フェミニズムの帰結_後編《本能》 20200328_C/4
前回、本稿の前編で、女性には、「経済的に許す限り、外で働くより、自分の子供は自分で育てたい。」という本性が有ると説いた点について、妻に話したところ、「そういう人が多いことは事実だと認めるが、「本性」という表現は気に入らない。「本音」と言う表現を使うべきだ。」との意見を頂いた。
科学的な分析に対して、「本音」などと言う情緒的表現をチョイスしてほしいというところが、女性を感じさせる。
さて、今回は、さらに情緒や感情を排除し、より科学的に、女性が本能的に、子供さえ手に入れば、男は必要ないと考えているのではないかというテーマに迫る。
一説によると、原始の地球において単細胞生物が生まれたとき、膜を持って浮遊するタイプと、鞭毛等を持った運動的なタイプが同時期に発生したと言われている。両者は互いを捕食し合っていたとも、棲み分けをしていたとも言われているが、ある時劇的なことが起こる。
膜型の単細胞生物と鞭毛型の単細胞生物が結合して新しい生物が生まれたのだ。
この時双方の遺伝子の形はあまりにも違っているので、互いの遺伝子の情報を組みなおす必要があったと思われる。これにより生物は初めて遺伝子の交換が行われたと推定される。
その後の生物の発展を考えると、この事件はとても大きな出来事であろう。
最初に「一説によると」と前置きしたが、この一説を裏付けるような事象が実は起きている。
知っている人もいると思うが、妊娠中の胎児と言うものは人間の進化の過程を再現すると言われている。出産間近の完全な胎児は当然人間の姿をしているが、遡っていくと、やがてしっぽが生えて猿になり、毛がなくなり両生類のようになり、魚類になり、目がなくなりナマコのような口とおしりしかない動物(棘皮動物)になり、最後は受精卵という単細胞生物になる。
そこでさらに遡れば、膜を持って動くことができない単細胞である卵子と鞭毛しか持たない単細胞の精子との結合に至る。
つまりこの説が正しければ、生物が生まれて38億年、今なお同じことを繰り返していることになる。
物のついでに、いつも私が人に伝えたいと考えている科学的事実を追加すると、生殖細胞の男性におけるワイ遺伝子は、遺伝子を組み替える相手方を持たない。したがって何度生殖代替わりしても、その遺伝子は組み直しされず、単純コピーされる。しかし単純にコピーを繰り返すために、破損が補修できなくなり、今では同じ染色体にあるエックス遺伝子(女性を発現化する)の半分の大きさしかない。
男性にだけ発生する病気が多いのもそれが原因と言われている。
その代り、その仕組みの通り、ワイ遺伝子の情報は、男子にしか引き継がれない。
天皇陛下の男系継承が問題になっているが、確実に男型継承が行われていたのであれば、ワイ遺伝子の特徴が数千年保たれているはずである。だから、遺跡の中から、一人でも男性天皇の遺伝子を取り出して調べてみれば良い。もし、違った遺伝子が混じっているのなら、どこかで男系継承が途切れているので、グダグダ問題にすることは無い。
逆に女性の生殖細胞にも、女系でないと引き継がれないものがある。それはミトコンドリアである。なぜなら、男性の生殖細胞はミトコンドリアを持たないので、生まれてくる子供のミトコンドリアはすべて母体のミトコンドリアをコピーしたものだからである。
これらのエピソードから、私の言いたい事は、38億年の単細胞時代から引き継がれた本能が、私たちの現状に影響を及ぼし続けていることは十分にあり得ると言う事だ。
昨今、子供ができるとすぐに離婚してしまう夫婦が散見される。
離婚の原因は様々だ。ひどいDVで差し迫った危機が有る場合もあるが、一方で、短絡的で無計画なものも多いように思われる。
裁判離婚なら、差し迫った危機についても語られるが、協議離婚は、正直言って「ノリ」でもできる。
「自分たちだって、考えた末での離婚だ!」と反論する人もいるだろうが、どうにも経済的見通しが甘いように思う。離婚した男性が引き取るか、真面目に経済援助を続けているのなら良いが、そうでないケースが多いようで、母親は新たな経済源を求め、男を作る。
うまくいっているケースも有るのは分かっているが、こうママ父による虐待死のニュースばかり聞かされると、短絡的で無計画な離婚を問題視せざるを得ない。
以前から問題になっていたが、性格が合わない、価値観が合わないなどと言う理由で離婚している連中は、正直言って程度が低い。
言っておくが、一番価値観や性格がずれてくるのは、思春期を過ぎて以降の自分の子供たちだ。もしそれが無ければ、異種の遺伝子を組み合わせた意味が無い。
結婚と言うのは、命よりも大切なモノを放棄し、命よりも大切なモノを手に入れる行為だ。
晩婚化の進むこの時代に言いたくはないが、「覚悟が無い奴は結婚するな。子供がかわいそうだ。」
しかし、私のこの魂の訴えも、実は女性たちには届かない。
私の仮説が正しければ、女性は確かに子供を得るために結婚をするが、欲しているのはその精子のみである。すなわち冒頭で話した、原始の記憶に付き動かされて、鞭毛を持つ運動的単細胞を求めているに過ぎない。
それに付随して付いてくる、力自慢なだけで、怒りっぽく、食べる量だけは無駄に多く、たまにモテたかと思うと、大事な金銭を家計外に持ち出す。すなわち、「夫」と言う存在は邪魔なだけなのである。
そこへ拍車をかけているのが、母子家庭を保護する各種施策である。
私はDVなどの、切迫した危機を回避するために行われた離婚を否定しない。
従って、不幸にもそれが原因で、母子家庭となり、経済に困窮している家族を支援することは賛成である。
しかし、短絡的で無計画で、もしかしたら、女性の本能だけが引き起こした離婚が原因と言うのであれば、これを支援することについては、検討しなおす必要があると考える。それに、やはり、国の支援だけでは、十分とは言えないだろう。
子供のためにも夫婦円満が一番である。
男は面倒な生き物だ。
気に入らないことがあると暴れチラシ、八つ当たりし、酒を飲んで管をまく。
しかし、かわいそうな一面もある。
月数十万円。一日1万円以上。大学生では稼げないこの給料を得るために、上下にこつかれ、自助努力を怠らず、記念日にはわずかな小遣いからケーキを買ってきたりする。
精子だけを見ず、そんなところも見てあげてほしい。
女性のみならず、社会もそろそろ、考えた方がいい。女性の本能に甘えて、精子を送り込むだけで、責任を取らずにのうのうと生きる男性の子孫と、自分の惚れた女性の子供だから、多少の問題があっても歯を食いしばって、婚姻関係を続けるなり、少なくとも経済援助を絶やさない責任感を持つ男性の子孫と、どちらが生き残り、繁栄した方が人類にとって有益であるかを。
父子関係が証明された場合の父親の養育義務について厳しい法律を整備すべきだ。
男性も当然女性の素晴らしさに敬意を表するべきだ。
いずれ、科学が発達し、男性が妊娠することが可能となることがあるかもしれない。それでも多くの女性は、苦しい10月10日と、鼻からスイカを出すと言われる出産の苦しみを買って出るだろう。それもまた女性の本能なのだが、敬愛に値すると思わないか?
パンダは乱獲されただけで絶滅に瀕したわけではない。育児放棄に始まり、繁殖行為すら遺棄しがちになった。彼らは、遺伝子の交換後もその生命体を保護すると言う進化が億劫になったのかもしれない。受精卵をばらまいておけば、とりあえず、幾分かは生き残るという、単純な交配の時代に戻りたくなったのかもしれない。
残念ながら、ここまで進化してしまっていては、そのような原始的欲求だけでは子孫は残せない。人類が、パンダと同じ道を歩まないことを祈る。
『ヴィーナスの誕生』アレクサンドル・カバネル
ヴィーナスの誕生と言えばボッティチェリでしょう。という方もおられるだろうが、ゼウスの男根が切り取られ、海に投げられたときに、白い泡があふれだし、ヴィーナスが生まれた、という逸話を余りに秀逸に描いているので、私は、ヴィーナスの誕生と言うとこっちの方が好きだ。
白い泡がゼウスの精液を想起させることから、一見卑猥なものを表現していることになるのだが、この絵を見て、その卑猥さを感じるだろうか?
カバネルが演出した女性の「本能」に、すっかり卑猥さが吹っ飛んでしまったのだ。
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