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「東京空襲資料展」

《2021年3月11日に「東京空襲資料展」を見て、facebookに書きつけていたメモをnoteに転載します。》

10年目の3月11日は東京芸術劇場内で展示中の「東京空襲資料展」を観て過ごしました。1996~99年度にかけて撮影された東京空襲体験者330人の証言ビデオが、公開されないまま20年以上も倉庫にしまわれ続けているという東京新聞の下記の記事(3/10)をみたからです。

【東京大空襲の証言ビデオ 20年以上放置 300人超の証言が封印の恐れ 都平和祈念館計画凍結で】

https://www.tokyo-np.co.jp/article/90540...

当時この証言の撮影を主に監督したのは女性監督の草分けの一人でもある故渋谷昶子監督。私は渋谷監督の晩年の仕事である2011年の『蝶々夫人は悲劇ではない』(NHK)でご一緒して可愛がってもらいました。この証言ビデオが公開されないまま文字通りの「お蔵入り」になっていることに監督が憤っていたことを記事を読んで思い出しました。それから10年経っても状況が全く変わっていないことは全く驚愕です。ビデオテープが20年以上も放置されていては、経年劣化も危惧されます。保管状況が大変憂慮されます。

330人のうち9人分の証言ビデオが展示中という、芸術劇場に向かいました。小さな会場には昭和19年11月以降の東京の空襲に関する史資料やそれを伝える都の取り組みがパネルで展示されています。会場内のモニターで9人の方の証言ビデオが放映されていました(写真)。各人10分程度、9人合わせて90分のビデオです。全て観てきました。

9人の証言映像が放映されている資料展会場

視聴席に着くなり大切なことが語られていることがわかりました。証言者は大正から昭和一桁生まれの方たち。空襲当時には、少年少女や青年だった年頃です。聞き上手だった渋谷さんが、相手の呼吸に合わせてインタビューしている様子が映像から伝わります。心に焼きつく話がいくつもありました。

酒井キヨさんという方は、猛火に追われて這い上がった亀戸駅近くの高架の上で難を逃れた。翌朝、高架をおりていくと、一面にピンク色の人形が敷き詰められていて何だろうと思った。足を下ろすとふわふわする。それは全部蒸し焼きにされて皮膚がピンと伸びた遺体だった。足の踏み場がないので幼ごごろに「ごめんなさい」と思いながら、そのうえを歩いて避難した。

また、根岸喜久子さんという方の話は、惨事の中にもこのような感性を持つ人がいるのだなと心に残りました。笹塚の姉の家に居たため難を逃れたが、翌日家のある浅草駒形を目指した。銀座まで歩き、そこから地下鉄に乗った。田原町で降りて地上に出ると一面の焼け野原。その時はじめて自分の町が焼けたことを知った。関東大震災でも焼けなかった浅草寺の本堂が焼けていた。境内にはコンクリート造りの仲見世が二本残るばかり。仁王門も焼けた。門の二階には仏像が並んでいたが、香木で作られていたので、あたりには良い香りが立ち込めていた。それで少し心が和んだ。金属製の布施観音(弁天のことか?)も焼け残って空に向かってすっくと立っていた。仏像の髪飾りについた鈴が風に揺れて音を鳴らした。その音色にも癒された。

どの話者も、自分が生まれ育った東京の町で、家族や親しい人たちを空襲やそれが起こした猛火で亡くしたこと。辛くも自分は生きのびたことを語ります。これは単なる「証言」ではない。非業の死を遂げた人たちの「供養」のために、生き残った人が語ったモノ語りなのだと思います。それだけに、原則論を盾に映像を20数年も放置してきた都の態度は、その弔いの意思を封殺する信じがたい不作為に感じられます。

第一、9人の方の公開許諾は得ている訳だから、あと321人の方のビデオテープを放置してきたのは単にやる気がなかったからなのでしょう。公開するめどが立たないにしても、とにかく一刻も早く全てのテープをデジタイズして保存の方途を立てるべきでしょう。それが証言してくれた人に対する最低限の責任だと思います。展示されている映像にもすでにブロックノイズが発生してました。この間に多くの証言者が鬼籍に入っている可能性があります。映像は、20数年経過してさらに価値を増していると思います。

記録は作れば、後の世に残るという素朴なものではなく、残す努力が必要です。破壊の対極にある、何もしないという不作為もまた記録を殺すということをこの都の事例が示しています。私たちはどういう働きかけができるでしょうか。

《2022年9月20日追記》
9月17日に、未公開となっている資料と証言映像をデジタル化し公開する動きがあるとの報道がありました。ようやく保存・公開への動きが出たことはたいへん歓迎すべきことですが、なぜ20年あまりも放置してきたのかという気持ちも起こります。この間に多くの証言者が鬼籍に入りました。渋谷監督も2016年に逝去。体験者が遺言のようにして後世に託したはずの証言や遺品を、未公開のまま長年倉庫にしまい込んできたことへの都の反省と検証は加えられるのでしょうか。このアーカイブの性格や使命の根幹を問う課題ではないかと思います。今後の保存・公開の行方とともに注目したいと思います。
まずは、ベータカムで撮影されたという証言ビデオテープの保管状況がとても心配です(すでにデジタル化されているという未確認情報も人伝に聞いていますが)。

大空襲資料をデジタル化へ 未公開の遺品や証言―東京都(時事ドットコム)https://www.jiji.com/jc/article?k=2022091700104&g=soc

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