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もっと上へ(4年 野知滉平)

こんにちは。
鹿屋体育大学4年の野知滉平です。

まず初めに、日頃より鹿屋体育大学サッカー部に多大なるご支援・ご声援をくださる皆様に心より御礼申し上げます。

〜自己紹介〜
〈名前〉野知滉平
〈誕生日〉4月26日
〈出身〉静岡県三島市
〈経歴〉三島VFC→清水エスパルスJr.ユース
→静岡学園→鹿屋体育大学


〈はじめ〉
「GKとして将来性がない。」
これは、僕が中学時代に実際に言われた言葉です。

選手の大型化が進むサッカー界。
特にGKは、小さくても185cmくらいが求められる環境になっていると思います。身長が180cmもない自分は、見向きもされず、評価の対象にもならない。それが現実です。
そんな中で、
・なぜサッカーを続けるのか
・なぜGKをするのか
僕のサッカーに対する思いについて、人生を振り返りながら書いてみようと思います。

書いてみてびっくりしましたが、かなりの文量になってしまったので、お時間がある時にご一読いただければ幸いです。


〈サッカーとの出会い〉
サッカーを始めたきっかけシンプルで、
友達に誘われたからです。当時5歳の僕は、
サッカーについて全く知りませんでしたが、
その友達に言われるがまま地元の少年団に入りました。

〈小学生〉
小学生の頃は、熱心にサッカーに取り組んでいたわけではなく、友達といる時間が楽しかったので練習に行っていました。だから、きつい練習はサボるし、細かな基礎練習は手を抜いていて、よくコーチに怒られていました。
僕は周りより少し成長が早かったのか、学年が上がるにつれ身長がみるみる伸びて、小学6年生の時には165cm近くありました。当時はFWをしていましたが、この体格にモノを言わせて、やりたいようにサッカーをしていました笑

GKを始めたのもこの頃で、デカいからという理由で、トレセンや、大切な試合の時だけGKをしていました。

GKは好きではなかったものの、周りより背が高くて注目され、評価されていたので、自分にはGKが向いていると勘違いして、中学からはGKになろうと決めました。
(まさかこの後の人生で身長に悩まされるとはつゆ知らず…)

〈中学〉
中学に上がる頃、人生の転機となる出来事がありました。
清水エスパルスJr.ユースへの入団です。
地元少年団からなぜプロの下部組織に入れたのか?と思われることでしょう。
僕も未だに分かりません(笑)

もちろん、周りは県内で名の知れた選手ばかりで、自分は確実に1番下手でした。
GK経験の浅い自分は、当然試合に出ることもできませんでした。でも僕は根っからの負けず嫌いなので、練習には誰よりも真剣に取り組んでいたと思います。

そんな努力が少しずつ成果に表れ、1年生の後半には試合に出られるようになり、2年生の頃は、Jリーグ下部組織の選抜チームに選ばれたり、3年生では、スタメンで全国大会優勝を経験したり、とにかく濃密な3年間を過ごし、順風満帆なサッカーライフを送っていたと思います。
しかし、
中学3年の10月、ユースに昇格できないことが決まりました。理由は、
「GKとして身長が低く、将来性がないから。」
中学生ながら、突きつけられた現実にただただショックを受けました。(伝わりづらいかも知れませんが、GKにとってそれほど身長が大切で、背が低いことは致命的な欠点なのです)

間接的に「あなたはプロになれません」と言われたようなものです。

この先何を目指してサッカーをすれば良いのか

もうGKをやめよう

授業中も、練習の行き帰りも、家でも、
ずっとそのことばかり考えて悩んでいました。

でも、一通り落ち込んだ後、なぜか
俺はGKとしてどこまで行けるのか?
という探究心が湧いてきました。

どんな経緯でこんな考えに至ったのか全く覚えていませんが、おそらく、悔しくて見返してやりたかったのだと思います。

この出来事が、現在も続く僕のモチベーションの源です。

この時から僕は、GKとしてハンデを背負いながら、どうしたら生き抜いていけるかを考えるようになりました。

〈高校〉
高校時代は、選手権優勝を経験し、輝かしい高校生活を送っていたと思われがちですが、
毎日の練習では、1つのミスすら許されない緊張感、試合では「静岡学園」という名前や、「選手権優勝校」という看板を背負うプレッシャーから、ひたすら練習をしていましたし、練習へ行きたくない日もありました。
チーム内のGKはもちろん、自分より大きくて能力のある全国のGK達に負けないように、スキルを磨き、ひたすら自分の存在価値を高める努力をしてきましたが、個人として高校選抜に選ばれたりすることはありませんでしたし、自分たちの代では、チームを全国大会に導くこともできず、力のなさを痛感する日々でした。

高校3年生の夏ごろ、進路選択の時期になり、
「これだけサッカーに打ち込んでプロになれないのなら、自分には才能がなかった」と諦めようとしていました。

しかし、心のどこかに、
「本当にやれることを全てやったのか」
「後悔はしないか」
という問いが生まれ、ずっとモヤモヤしていました。

でも、
迷うってことは、やり残したことがある。
つまり、俺にはまだ伸び代があるかもしれないと思ったし、自分の限界を知らないままサッカーは辞められないと思い、"大学4年間で選手としてどこまで成長できるのか"という挑戦を決意しました。

〈大学〉
そして現在、
幸運なことに、鹿屋体育大学へ入学することができ、恵まれた環境でサッカーに打ち込むことができています。

気がつけば最終学年になり、進路について考えることが増え、またあの時と同じ問いにぶつかっています。
「本当にやれることを全てやったのか」

一生プレーヤーとして活動することはできないし、どこかで折り目をつけなければいけないとは思っています。
しかし、やるべきことは尽きないし、まだまだ上手くなれる、もっと上のステージにいきたい。
サッカーがしたいというのが本音です。

この先どうなるのか自分にも分からないけれど、どんな形であれ最後は、
「精一杯やった」
と胸を張って言えるようにしたい。
その気持ちで、毎日全力で取り組んでいます。

〈おわり〉
話は変わりますが、僕の出身である静岡県には、世界に誇る富士山があります。僕の実家からは富士山がハッキリと見え、帰省するたびにその雄大さを実感します。

そんな富士山を見て感じることがあります。
それは、自分にとってサッカーは、"山登り"
みたいだなと。

自分のゴールはどこなのか、登っている自分には全く見えないし、辛いこともたくさんある。でも、時折見える景色の美しさや、もっと上からの眺めを想像した時のワクワクが自分の足を進める。

いつかサッカーを辞める時、自分がどこまでいけたのか、そこから何が見えるのか

その好奇心と期待がサッカーを続ける理由です。

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