皆な蚘の類である。


18)
【原文】
宮有堊。器有滌。則潔矣。行身亦然。無滌堊之地則寡非矣。

【書き下し文】
宮に堊(あく)(※1)有り。器に滌(でき)(※2)有らば、則ち潔し。
身を行ふも亦た然り。滌堊の地無ければ則ち非寡(すく)なし。

【現代語訳】
住居は白く塗り、器は洗浄してきれいになる。
人の行いも亦た然り。普段から白土を塗ったり洗ったりするところが無いようにすれば、その身に過ちも少ないであろう。

※1 堊は亞であり、次を意味する。先に泥状にして、白灰で飾る。
※2 滌は洗うこと。


19)
【原文】
公子糾將爲亂。桓公使使者視之。使者報曰。笑不樂。視不見。必爲亂。乃使魯人殺之。

【書き下し文】
公子糾(きゅう)(※1)、将(まさ)に乱を為さんとす。桓公 使者をして之を視しむ。
使者 報じて曰く、笑へども楽しまず。視れども見ず。必ず乱を為さん、と。
乃ち魯人をして之を殺さしむ。

【現代語訳】
斉の公子である糾が反乱を起こそうとした。桓公は使者に偵察させた。
使者は報告して言った。「糾は笑っていても本心では楽しんでおらず、物を見ていても目に入ってはいません。必ず反乱を起こすでしょう」と。
そこで桓公は魯の人を使って殺させた。

※1 公子糾は斉の桓公の兄。公孫無知の乱により、公子糾は魯に出奔し、桓公は莒に出奔した。そして共に斉に戻って即位するのを争ったのである。このとき、斉桓公を支たのが鮑叔、公子糾を支たのが管仲であり、桓公が勝利し、桓公に捕らえられた管仲を用いるよう推挙したのが鮑叔である。


20)
【原文】
公孫弘斷髮而爲越王騎。公孫喜使人絕之曰。吾不與子爲昆弟矣。公孫弘曰。我斷髮。子斷頸而爲人用兵。我將曰子何?周南之戰。公孫喜死焉。

【書き下し文】
公孫弘 髪を断ちて越王の騎と為る。
公孫喜 人をして之と絶たしめて曰く、吾れ子と昆弟(こんてい)為(た)らじ、と。
公孫弘曰く、我は髪を断つのみ。子は頸を断ちて人の為に兵を用ふ。我、将(まさ)に子を何とか曰はん、と。
周南の戦、公孫喜死せり(※1)。

【現代語訳】
公孫弘は髪を切って(越の風俗に合わせて)越王の騎将となった。
同族の公孫喜が使いを出して絶縁を伝えて言った。「もはや私とお前とは兄弟ではない」と。
公孫弘は言った。「私は髪を切っただけだ。そなたは負け戦で自分の首を切られてしまっても人の為に戦うのだ。私はそなたに何と言ってやればいいだろう」と。
のちに周南の戦いで公孫喜は死んだ。

※1 「史記」韓世家。韓の釐王(僖王)三年、公孫喜が周と魏の軍を率いて秦を攻めたが、秦の将軍白起に敗れた。二十四万の首級とともに、公孫喜も捕縛された。伊闕の戦い。


21)
【原文】
有與悍者鄰。欲賣宅而避之。人曰。是其貫將滿也。遂去之。或曰。物之矣。子姑待之。答曰。吾恐其以我滿貫也。遂去。故曰。物之幾者非所靡也。

【書き下し文】
悍者(かんしゃ)(※1)と隣するもの有り。宅を売りて之を避けんと欲す。
人曰く、是れ其の貫(※2) 将(まさ)に満たんとす、と。遂に之を去る。
或る人曰く、之(ゆ)く勿れ。子 姑(しばら)く之を待て、と。
答へて曰く、吾れ其れ我を以て貫を満たさんを恐る、と。遂に去る。
故に曰く、物の幾は靡(び)にすべき所に非ざるなり。

【現代語訳】
乱暴者と隣同士になった者がいた。家を売って難を避けようとした。
ある人が言った。「あの男の悪事ももうじき年貢の納め時になるだろう。もう少し待ってみてはどうか」と。
答えて言った。「私は私への悪事をもってして年貢の納め時になることを恐れているのだ」と。そして去った。
だから言うのだ。物事には時機というものがあり、ぐずぐずしていてはいけないのだ、と。

※1 悍者は乱暴者。
※2 貫は銭を通す縄。銭を通す縄がいっぱいになることに喩えて、悪事をたくさん行い、極めること。貫盈。悪事を極めればじきに天罰がくだるのだという。
※3 靡はゆっくりすること。


22)
【原文】
孔子謂弟子曰。孰能導子西之釣名也。子貢曰。賜也能。乃導之。不復疑也。孔子曰。寬哉。不被於利。絜哉。民性有恆。曲爲曲。直爲直。孔子曰。子西不免。白公之難。子西死焉。故曰。直於行者曲於欲。

【書き下し文】
孔子 弟子に謂ひて曰く、孰(たれ)か能(よ)く子西(※1)の名を釣る(※2)を導く(※3)ものぞ、と。
子貢(※4)曰く、賜(し)や能(よ)くせん、と。
乃ち之を導く。復(ま)た疑はず。
孔子曰く、寛なるかな。利に被らず、絜(けつ)(※5)なるかな。民性 恒(つね)有り。曲を曲と為し、直を直と為す。(※6)子西免れじ、と。
白公の難に、子西死せり。
故に曰く、行に直(なお)き者は欲に曲がる、と。

【現代語訳】
孔子が弟子に言った。「誰か子西が自分の名声を高めて得ようとしているのを諫めることができる者はいるかね」と。
子貢が言った。「私ならできます」と。
そこで子貢は子西を諫めた。子西は疑わず素直に聴き入れた。
孔子は言った。「寛大だなぁ。利益にとらわれず、潔白なものよ。人の性には変わらないところがある。曲がったことは曲がっているとし、真っ直ぐなものは真っ直ぐだとする。これでは子西は禍を免れぬであろうな」と。
白公の乱により子西は殺された。
だから言うのだ。行いが実直な人物は欲望において損をする、と。

※1 子西は楚の令尹(宰相)。
※2 釣は、魚を釣るように取ること。
※3 導は諫めるという意味。
※4 子貢は孔子の弟子。姓は端木、名は賜。子貢は字(あざな)。
※5 絜は潔に通ず。
※6 原文の「孔子曰」の三字は衍文。


23)
【原文】
晉中行文子出亡。過於縣邑。從者曰。此嗇夫公之故人。公奚不休舍且待後車。文子曰。吾嘗好音。此人遺我鳴琴。吾好珮。此人遺我玉環。是振我過者也。以求容於我者。吾恐其以我求容於人也。乃去之。果收文子後車二乘。而獻之其君矣。

【書き下し文】
晋の中行文子(※1) 出亡して、県邑に過(よ)ぎる。
従者曰く、此の嗇夫(しょくふ)(※2)は公の故人なり。公 奚(なん)ぞ休舎して且(しばら)く後車を待たざる、と。
文子曰く、吾れ嘗て音を好む。此の人 我に鳴琴を遣れり。吾れ珮(はい)を好む。此の人 我に玉環を遣れり。是れ我が過(あやまち)を振(すく)はざる者なり。以て容を我に求むる者なり。吾れ其の我を以て容を人に求めんを恐る、と。
乃ち之を去る。
果(はた)して文子の後車二乗を収めて、之を其の君に献じたり。

【現代語訳】
晋の中行文子が亡命し、ある県の町を通りかかった。
従者が言った。「ここの嗇夫はあなたの旧知の者です。ぜひそこでお休みになり、後続の車をお待ちなさいませ」と。
文子は言った。「私は以前、音楽を好んだが、その時に彼は私に琴をくれた。私は腰につける玉を好んだが、彼は私に玉環をくれた。彼は私の過ちを諫めて正してくれる者ではない。私に取り入ろうとする者だ。私は、私を捕らえて他の人に取り入るのではないかと恐るのだ」と。
そこでそのままここを去った。
果たしてその後、この嗇夫は文子の後続の車二台を捕らえて、自身の主に献じた。

※1 中行文子は晋の卿。
※2 嗇夫は裁判と賦税を行う役人。


24)
【原文】
周趮謂宮他曰。爲我謂齊王曰。以齊資我於魏。請以魏事王。宮他曰。不可。是示之無魏也。齊王必不資於無魏者。而以怨有魏者。公不如曰以王之所欲。臣請以魏聽王。齊王必以公爲有魏也。必因公。是公有齊也。因以有齊魏矣。

【書き下し文】
周趮(しゅうそう)(※1) 宮他(きゅうた)(※2)に謂ひて曰く、我が為に斉王に謂ひて曰へ。斉を以て我を魏に資せば、請ふ 魏を以て王に事(つか)へしめん、と。
宮他曰く、不可。是れ之に魏無きを示すなり。斉王必ず魏無き者に資して、以て魏有る者を怨ましめざらん。公 王の欲する所を以てせよ。臣請ふ 魏を以て王に聴かしめんと曰ふに如かず。斉王必ず以て公を魏有りと為し、必ず公に因(よ)らん。是れ公 斉有るなり。因(よ)りて以て斉魏有らん、と。

【現代語訳】
周趮が宮他に言った。「私のために斉王に説いて言ってください。斉の力で私を魏で重用されるように取り計らっていただければ、魏を斉王に仕えさせましょう」と。
宮他は言った。「それはできません。それをすればあなたが魏に勢力がないことを知らすことになります。斉王はきっと魏に勢力のない者の肩入れをして、魏の有力者の怨みをかうようなことはしないでしょう。あなたは王の望むことを行うのです。つまり、私は魏を動かして斉王の命令を聴かせましょう、と言った方がよろしい。斉王は必ずやあなたが魏に勢力があると思い、あなたに頼るでしょう。そうすれば斉に自然と勢力ができます。結果として斉にも魏にも勢力を持つようになりましょう」と。

※1 周趮は魏の人。
※2 宮他は斉の人。


25)
【原文】
白圭謂宋令尹。曰君長自知政。公無事矣。今君少主也。而務名。不如令荊賀君之孝也。則君不奪公位。而大敬重公。則公常用宋矣。

【書き下し文】
白圭 宋令尹(※1)に謂ふ。曰く君長せば自ら政を知らん。公 事無けん。今 君は少主なり。而して名を務む。荊をして君の孝を賀せしむるに如かざるなり。則ち君 公の位を奪はずして、大いに公を敬重せん。則ち公 常に宋に用ひられん、と。

【現代語訳】
白圭が宋の大尹に言った。「宋の君が成長すれば自ら政治を行うようになるでしょう。そうなるとあなたは実権を失うでしょう。今、君主は若く、名声を得たがっています。そこで楚に主君の孝行ぶりを褒めてもらうようにするのが良いでしょう。そうすれば、主君はあなたの地位を奪うことができず、ますますあなたを敬い重んじるでしょう。そうなるとあなたはこれからもずっと宋の実権を握っていられるでしょう」と。

※1 令尹について、宋には令尹は無く、大尹であるとする。このとき、宋君がまだ幼く、太后が政を行い、大尹が補佐した。


26)
【原文】
管仲鮑叔相謂曰。君亂甚矣。必失國。齊國之諸公子。其可輔者。非公子糾則小白也。與子人事一人焉。先達者相收。管仲乃從公子糾。鮑叔從小白。國人果弑君。小白先入爲君。魯人拘管仲而效之。鮑叔言而相之。故諺曰。巫咸雖善祝。不能自祓也。秦醫雖善除。不能自彈也。以管仲之聖。而待鮑叔之助。此鄙諺所謂虜自賣裘而不售。士自譽辯而不信者也。

【書き下し文】
管仲鮑叔 相ひ謂ひて曰く、君(※1)の乱甚(はなはだ)し。必ず国を失はん。斉国の諸公子、其の輔(たす)く可き者は、公子糾に非ずんば則ち小白(※2)なり。子と人(ひとびと)一人に事(つか)へん。先づ達する者は相ひ収めん、と。
管仲乃ち公子糾に従ひ、鮑叔小白に従ふ。
国人果たして君を弑す。
小白先づ入りて君と為る。
魯人 管仲を拘して之を効(いた)す。鮑叔言ひて之を相とす。
故に諺に曰く、巫咸(ふかん)善く祝すと雖も、自ら祓ふ能はず。秦医(※3)善く除(をさ)む(※4)と雖も、自ら弾ずる(※5)能はざるなり、と。
管仲の聖を以てして、而かも鮑叔の助を待つ。此れ鄙諺(ひげん)に所謂虜(※6)自ら裘(きゅう)を売りて售(う)れず。士自ら弁を誉めて信ぜられざる者なり。

【現代語訳】
管仲と鮑叔が相談して言った。「ご主君の乱行はひどいものだ。必ずや国を失ってしまうだろう。斉国の公子のうち、補佐すべきは公子糾様か小白様だろう。我らはそれぞれ別々にひとりに仕えよう。そして先に成功した者がもう一方を助けよう」と。
こうして管仲は公子糾に従い、鮑叔は小白の従った。
その後、斉国の人が君主を殺した。
小白が先に入国して君主になった。
魯の人が管仲を捕らえて斉へ引き渡した。鮑叔が取りなして管仲を宰相にした。
諺に「巫咸の祈祷はよく効いたが、自分への禍を祓うことはできなかった。秦の医師は病をよく取り除いたが、自分の病を取り除くことはできなかった」と。
管仲ほどの賢者でも鮑叔の助けが必要であったのだ。
これが世の諺に言う「俘虜が自分で皮衣を売ろうとしても売れず、士人が自分で自分の弁舌を褒めても信用されない」ということである。

※1 君は斉の襄公のこと。酒に溺れ、淫乱であったという。
※2 小白は桓公の名。
※3 秦医とは扁鵲を指す。名医。
※4 除は病を治すこと。
※5 弾は治療用の石針で刺すこと。
※6 虜は俘虜。盗んだものを売ろうとするので誰も買わない、という解釈。また、北夷であるとする説もある。裘の産地。匈奴に対する信用が無いので直接は買わない。


27)
【原文】
荊王伐吳。吳使沮衞蹙融犒於荊師。荊將軍曰。縛之。殺以釁鼓。問之曰。汝來卜乎。答曰。卜。卜吉乎。曰吉。荊人曰。今荊將欲女釁鼓。其何也。答曰。是故其所以吉也。吳使人來也。固視將軍怒。將軍怒。將深溝高壘。將軍不怒。將懈怠。今也將軍殺臣。則吳必警守矣。且國之卜。非爲一臣卜。夫殺一臣而存一國。其不言吉何也。且死者無知。則以臣釁鼓無益也。死者有知也。臣將當戰之時。臣使鼓不鳴。荊人因不殺也。

【書き下し文】
荊王 呉を伐つ。
呉 沮衛蹷融(しょえいけつゆう)をして荊師(※1)を犒(ねぎら)はしむ。
荊の将軍曰く、之を縛せよ。殺して以て鼓に釁(ちぬ)(※2)らん、と。
之に問ひて曰く、汝来(きた)るとき卜(ぼく)せしか、と。
答へて曰く、卜せり、と。
卜 吉なりしか、と。
曰く、吉なりき、と。
荊人曰く、今 荊 将(まさ)に女(なんぢ)を欲(ころ)して鼓に釁(ちぬ)らんとす。其れ何ぞや、と。
答へて曰く、是れ故(もと)より其の吉なる所以なり。呉の人をして来(きた)らしむるなり。固(もと)より将軍の怒るを視しむるなり。将軍怒らば、将(まさ)に溝を深くし塁を高くせんとす。将軍怒らずんば、将(まさ)に懈怠(かいたい)せんとす。今や将軍 臣を殺さば、則ち呉必ず警守せん。且つ国の卜する、一臣の為に卜するに非ず。夫れ一臣を殺して一国を存せば、其れ吉と言はずして何ぞや。且つ死者知る無くんば、則ち臣を以て鼓に釁(ちぬ)るとも益無けん。死者知る有らば、臣 将(まさ)に戦の時に当たりて、臣 鼓をして鳴らざらしめんとす、と。
荊人因(よ)りて殺さず。

【現代語訳】
楚王が呉を討伐しに来た。そこで呉は沮衛蹙融を使者にして楚の軍を慰労させた。
楚の将軍が言った。「こやつを捕らえよ。殺してその血を軍太鼓に塗って祭ろう」と。
さらに使者に問うた。「そなたがここへ来る時に占ったか」と。
沮衛蹙融は答えて言った。「占いました」と。
「その占いは吉だったか」と。
答えて言った。「占いの結果は吉でした」と。
楚の人が言った。「今、楚軍がそなたを殺してその血を太鼓に塗って祭ろうとしている。どうしてそれを吉だと言うのか」と。
答えて言った。「これがそもそも吉である理由なのです。呉が私をここへ来させたのです。これは楚の将軍の怒りを探るためです。将軍の怒りが大きければ、呉は堀を深くし土塁を高く築くでしょう。将軍の怒りがないのであれば、守りを緩めようとしています。今、将軍が私を殺したなら、呉は必ずや警戒を強めましょう。国の占いは、ひとりの臣下のために占うのではありません。ひとりの臣下の命で一国が助かるのならば、それを吉と言わずして何と言いましょうか。また、死者に霊魂が無くなるのならば、太鼓に私の血を塗ったとても効果はないでしょう。使者に霊魂があるのだとしたら、楚軍が呉に攻め込んだ時に、私は太鼓が鳴らないようにしてみせましょう」と。
楚軍はこれを聞いて殺すのをやめた。

※1 師は軍隊のこと。
※2 釁は生贄の血を塗って祭る儀式。


28)
【原文】
知伯將伐仇由。而道難不通。乃鑄大鐘。遺仇由之君。仇由之君大說。除道將內之。赤章曼枝曰。不可。此小之所以事大也。而今也大以來。卒必隨之。不可內也。仇由之君不聽。遂內之。赤章曼枝因斷轂而驅。至於齊。七月而仇由亡矣。

【書き下し文】
智伯 将(まさ)に仇由(きゅうゆう)を伐たんとす。而れども道 難にして通ぜず。
乃ち大鐘を鋳て、仇由の君に遣る。仇由の君 大いに説(よろこ)び、道を除して将(まさ)に之を内(い)れんとす。(※1)
赤章曼枝(せきしょうまんし)曰く、不可。此れ小の大に事(つか)ふる所以なり。而るに今や大以て来たる。卒必ず之に隨はん。内(い)る可からざるなり、と。
仇由の君聴かず。遂に之を内(い)る。
赤章曼枝 因(よ)りて轂(こく)を断ちて駆る。斉に至る。七月にして仇由亡(ほろ)ぶ。

【現代語訳】
知伯が仇由を伐とうとした。しかし道が険しくて攻め込めない。
そこで大きな鐘を鋳て、仇由の君主へ贈った。仇由の君主は大いに喜んで、道を広げて迎え入れようとした。
赤章曼枝が言った。「いけません。鐘を贈るのは小国が大国に対して仕えるときのやり方です。しかし今や大国がそれを用いております。必ずや敵の兵卒が後ろについて参りましょう。入れてはなりません」と。
仇由の君主はこの諫言を聞かず、とうとう之を迎え入れてしまった。
赤章曼枝は車の車軸を短く切り、馬車を駆って斉へと逃げた。その後、七月で仇由は滅んだ。

※1 大きな鐘を運び込むために、険しい道を広げて整備する、という意味。


29)
【原文】
越已勝吳。又索卒於荊而攻晉。左史倚相謂荊王。曰夫越破吳。豪士死。銳卒盡大甲傷。今又索卒以攻晉。示我不病也。不如起師與分吳。荊王曰。善。因起師而從越。越王怒。將擊之。大夫種曰。不可。吾豪士盡。大甲傷。我與戰。必不尅。不如賂之。乃割露山之陰五百里。以賂之。

【書き下し文】
越 已に呉に勝つ。又た卒を荊に索(もと)めて晋を攻む。
左史(※1)倚相(いそう) 荊王に謂ふ。曰く夫(そ)れ越 呉を破る。豪士死し、鋭卒尽き 大甲(※2)傷(きずつ)く。今又た卒を索(もと)めて以て晋を攻む。我に病(つか)れざるを示すなり。師を起こして以て呉を分かたんには如かず、と。
荊王曰く、善し、と。因(よ)りて師を起こして越に従ふ。
越王怒り、将(まさ)に之を撃たんとす。
大夫種(しょう)曰く、不可。吾が豪士尽き、大甲傷(きずつ)く。我与(とも)に戦はば、必ず剋(か)たじ。之に賂(まかな)ふに如かず、と。
乃ち露山の陰五百里を割きて、以て之に賂(まかな)ふ。

【現代語訳】
越が呉に勝った。そのままさらに軍を楚から借りて晋を攻めようとした。
左史の倚相が楚王に言った。「越は呉を破り、勇士は死に、精鋭の兵は尽き、重甲兵は傷ついています。それなのに、今また軍を借りて晋を攻めようとしています。これは我が国にまだ疲弊していないぞと見せかけるためです。そこで軍勢を起こして越を攻め、呉の地を割譲させるのが良いでしょう」と。
楚王は「よろしい」と言った。そこで軍を起こして越を追いかけた。
越王は怒り、返り討ちにしようとした。
すると大夫種が言った。「いけません。我が軍の勇士は尽き、重甲兵は傷ついております。このまま戦っては必ず敗れます。賄いを贈るに越したことはありません」と。
そこで露山の北五百里を割譲して賄いとした。

※1 左史は史官。
※2 大甲は重装備の鎧を着けた軍兵。


30)
【原文】
荊伐陳。吳救之。軍閒三十里。雨十日。夜星。左史倚相謂子期曰。雨十日。甲輯而兵聚。吳人必至。不如備之。乃爲陳。陳未成也而吳人至。見荊陳而反。左史曰。吳反覆六十里。其君子必休。小人必食。我行三十里。擊之必可敗也。乃從之。遂破吳軍。

【書き下し文】
荊 陳を伐つ。呉 之を救ふ。
軍間三十里。雨ふる 十日。夜 星みゆ。
左史倚相(いそう) 子期に謂ひて曰く、雨ふる 十日。甲輯(あつま)り兵聚(あつま)る。呉人必ず至らん。之に備ふるに如かず、と。
乃ち陳(じん)を為す。陳未だ成らずして呉人至り、荊の陳せるを見て反(かえ)る。
左史曰く、呉 反覆六十里。其れ君子は必ず休(いこ)ひ、小人は必ず食はん。我行く三十里。之を撃たば必ず敗る可きなり、と。
乃ち之を従(お)ふ。遂に呉軍を破る。

【現代語訳】
楚が陳を伐ち、呉が陳を救おうとした。
楚と呉の両軍の間は三十里であった。雨が降ること十日目、晴れて星が出た。
楚の左史倚相が将軍の子期に言った。「雨が十日降る間に、敵軍は集結しました。必ずや呉軍はやってくるでしょう。備えなさいませ」と。
そこで陣を構えたが、陣ができあがる前に呉軍が到着したが、楚の陣容を見て引き返した。左史倚相が言った。「呉軍は往復六十里を行軍します。将軍は休息し、兵卒は食事をとるでしょう。こちらは三十里を行くだけです。追撃すれば必ず勝てましょう」と。
そこで楚軍は追撃した。そして呉軍を撃ち破った。


31)
【原文】
韓趙相與爲難。韓子索兵於魏曰。願借師以伐趙。魏文侯曰。寡人與趙兄弟。不可以從。趙又索兵攻韓。文侯曰。寡人與韓兄弟。不敢從。二國不得兵。怒而反。已乃知文侯以搆於己。乃皆朝魏。

【書き下し文】
韓趙相ひ与(とも)に難を為す。
韓子 兵を魏に索(もと)めて曰く、願はくは師を借りて以て趙を伐たん、と。魏文侯曰く、寡人 趙と兄弟たり。以て従ふ可からず、と。
趙 又た兵を索(もと)めて韓を攻めんとす。文侯曰く、寡人 韓と兄弟たり。敢へて従はず、と。
二国 兵を得ず。怒りて反(かへ)る。已にして乃ち文侯の以て己を構するを知り、乃ち皆な魏に朝す。

【現代語訳】
韓と趙が争った。
韓は魏に援軍を求めて言った。「軍をお借りして趙を伐ちたい」と。魏の文侯は言った。「私は趙と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。
趙もまた援軍を借りて韓を攻めようとした。文侯は言った。「私は韓と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。
両国は援軍を得られず、怒って引き返した。その後、文侯が韓と趙を和睦させようとしていたのを知り、両国は魏に朝貢した。


32)
【原文】
齊伐魯索讒鼎。魯人以其鴈往。齊人曰。鴈也。魯人曰。眞也。齊曰。使樂正子春來。吾將聽子。魯君請樂正子春。樂正子春曰。胡不以其眞往也。君曰。我愛之。答曰。臣亦愛臣之信。

【書き下し文】
斉 魯を伐ちて讒鼎(ざんてい)を索(もと)む。
魯人 其の鴈(がん)(※2)を以て往かしむ。斉人曰く、鴈なり、と。魯人曰く、真なり、と。
斉曰く、楽正子春(がくせいししゅん)(※3)をして来たらしめよ。吾れ将(まさ)に子に聴かんとす、と。
魯君 楽正子春に請ふ。楽正子春曰く、胡(なん)ぞ其の真を以て往かざるや、と。君曰く、我れ之を愛(をし)む、と。答へて曰く、臣も亦た臣の信を愛(をし)む、と。

【現代語訳】
斉が魯を伐って讒鼎という宝を求めた。
魯は使者に贋物を持たせて遣わした。斉の人は言った。それは贋物だ、と。魯の人は言った。これは本物だ、と。
斉の人が言った。「それなら楽正子春を来させよ。私は彼に聴いてみよう」と。
魯の君が楽正子春に頼んだ。楽正子春は尋ねた。「どうして本物を持っていかないのですか」と。魯の君は言った。「本物は惜しいのだ」と。楽正子春も答えて言った。「私もまた私自身の信用を失うのは惜しいです」と。

※1 讒鼎は魯の宝物。
※2 鴈は贋と同義であり、偽物のこと。
※3 楽正子春は曾子(曾參)の弟子。


33)
【原文】
韓咎立爲君。未定也。弟在周。周欲重之。而恐韓咎不立也。綦母恢曰。不若以車百乘送之。得立因曰爲戒。不立則曰來效賊也。

【書き下し文】
韓咎(かんきゅう)(※1)立ちて君と為る。
未だ定まらざりしとき、弟 周に在り。
周 之を重んぜんと欲す。而して韓の(※2)立てざるを恐る。
綦母恢(きぶかい)曰く、車百乗を以て之を送るに若(し)かず。立つを得ば因(よ)りて戒を為すと曰へ、立てずんば則ち来たりて賊を効(いた)すと曰へ、と。

【現代語訳】
韓咎が立って君主となった。
まだ君主に決まる前、弟が周にいた。周は彼を重い地位につけたいと思ったが、韓が彼を立てない場合のことを心配した。
綦毋恢が言った。「車百台をつけて送るのがよろしい。韓が彼を立てるなら道中の警戒をしたと言い、彼を立てなかったら韓に害をなす者を連れてきたと言うのです」と。

※1 韓咎は韓の襄王の子で、釐王(きおう)。襄王のとき、太子が嬰が死んだため、咎と蟣蝨(きしつ)が太子の位を争った。
※2 原文は「韓咎」とあるが、この「咎」は「之」の字の誤りだとする。


34)
【原文】
靖郭君將城薛。客多以諫者。靖郭君謂謁者曰。毋爲客通。齊人有請見者。曰臣請三言而已。過三言臣請烹。靖郭君因見之。客趨進曰。海大魚。因反走。靖郭君曰。請聞其說。客曰。臣不敢以死爲戲。靖郭君曰。願爲寡人言之。答曰。君聞大魚乎。網不能止。繳不能絓也。蕩而失水。螻蟻得意焉。今夫齊亦君之海也。君長有齊。奚以薛爲。君失齊。雖隆薛城至於天。猶無益也。靖郭君曰。善。則輟不城薛。

【書き下し文】
靖郭君(※1) 将(まさ)に薛(せつ)に城(きず)かんとす。
客(※2) 以て諫むる者多し。
靖郭君 謁者に謂ひて曰く、客の為に通ずる毋(なか)れ、と。
斉人の見(まみ)えんと請ふ者有り。曰く臣請ふ三言(※3)にして已(や)まん。三言を過ぎば臣請ふ烹(に)られん、と。
靖郭君 因(よ)りて之を見る。客趨(はし)り進みて曰く、海大魚、と。因(よ)りて反(かへ)り走る。
靖郭君曰く、請ふ其の説を聞かん、と。客曰く、臣 敢へて死を以て戯(たわむれ)を為さず、と。靖郭君曰く、願(ねがは)くは寡人の為に之を言へ、と。
答へて曰く、君 大魚を聞くか。網も止むる能(あた)はず。繳(つな)も絓(か)くる能(あた)はざるなり。蕩(とう)(※4)して水を失はば、螻蟻も意を得ん。
今 夫(そ)れ斉も亦た君の海なり。君 長く斉を有(たも)たば、奚(なん)ぞ薛以て為さん。君 斉を失はば、薛城を隆(たか)くして天に至ると雖も、猶ほ益無きなり、と。
靖郭君曰く、善し、と。則ち輟(や)めて薛に城(きず)かず。

【現代語訳】
斉の靖郭君が薛の地に城を築こうとした。しかし食客で諫める者は多かった。
靖郭君は取次役へ言った。「食客を取り次がなくてよい」と。
斉の人で謁見したいと願う者がいた。言うには「私は三言だけで終わります。三言を超えたら煮殺されても構いません」と。
靖郭君はそこまで言うならと会ってみた。客は小走りに進んで言った。「海大魚」と。そして身を返して走り去った。
靖郭君は言った。「その話を聞かせて欲しい」と。その食客は言った。私は自分の死をかけてまで冗談は言いません」と。靖郭君は言った。「それでも私の為に話をして欲しい」と。
その食客は答えて言った。「あなたは海にいる大魚をご存知でしょうか。網でも止められず、縄でも捕らえることはできません。しかし跳ねて水から出てしまうと、螻や蟻でも思いのままにできてしまいます。
今、斉はあなたにとって海です。あなたがこの先も長く斉で実権を握っていくなら、薛など問題ではありません。もし斉を失ってしまったら、薛に城を天高く築いたとしても、無意味となりましょう」と。
靖郭君は言った。「よし」と。そして薛に城を築くのをやめた。

※1 靖郭君は孟嘗君の父で田嬰のこと。
※2 客は食客のこと。
※3 三言は三文字のこと。
※4 蕩は動の意味。


35)
【原文】
荊王弟在秦。秦不出也。中射之士曰。資臣百金。臣能出之。因載百金之晉。見叔向曰。荊王弟在秦。秦不出也。請以百金委叔向。叔向受金。而以見之晉平公曰。可以城壺丘矣。平公曰。何也。對曰。荊王弟在秦。秦不出也。是秦惡荊也。必不敢禁我城壺丘。若禁之。我曰。爲我出荊王之弟。吾不城也。彼如出之。可以德荊。彼不出。是卒惡也。必不敢禁我城壺丘矣。公曰。善。乃城壺丘。謂秦公曰。爲我出荊王之弟。吾不城也。秦因出之。荊王大說。以鍊金百鎰遺晉。

【書き下し文】
荊王の弟(※1) 秦に在り。秦 出(いだ)さず。
中射の士(※2)曰く、臣に百金を資せば、臣 能く之を出さん、と。
因(よ)りて百金を載せて晋に之(ゆ)き、叔向(しゅくきょう)(※3)を見て曰く、荊王の弟 秦に在り。秦 出さず。請ふ百金を以て叔向に委せん、と。
叔向 金を受け、以て之れ晋の平公を見て曰く、以て壺丘に城(きず)く可し、と。
平公曰く、何ぞや、と。
対(こた)へて曰く、荊王の弟 秦に在り。秦 出さず。是れ秦 荊に悪しきなり。必ず敢へて我が城(きず)くを禁ぜじ。若(も)し之を禁ぜば、我は曰はん、我が為に荊王の弟を出せ。吾れ城(きず)かざるなり、と。彼如(も)し之を出さば、以て荊に徳(※4)とす可し。彼出さずんば、是れ卒に悪しきなり。必ず敢へて我が壺丘に城(きず)くを禁ぜず、と。
公曰く、善し、と。乃ち壺丘に城(きず)く。
秦公に謂ひて曰く、我が為に荊王の弟を出せ。吾れ城(きず)かず、と。
秦 因(よ)りて之を出す。
荊王、大いに説(よろこ)び、錬金百鎰(いつ)を以て晋に遺(おく)る。

【現代語訳】
楚王の弟が秦にいたが、秦は出国を認めない。
楚王の近習が言った。「私に百金をお渡しくだされば、私が弟君を出国させてみせます」と。
そこで百金を車に載せて晋へ行き、叔向に会って言った。「楚王の弟君が秦にいて、秦はその出国を認めません。この百金をもってお力添えください」と。
叔向は金を受け取り、晋の平公に目通りして言った。「壺丘に城を築くべきです」と。
平公は言った。「なぜか」と。
答えて言うには「楚王の弟君が秦におり、秦は出国を認めません。これは秦が楚を敵視しているからです。きっと晋が壺丘に城を築くことを禁じますまい。もし秦が咎めてきたら、晋の為に楚王の弟を返して欲しい。そうすれば城を築く必要はない、と。もし秦が楚王の弟を返すなら、晋の力添えを楚は恩に感じるでしょう。もし秦が返さなければ、これは楚を敵視しているので、晋が壺丘に城を築くことを禁じはしません」と。
平公は「よし」と言い、壺丘に城を築くことにし、秦公に言った。「晋の為に楚王の弟を楚に返して欲しい。そうすれば城を築く必要がありません」と。
秦は楚王の弟を返した。
楚王は大いに悦び、精錬した金百鎰を晋へ贈った。

※1 公子午のこと。字は子庚。楚の令尹(宰相)。楚の荘王の子で、共王の弟。はじめ、楚国の司馬として軍事を司る。ちなみに、楚の共王は「韓非子」十過篇に「小忠」の事例(豎穀陽が子反に酒を水だと言って勧めた話)として出てくる。
※2 中射は官職名。侍従。
※3 叔向は晋の平公の賢臣。
※4 この徳とは、恩を売ること。


36)
【原文】
闔廬攻郢。戰三勝。問子胥曰。可以退乎。子胥對曰。溺人者。一飲而止。則無逆者。以其不休也。不如乘之以沈之。

【書き下し文】
闔盧(こうりょ)郢(えい)(※1)を攻む。戦ひて三たび勝つ。
子胥に問ひて曰く、以て退く可きか、と。
子胥対(こた)へて曰く、人を溺らす者、一飲にして止まば、則ち溺るる無けん。其の休まざるを以てするなり。之に乗じて以て之を沈むるに如かず、と。

【現代語訳】
呉王闔盧が郢を攻めた。戦って三度勝った。
伍子胥に問うた。「これで引きあげるべきか」と。
伍子胥は答えて言った。「人を溺れさせようとするとき、水をひと飲み飲ませたところで止めてしまえば、溺れることはありません。ここで手を休めないことです。これに乗じて沈めてしまうべきです」と。

※1 郢は楚の都。


37)
【原文】
鄭人有一子。將宦。謂其家曰。必築壞牆。是不善人將竊。其巷人亦云。不時築。而人果竊之。以其子爲智。以巷人告者爲盜。

【書き下し文】
鄭人 一子有り。将(まさ)に宦せんとす。
其の家に謂ひて曰く、必ず壊れたる牆(かき)を築け。是れ不善の人 将(まさ)に窃(ぬす)まんとす、と。
其の巷人(こうじん)亦た云へり。
時をもて築かずして、人果たして之を窃(ぬす)めり。
其の子を以て智と為し、巷人の告ぐるを以て盗と為せり。

【現代語訳】
鄭の人に息子がいて、官職に就こうとしていた。
その父に言った。「家の垣根の壊れているところを補修すべきです。悪人が盗みに入ってしまいます」と。
同じ町の人もまた家人に同じ忠告をした。
しかし時が経っても修復しなかったので、悪人が盗みに入ってしまった。
すると家人は、息子を知恵者だと褒め称え、同じ忠告をした町の人を盗人ではないかと疑った。

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