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ダイハツの不正事件から見るブラック体質の共通点

皆さん、こんにちは。かんおさです。
毎度、このような辺境記事に目を通していただき、ありがとうございます。

今年の4月にダイハツの不正事案が発覚してから、半年余り経ちました。
先日、第三者委員会の検証結果が発表され、世間をにぎわせておりますが、私もこの会見や資料を拝見し、色々と思う所があったので、所感を述べたいと思います。

ブラック企業案件 嘘、これってうちの会社?

まずは、第三者委員会の調査報告書が出ております。

ご興味のある方は、こちらをご覧ください。

私も今回、こちらの資料にざっと目を通しましたが、見れば見るほど、何というかこう、昔の体験が生々しく蘇るような事案ばかりでした。
そう、ブラック企業で私が体験してきた事案と、かなり酷似した内容がそこには記載されていたのです。

やはりそういう企業体質というものは共通項なんだなというのを、改めて実感したわけですが、逆に言えばこれを知る事で、ブラック企業化しているかの指標を得られるいう事でもある訳です。

そこで、私が特に気になった項目について、昔の体験を加味しつつ、言及していきたいと思います。

まず、この報告書の中で原因と思われる点を実に赤裸々に語ってくれています。
最初に断っておきますが、残念な事に不祥事が起こってしまった後で声が上がってきたこと自体は、企業としての怠慢であると思いますが、声をあげられるだけ、まだ希望はあると思いました(どこかのモーターを思い出しながら)

さて、原因としては以下のような項目が挙げられておりました。

〇不正行為が発生した直接的な原因及び背景

1.過度にタイトで硬直的な開発スケジュールによる極度のプレッシャー
2.現場任せで管理職が関与しない態勢
3.ブラックボックス化した現場環境(チェック体制の不備等)
4.法規制の不十分な理解
5.現場の担当者のコンプライアンス意識の希薄化、認証試験の軽視

調査報告書

〇現場の実情を管理職や経営幹部が把握できなかった原因

1.現場と管理職の断絶による通常のレポーティングラインの機能不全
2.補完的なレポーティングラインである内部通報制度の運用の問題
3.開発・認証プロセスに対するモニタリングの問題

調査報告書

もうこの項目だけで、ブラック企業対策文章としてかなり優秀な資料だなぁと私は思いました。

では、この項目から私が特に今回の事を起こす原因となったブラック的な内容を中心にご紹介していきます。

① 余裕のないスケジュール・人員・工数不足の状態化

今のご時世、どこも人手が足りず、大変な思いで仕事をしている方も多いかと思います。
働いた分だけ稼ぎが増えるという側面はあるでしょうが、それも限界があるでしょう。

冷静に考えて、そんなに忙しいという状態が、正に当たり前のような状況になった時、働いている方は正常な判断を出来るでしょうか?
結論から申し上げますと、無理です。

忙しすぎると自分のやる事で精いっぱいとなるため、特に他の部署や他の人との連携が絶望的な状況に追いやられるのです。

報告書でも、以下のような意見が散見されました。

(以下抜粋・意訳)
・収益改善のためには日程短縮が重要であり、超短期開発が評価される。結果、安さと速さが重視され、バッファーのない開発日程が標準化された。実際には企画の遅れや後行程の圧縮がある。

・根本にあるのはギリギリの短期開発日程。製品企と新進が机上で決定した日程は、綱渡り日程でミスが許されない。未熟な開発者をフォローしながら力業で乗り切った日程が実績となり、無茶苦茶な似て血が標準となる。縦割りで、問題が起これば責任部署がつるし上げられる風土。

調査報告書

この為に起きる負の側面は以下のようなものです。

1.教育がされない・不十分となり新人が定着しない

まず、人員に余裕がなくなると一番割を食うのは新人です。
教育面がかなり適当になるので、着いてこられる奴だけくれば良いという形になりがちです。
ただ辞めていくだけならそれはそれで良いのですが(良くないけど)、問題はそういう環境で育った新人が部下を持った時に、潰しにかかる事です。

2.自分の仕事をするのが精いっぱいなので失敗を許容できない体質になる

そんなブラックでスパルタな環境で生き延びてきた精鋭ですから、当たり前のように周りの社員にもそれを求めるようになります。
なまじ、過去の成功体験があるだけに、その圧倒的経験則は他の人ではゆるがせません。
伝家の宝刀「俺(今まで)はできたよ?」が完成するわけです。

そうすると、何かちょっとしたミスがあった時に、吊し上げが始まるのです。
それは特に新人いびりという形で起こる事が多く、私もどこに行ってもその洗礼を食らいました。
まぁ、私の場合は本気で仕事ができないタイプの人間だったので、それを受け入れてしまったわけです。

そうすると、今度はそういう使えない奴を見せしめに叱責したりいじめたりする風潮が生まれます。

何でこんなこともできないの?
これ、前にも言ったよね?
本当に使えないな!
自分の頭で考えなよ!
周りの迷惑になってるの、分からないかな?
今まで君にかけたお金、返してくれない?
で? どうすればいいの?(答えは結局教えてくれない)

これらは私が過去、毎日のように言われ続けた言葉の一例です。
ちょっと書き出してて、手に嫌な汗が出てきて震えるくらいには、まだトラウマな状況なのですが、これでもかなりオブラートに包んでます。

ただ今にしても思えば、ちょっと申し訳なかったなと思わなくもないです。
私の能力は恐らく現場の求めるレベルに達してなかったので、私の実力不足であったことは明白であるからです。

そんな状況なので最終的には、自分の席が無くなったり、荷物を捨てられたり、資料や仕事を回してもらえなくなりました。
陰口もかなり叩かれていたでしょうし、とある職場ではお局様(姫?)に目をつけられて、それはもう陰湿にいびられまくりました。

まぁ、今にして思えばなんでそこまで頑張っちゃった?自分?と思わなくもないのですが、それはそれとして高い授業料として受け止めてます。

ですが、と続きますが、それならそれでさっさと首を切るなり、教育するなりして欲しかったです。

ちなみに私も分からないことは聞きに行ってメモも取ってました。出来ることはしていたつもりですが、それでもダメだったわけです。
時々、仕事を覚える努力もしないで、口だけいっちょ前の新人さんが来ることがあるそうですが、私はそういう感じでなかったと思います。だと良いなぁ(自信なし)
思い返しても、確かに仕事を覚えるのは遅かったですが、出来ることは増えていきましたしね。た、多分大丈夫。

これは後で触れますが、私もお荷物になりたくないですし、怒られたくないので必死に勉強したんですが、そもそも教育されてない状況だと限界はあるわけです。

そうなるのも当然で、分からない事を聞きに行けば断られ、ヒントも貰えず、それでも独学で頑張ってみて、失敗し、そして叱責されて、もっと頑張らないと、と以下ループです。
今なら、こんな状況で成長できるはずがないと分かるのですが、この当時は、「私の努力不足」が原因だと本気で思っていたので、この負の連鎖から抜け出せなかった訳です。

② 精神論を主軸とした強引な運営

昭和世代の企業戦士には特にあるあるな話なのですが、「為せば成る」という言葉の通りに、何とかしてしまおうとする風潮は今も根強く残っています。

この辺りは、過去の記事で触れておりますが、いわゆる「努力至上主義」とでも申しましょうか、頑張ればきっと大丈夫、みたいな神話のようなお話が、割と普通に信じられている世代でもあります。

私はそんなものは幻想であると思っているのですが、一方で、今までそれで何とかやってこれちゃった人にとっては、それは揺ぎ無い信条なのです。
だって、今までそれで頑張って、ここまでこれちゃったんですから。
私は失敗してからが本番だと思うのですが、そもそも失敗してない、もしくは失敗を認めない風潮の中にあっては、私の言説などただの負け犬の遠吠えにしか聞こえないのでしょうね。

ですが、その失敗を許さない=頑張ればなんとかなると言う風潮が過剰に膨らみすぎた結果、今回のような不祥事を起こす温床が生まれることとなりました。

報告書でも、以下のような意見が散見されました。

(以下抜粋・意訳)
・職場風土として、「できない」が言えない雰囲気はまだまだ残っているのと感じる。
・できないと声をあげると、なぜできないのか?出来るようにするにはどうするのか?と、逆に仕事量が増える為に、声をあげない事や、諦め感などが出てきている。
・問題が起きたときの「で、どうするの?」といった、問題を発見した部署や担当設計、さらに言うと担当者が解決するのが当たり前という組織風土、及び過度にタイトな開発スケジュールや改善されない人員不足が今回の不正行為の根本的な原因と考える。(中略)開発スケジュールを長くすることや積極的な人員補充という解が最初から排除されているため、必然的に「今ある工数でどうにかする」というパワープレイになり、無理が蓄積しているように感じる。

調査報告書

これは日本人の根底に根付く価値観を凝縮したものであるとも思いますが、皆さんはどうお感じになりましたか?

少なからず、失敗することは悪であるという風潮から、ミスは絶対に許さないという極論にまで至ってしまっている会社や現場も少なくないのでは?と私は思っています。

しかし、行きつく先は、まさにここです。
ミスが許されないという事は、ミスが無くなるという事とイコールではありません。
ミスが許されないなら、ミスが起こった時に隠そうとするのは、人として当たり前の心理です。
なんなら幼稚園児の頃からずっとそうですよね。

これが、ミスをしても一緒になってチームで解決してくれるような安心感のある職場であれば、こういう事は起こりません。
事実、私も塾講師の時はそういう安心感のある職場だったので、ミスしても反省はしますが、報告は必ずしていました。
何故なら、理不尽に怒られることはないと知っていたからです。

叱責され責任も負わされ、周りから白い目で見られるという職場環境なら、自分がミスしたときに、これくらいなら……と隠ぺいしようとしても何ら不思議ではないでしょう。

世の中では勘違いされていることが多いのですが、ミスした人が悪いという側面ばかり強調されがちですが、それをフォロー出来ない職場の方がもっと悪いという事を知っておきましょう。
そういう状況にあるという事は、ブラックまっしぐらであると言っても良いと思います。

③ 上下の意思が乖離した改善に希望の持てない社内風土

今まで見てきた、①②の事例が合わさると、結果として上層部と現場との認識に致命的なずれが存在するようになります。

そして、今までの例にはもう一つブラック企業の強い特徴が出ています。

それは「恐怖政治で押さえつける(=パワハラ)」というものです。
これは、叱責するような直接的な物から、責任感に訴えかけて、しばりつけるやり方もあります。

今回の例は、叱責することも多く例として挙げられておりますが、そもそも先ほども触れたとおり、それが問題解決には繋がらないという凄く当たり前の構図が存在します。

叱責されたり、責任感に付け込まれた人がとる行動は、何とかその場を逃れようとする事だけです。
結果として、その人(または部署)の努力で何とか無理やり目標を達成するというパワープレイに繋がります。

傍から見ると結果が出ているように見えますが、失っているものがはるかに大きいんですよ。
叱責された方からすれば、次に何か問題提起をしなければならなくなった時に、前の事を思い出すでしょう。
結果として、上に掛け合う事に希望を見出さなく(意見そのものが無駄だと思う)なります

これは組織としては致命的で、正しい情報が上に届かなくなるという事になります。
短期的にはそれで何とかなるでしょうし、何ならうまくいくこともあるでしょうが、その間に現場の疲弊や腐敗はどんどん進みます。

結果として、約束された崩壊が起こるわけです。
報告書でも、以下のような意見が散見されました。

(以下抜粋・意訳)
・不正行為の根本的な問題は、開発失敗・ミスを叱責する風土だと考える。(中略)問題を起こした部署や担当者が会議で吊し上げられたり、必要以上の叱責を受ける事がある。(中略)叱責する側の人は無自覚で叱責している。また、そう言った人でも上位へ昇進できることも問題で叱責文化が無くならない。
・(中略)「出来ない」と言えてない風土・「失敗してもいいからチャレンジしよ」でスタートしても、失敗したら怒られる(日程をどう考えている?と責められる)

調査報告書

この状況下で、上下のスムーズな連携など、望むことは不可能です。

特に時折出てきます、「で?どうするの?」は正にパワーワードでして、これは責任を擦り付けるための言葉なんですよね。
「俺は知らないよ? 君が何とかしてよ」という風に言い換えられる、神なるワードです。

またチャレンジという言葉も割とブラックあるあるでして、これを安心感のある職場で言うなら良いんですけど、失敗できない風土であるブラック企業で言われると、熱い掌返しを食らう事請け合いです。

そもそもチャレンジとは自分の能力以上の事をする時に用いられる言葉なんですから、失敗は前提事項の筈なんですけどね。
それを上手く起動修正して成功に導くのが上の役割の筈なんですが、何故か𠮟責すれば上手くいくと勘違いしている方が生き残ってしまっているのが、悲劇なのでしょう。

「俺は今までそうやって来たんだ!」(昭和)という、経験則のみの謎理論で叱られるわけですから、下はたまったもんじゃありません。

そんな感じで報告書でも、まとめとして逸品な意見が見られました。

(以下抜粋・意訳)

・開発日程(基幹、機種数)に対して必要なリソーセスが圧倒的に不足している。そのような環境にあって従業員は日々疲弊し、更なる疲弊を避けるために自分のテリトリーを守るようになり、他社の失敗に対しては必要以上に叱責する場面も多い。またその解決へ向けて協力する姿勢は無く、自分自身で元の描いたシナリオになるように「何とかしろ」が基本。助け合う風土は基本的にはない。またそのような環境にあるため「既にスキルを持った人間(≒一般的にいう「できる」人)」への負荷が大きく、逆にそれに当てはまらない人間に対し安直に使えない扱いをする傾向にある。時間的余裕もなく話を聞いてあげる、育成に時間をかけ、良い所を伸ばしていくようなこともできない、風土もない。

調査報告書

控えめに言って地獄かな?(私の感想です)

しかし、私の過去のブラック企業は軒並みこんな感じでしたし、なんなら今もこういう企業は沢山あるでしょうね。

この報告書は、ブラック企業全書として、後世に語り継ぎたい内容だなと私は感じました。
読者の皆様も、何か心に感じ入るところがあれば、是非、今後の人生に生かしていただければと思います。

技術力の神話 それを支えるのは結局は人

本当に極めて当たり前の事なのですが、会社は人の集まりで出来ています。
どこぞのコーヒーのCMではありませんが、目の前のものは誰かの仕事が絡むことが殆どです。

そして企業の技術力も、風土も、全て人が根幹です。
ですから、人を置いてけぼりにしたロジックだけの仕事なんて、土台、無理があるわけです。

もし読者の皆様の中で、今の会社で働くことを幸せに思えている方がいたら、それはとても幸福な事だと思います。
この会社で頑張りたい。もっとこの会社に恩返ししたいと思えるような職場であるなら、これほど素晴らしい事はないでしょう。

ですが一方で、そんな幸福な出会いが出来る方は、多くはないでしょうね。
生きるために悪態をつきながら、何となくその会社に属している方が殆どだと思います。

これは氷河期世代であるおっさんの戯言ではありますが、過去、この国は、多くの労働者を切り捨てました。
会社が生き残るためのロジックとしては間違ってなかったのかもしれませんが、その結果としてただ生き残るだけで、成長できない会社が圧倒的に増えました。

過去の大企業達が軒並み衰退して買収されていったのは、そのせいもあると私は思っています。

会社や組織の根幹は人です。
「人は城,人は石垣,人は堀,情けは味方,仇(あだ)は敵なり」とは、かの名将・武田信玄の言葉ですが、正にその通りです。

会社の形を残すために、中身を捨ててしまったのですから、崩れ去るのは当然の帰結でしょう。
人を育て、愛せない組織に先はありません。

今、人手不足が叫ばれる中、氷河期世代に仇を残した社会に対して、どれだけの人が情けをかけるかは、私にも計りかねます。
ですが、より多くの人たちが、自分の生涯を預けられるような職場に出会って、活躍できることを心から願ってやみません。

今回はここまで。
お読みいただき、ありがとうございました。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。