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"みひつのこい"で心を殺された話

※某公演とは一切関係ありません!
あまりに"みひつのこい"という言葉がマッチするもので、拝借致しました。
理由は本文中にて触れております。

24.05.04
あれから一年が経過しました。
これまで、この話はうれしくも、さまざまな創作活動にも役に立てていただけたり、「励みになる」「気づきを得た」という言葉もいただきました。
もう、経験をしたくない事ではありますが、誰かのなにかのためになればと思い、6日までの期間限定で公開いたします。

>記事をすでにご確認いただいた皆さまへ
ご閲覧いただきありがとうございます。
今回の公開期間のあと、あらためて公開設定を変更し、後日談を追記いたします。

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「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものです。
日々生活していく中で、意表を突かれる出来事に出合い、「まるで漫画や映画のようだ」と感じて高揚感を覚えることはよくあります。

実は、今年の春、これまでの人生の中でもトップクラスに、いえ、堂々の第一位の衝撃を受けた出来事に遭遇しました。

こんな経験は何度もできるものではないため、こじらせの果てに陥りかけた自分への今後の教訓としても、ここに書き留めたいと思います。表に出る活動をしている立場、これを公開することも悩みましたが、私の人生においても、女優活動においても、ある種レアな引き出しとなった経験でもあるため、財産の一つとして残します。
※個人名などの表記はありません。

■これを読んで共感することがある方
独りよがりな願望ですが……、どうかこの発信が、同じ境遇の人にも、少しでも一歩踏み出す勇気や救いになれれば、とも思い筆をとっております。深呼吸をして、ゆっくりあたたかいお茶でも飲みながら、読んでいただけたらうれしいです。
一番苦しかった時期、私はよく、アップルルイボスティに癒されていました。おすすめです。

■興味を持っていただいた方
正直経験するものではありません。どうか今後も経験されないよう、この記事を一つの反面教師として参考にしてください。
そして、今回はただ、ひとつのエンタメとしてお楽しみください。

■ネタを探しているクリエイターの方
もとより、私はアーティストやクリエイターとして活動される方々へ深い尊敬の気持ちがあり、自社事業でも今後ある部分で支援ができるような事業を企てているほどです。
そして自身も今後の表現の糧になると思って書き残しております。是非、創作活動にひとつお役に立てたらうれしいです。

お品書きはこちら。


それでは、ゆるりとお読みください。

大好きな彼氏に、彼女ができた。

「私、〇〇さんとお付き合いすることになりました」
一緒にランチをしていた友人からその言葉を聞いた瞬間、今までにない衝撃が身体を走りました。
目の前の景色は薄く白いフィルターがかかったようになり、耳はノイズキャンセリングのイヤホンをしたように、カフェ内にいる他のお客さんの声も、カトラリーの音も、かすかにかかるBGMも聞こえないような感覚になりました。

何も考えるヒマもなく、勝手に私の口から出てきた言葉は、「私も、実は一年前から、その人とお付き合いしています」でした。

春は出会いと別れの季節とはよく言います。
それでもこの人とは、ずっと一緒に春の訪れを感じ、ともに前を向いて歩いていきたいと思った人がいました。
彼と迎えた2回目の早春。なんだか嫌な予感はしていました。少しずつすれ違うことも増え、連絡の頻度も、会う頻度も落ちていました。
楽しみしていたはずの旅行では、彼は隙があればスマホをいじる。ふと見えてしまった女性のLINE。ピンク色のハートの絵文字。

--私は彼のとある創作活動を応援していました。
生み出す瞬間に向けられる愛情と、作品への向き合い方、アウトプットされるものから感じられるどこか切なくも力強いエネルギーに魅了されていました。
だからこそ、今春のある週末の日。とある作品を見た時から、心のざわつきが加速していました。
そして、その時から、おそらく女の勘がはたらき、その疑いは苦しくも私の友人に向けられていました。

旅行中に見えてしまったLINE画面。その名前はまさしく、その友人の名前でした。何度もスマホを開くため、何度も視界に入ってしまう。心のざわつきが一層大きく、騒がしくなったのを感じました。

ずっと楽しみだったはずの旅行は、私の心に影を落として終わり、それから半月ほど経って、私は件の友人とランチに行く予定を立てました。
彼が彼女と会うずっと前から、私は彼女とコミュニケーションをとる機会があり、一度二人でお酒を飲んだこともある仲でした。とても親密な友人関係ではありませんでしたが、私にとっては大事な友人の一人でした。

しかし、彼女には、"私と彼がお付き合いしている事実"を言うことはできずにいました。

理由はあらためて後述しますが、端的に言うと、彼が交際の事実を公言することを嫌ったためです。それでも私は、「この日こそ事実を彼女に打ち明けよう」と、決心してランチを計画しました。

そうして、その瞬間を迎えました。

思い切り頭を殴られたような感覚にも似た衝撃に、それまであった食欲が一気に消え去りました。そして、頭で考える前に、自分も一年前から同じ人と付き合っている、と言う事実を口からこぼした後、少しずつ頭に血が巡り始めるのを感じました。
彼女に申し訳なかった。ずっと黙っていて、そうなる前に「もしかして」と聞かれたときにも嘘をついていた自分を悔いました。

同時に、私とお付き合いしながら、ほかの女性と付き合うことを選択した彼に、それも私と友人関係でもある女性とそうなった彼に、言葉に言い表せない複雑な感情が湧き起こってきました。

そして次の瞬間、心に風が吹き込みました。朝の木々を吹き抜けるような、さわやかな風でした。
なぜ、そんな状況下でそんな感覚になったか。それは、私の中で一年間抱えていたあるモヤモヤが晴れたような気がしたからです。

彼女、一人ではないのかもしれない。

という確信。

一年と少しの間、私は彼と多くの時間をともに過ごしました。
それでもどうしてもクリアにならない、ずっとヴェールに包まれたままの部分がいくつかありました。

もちろん、どんな親しい仲でも隠し事の一つや二つはあるでしょう。ですが、そういう問題では済まないような、開けてしまったら最後かもしれないパンドラの箱のような、どこか恐ろしいものを感じていました。

実際、違和感について尋ねても、納得できる答えが返ってきたことは一度もありませんでした。そして、あまり深く追うと、彼の心のシャッターが下りてしまいそうな怖さがありました。だから、それまでずっと、「ただの私の被害妄想かもしれない」と、モヤモヤしながらも閉じ込めていたのです。

お付き合いをしていたーーと私は思っていた期間に、第一に気になっていたこと。そして、これによって今回私と友人関係の女性にも平気で手を出すこととなった原因の一つでもあることが、彼のとある要望でした。

"秘密の関係"の恐ろしさ

彼は関係性を内密にすることを望みました。
彼が特に嫌がったことが、「お付き合いしている関係であることが人に知られること」だったのです。SNSで交際報告をしたり、不特定多数にあらためて発信する必要はない、という気持ちには同意でしたが、普段一緒にお仕事する方、仲良くしている人にも言いたくない、という点は、交際当初から違和感がありました。

もしかして、既婚者なのではないか。私が彼女では恥ずかしいということなのか。知られたくない人がいるのか。さまざまな不安に襲われました。

そして、その理由を聞くと、「付き合っていることを知られると、揶揄われたり、第三者に何かを言われたりすることが嫌なんだ」と返されるのです。

その気持ちも多少はわかりますが、いい大人ですから、人の交際を笑ったり、揶揄ったり、必要以上に詮索するような人は少ないのでは、と感じ、「そこまでそんな事を気にする人なのか?」と、また違和感。
さらに、普段のコミュニケーションの取り方や距離感から、近しい人には公言せずとも関係性を推測されるような状態でしたので、「〇〇さんと付き合っているの?」と聞かれることもしばしばあり、その度に「いえいえ、ただお仕事ご一緒しているだけですよ。素敵な人だと思いますけどね」と嘘をついて流していました。それが、とても苦しかったのです。

彼はビジネスパートナーであり、プライベートパートナーでもあったため、すっかり私の生活の中で大きな存在になっていました。自身の日頃の活動を語るうえでも避けられない存在だった人の話を、親しくしたい人に対しても隠さなければならないことで、私の心は塞ぎ込んでいきました。

そう。この点によって、彼への違和感と不信感とともに抱いたものは、"嘘をつく苦しさ"でした。私はこれに耐えられなくて、心を殺した頃もありました。

事実、すべてが終わり、ようやくずっと親しくなりたかった人たちに壁をつくらず話せるようになったときには、心が軽くなり、まるで小さなビニールハウスから大草原に出たような開放感に満たされたのです。

秘密は時として人とのつながりを強固にします。その反面、秘密にすることで人の心や言動を縛り付けたり、閉じ込めることもできてしまう、恐ろしいものであることを身をもって体感しました。

見え隠れする女性の陰

ただ、彼女であることを言えないだけならば、私が"嘘をつく苦しさ"に苛まれるだけで済んだかもしれません。そうはすまないのが、本件。
セットであったのが"女性の陰"でした。

友人との二股が発覚した際にも「嘘だ。彼がそんなことするはずがない」などと、受け入れられないような気持ちは起こらなかったことも、日頃から女性の陰を感じていたためです。

実際に感じていたものの代表例をご紹介します。

・交際一年経過するが、家に入れてもらえない。
従兄弟と住んでいるためというが、本人がSNSに投稿した自宅写真の中に、おそらく多くは女性が使うであろう小物が写り込んでいた。
・「従兄弟から借りている」という車のディフューザーがSAVON
・不明な出張がたびたびある。
・旅行中、深夜に女性から電話がかかってくる。そして、私の前ではその電話に出ない。
・ある日突然、彼の周りの女性からSNSをブロックやフォロー解除される。
・常に女性と連絡をとっている。(チラッと見えただけで内容までは見ていない)
・おそらく彼と過去(もしくは進行形で)関係のあった女性と思われる匿名アカウントからSNSで粘着され、嫌がらせを受ける。

情けないことに、ここまで揃ってもなお、「いや、きっとわたしの気にしすぎだろう」と目を背けてきました。
こうして冷静に振り返られるようになった今、抱いていた違和感を見返してみると、「どうしてここまでわかりやすく問題点が散りばめられているのに、目を背け続けたんだろう」と、自分のことながら不思議に思ってしまうほどです。

ただそれは、嘘をつくことに慣れすぎてしまった彼から発せられる言葉に、自ら溺れにいっていたわたしの弱さにあるのでしょう。そして、一度信じることを決めた彼を、ずっと信じ続けていたかったのでしょう。

「騙される人も悪い」のは確か

詐欺に遭った際や、こうして異性に裏切られてしまった場面ではよく、「騙される方も悪い」という声を聞くことがあります。それにはわたしも一部同意見です。
他人に対してすべてを疑う必要はないものの、疑わしい事実があるにも関わらず、自分の都合がいいように解釈してしまっていることは、騙され続けてしまう要因のひとつ。そして、こちら側が騙され続ける姿勢をとることは、同時に嘘をついている相手が「嘘をつき続けなければならない状況」を作り出します。

嘘を一つつくと、どこかで綻びが生じます。
そして、整合性が取れなくなると、ふたたびあたらしい嘘で虚構を増幅させていきます。どんなにちいさなことでも、一度ついた嘘を正とするためには、嘘をつき続けなければならないのです。
通常は、どこかで「ごめん。あれ嘘だった」「記憶違いだった」などと言って嘘を認めることで嘘の連鎖はとまります。時には、「そんなこと言ったっけ」とシラを切る人もいるでしょう。その場合でもしこりは残りながらも連鎖は断ち切れます。

しかし彼はもう、本当のことを言えなくなってしまったのかもしれません。もはや嘘をつくのが当たり前になりすぎて、何が本当のことかさえ見失ってしまっていたようにも思えるほどです。

私は普段の活動で演技に向き合うためか、はたまた自身の性格からか、人の感情の機微を言動や表情から読み取ろうとする癖があります。そんな中で彼と対峙していても、嘘の言葉たちに迷いが感じられなかったのです。

彼は、愛の言葉をよく口にする人でした。私がどこかにいくのではないか、と心配するような発言さえも。もらえる言葉だけをみると不安に思うことは少なかったですし、言葉を信じることで、違和感から目を背けられていました。

それほどまでに彼は嘘を吐くのに慣れていたのでしょう。
むしろ彼自身の中では、発言をする瞬間だけはどんなに事実と反していることでも"本当"の言葉として発することができていたのかもしれません。
だとすると、とんでもない役者の才能の持ち主です。

信じるべきは言葉ではなく行動

この言葉もよく聞く言葉です。
特に、今回のことがあってから聞くたびに耳に残るようになりました。
まさに、行動の端々に拭い切れない違和感が散りばめられていたわけですが、反面「これがあるなら大丈夫だろう」と思う点も多々ありました。

彼の家に入れてもらえない私はある時、思い切って勧められるがままに彼の活動拠点の近くに引っ越しをしました。交際しはじめてからは半年ほど経つ頃でしたが、その頃は毎日のように私の家にきて、在宅ワークをする私の傍らで彼はくつろいでいる、というシーンが多々ありました。しかし、その期間は気づいたら終わり、ある時からほとんど私の家には訪れなくなりました。

とはいえど、お互いに時間や場所を選べる働き方をしているため、ほぼ毎月のようにさまざまな場所にワーケーションに出かけていました。そのため、私の自宅に来る頻度が下がったことについては深く考えず、ワーカホリックな自分としてはむしろ「作業に集中できる時間が増えた〜」と楽観的な捉え方をしていました。

ただ、思い返せば彼の行動には波があったように思います。
毎日のように会いにくることもあれば、突然会う頻度が減ることもある。
人間なのだからそんなものだろうと思っていましたが、ちょっとした距離を感じるたびに大なり小なり不安感におそわれていました。
今から思うと、ほかの女の人と会っていたり、私のほかにお熱な相手がいたのかもしれません。

他責だから"ストーカー"が増える

数ある記憶の中でも「きっと嘘だっただろう」と思い返すことのひとつ。
交際中、彼から「僕にはストーカーがいる」という話を聞くことがありました。
一度ご飯を食べに行っただけで勘違いをしてしまった人、以前仕事関係でやりとりをしただけで付き合っていると勘違いしている人……。話を聞いているとそれぞれ違う状況や関係性のようだったので、彼の言葉だけを素直に受け取ると複数人いるようでした。

その真偽はわかりませんが、その話を聞いている中でどうしても辻褄が合わない点があったため私はあまり信じていません。

いまでこそ思い返してみると、その人たちはストーカーではなく、本当は彼が傷つけた女性なのではないか、と感じてしまうのです。

私は今回お別れを決めたあと、それまで交際の事実を秘密にしていた共通の知人ーー中でも、これまでもコミュニケーションをよくとっていて今後も公私ともにご一緒していきたい限られた数人に、ことのあらましを伝えました。嫌がらせや復讐心からではなく、あくまでも、仲良くしたい友人・知人に対する自己開示のひとつとしての行動です。

しかし、私がそういった行動をとったことに対して彼は「最後まで知られたくなかった」という反応を示し、直接私にも「その行動をとるということは僕がどう思うかわかっているよね(一部抜粋)」という言葉を手紙で送ってきました。完全に私との関係はなかったものにしたかったのでしょう。そうしなければ、きっとなんらかの不具合が生じるのかもしれません。

つまり、現時点でも彼にとって私と付き合っていたことはタブー事項。
きっと私をよく知らない人に対しては、私のことを「ストーカー」と言っていたり、「メンヘラに執着されている」などと言われていたりするのかもしれません。
これは私の杞憂かもしれませんが、でもきっと「友達同士に二股して振られた」とは、正直には言わないですよね。

だからいま私は、いつか私をブロックした女性にも、離れて行かれた女性にも、嫌がらせをしてきていたあのアカウントの所持者にも、恨みは抱いていません。きっと同じように、あるいはもっと深刻な、艱難辛苦の日々を過ごしていたのだろうと思います。

「相手がメンヘラだったんだ」、「相手が勝手にストーカー化した」、「付き合っていると勘違いされていた」と相手に責任転嫁することで、自身の過ちには向き合わない。そんなことを繰り返しているのではないか。ここでもまた、嘘の連鎖と同様に負の連鎖が続いてしまっている様子を感じ取りました。

発覚後の驚きの対応と、感情の記録

さて、自分の感情の掘り起こしに戻ります。
今回、これまでにないほど心をかき乱されたのは、とくに発覚前後1ヶ月程度の期間のことです。

前述の通り、発覚よりすこし前から嫌な予感はしばらく続いており、日々の何気ないLINEのやり取りや、旅行中の会話のふとした返しなどに大きな不安感を覚え、突然食事が喉を通らないような感覚になってしまうことがありました。

そして、発覚時。あの時の、周囲の音がなにも入ってこなくなり、胃に向かう途中の入口がふさがるような、あの感覚。まるで悪い夢を見ているような、目を瞑ってふたたび開けたら「すべて夢でした」となるんじゃないか、と思うような、意識が浮遊したような感覚。どこかにリセットボタンがあるのか探してしまった、焦りと非現実感。そしておとずれた「ああ、なんだ、やっぱりそういうことだったのか」という、無数の点が一気につながり、モヤが晴れていく爽快感。情けなくも感じていた「ああ、どうして、バレることしちゃったんだ」という彼への失望感と、哀れみ。
複雑にも、一気にさまざまな感情におそわれました。

その後は、朝がくることが怖い日が続きます。
朝、目が覚めると、なにかを考える前に泣けてくるのです。寝て起きても、夢から醒めることはなく、直面してしまった一連の事が”事実である”ということを突きつけられるような感覚に苛まれる。そんな悪夢のような日々が続いていました。

私が完全にお別れすることを選んだのは、発覚から約3週間が経とうとする頃のことでした。つまり、それまでの3週間は、強い衝撃に襲われたにも関わらず、彼から離れることを選べなかったのです。
今から思えば、私にとって大事な友人のことも傷つけた男。発覚直後に罵声を浴びせてでも離れるべきだったと思います。

決断ができない弱い自分の情けなさ、まるで盲目的な思考回路には我ながらほとほと呆れるものがあります。そして、それゆえに経験してしまったものが、第二の地獄期間です。

発覚時からはじまった胃の入り口が塞がるような食欲の減退は、2週間半ほど続き、最初の10日間はまったくといっていいほど固形物を食べることができませんでした。3週間で5kgほど減量し、周りからみても明らかに見た目に変化が現れていたようです。もちろん、いい痩せ方ではありません。見るからにおかしな痩せ方をしていた私に対して、にこやかに「痩せたね!」と声をかける人はいませんでした。

……いえ、一人だけいたのです。「痩せてよかったね」と言った人が。
それこそ、件の彼でした。

発覚後もすぐに離れることを選べなかった私は、すでに依頼していた仕事もあったため、何度か打ち合わせを目的に彼に会いに行きました。
そこで私の様子をみて彼が言った言葉が「痩せてよかったね」でした。
何かがおわる音がしました。

「は?何を言ってるの?」と思わず声に出してしまった記憶があります。それにも動じず「だって痩せたいって言ってたでしょ」と動じない彼の返しには言葉を失ってしまいましたが。
確かに私は万年ダイエッターの身ではありましたが、飲食が好きな自分がどうしても固形物を食べることができないほどの状況になってしまったことには、コントロール不能な自分への不安感と恐れを抱いていたところでした。

今でこそ「一向に痩せることができなかった自分に、"私でも痩せるんだ"というある種の成功体験ができた」と思えるようにはなりました。しかし、それは決して望ましい状況ではありませんし、それを私が自分に言い聞かせるならまだしも、原因をつくった人が言うのはちがうのではないか、とその言葉を言われた時には頭の中でなにかが弾けるような、「ああ、とことんこの人は」と少しだけ目が醒めるようなーーこの時点でも冷め切ってはいなかった、そんな感覚を覚えました。

そして、恐ろしいことに発覚後も彼の斜め上の言動は続きます。

まず、発覚後最初に私から設けた話し合いの場では、「最近LINE返してくれない。さみしい」という言葉がとんできたのです。鳩が豆鉄砲を喰らった感覚とは、まさにこのことでしょうか。それまで数日間、深く思い悩んだ立場からすると、実はここだけパラレルワールドで、あんな事実なんておきなかった違う世界線にきているんじゃないか、と思わされました。そんなわけがないことはわかっているので、ただただ頭が混乱して、用意していたはずの次の言葉が喉の奥に一旦引っ込んでいきます。

その後も驚きは続きます。今回、友達同士であることを知っておきながら、二股をしたことについては「いつかバレると思っていた。そうしたら二人とも去っていくだろうと思ってた。結局僕は最後は一人なんだ」と。
はて、何を言っているのだろうか。悪びれた様子がみえない。恥ずかしいほど公私ともに彼に盲目的になっていた私は、きっと彼に軽侮されていたのでしょう。ここでもやはり斜め上の返しに、怒りや悲しみの前に、自分自身に対する呆れや情けなさ、恥を覚え、体が小さく震えました。

「バレてもいいと思っていたわけではない。でもバレるだろうと思っていた。でもまあ、そうなったらそうなったで、二人とも当たり前に去っていくだろう。それはしょうがない、と思っていた」

ここで、今さらですがタイトルを振り返りましょう。
今年私は偶然にもとある公演で"未必の故意"という言葉に出合いました。
意味は「殺そうと思って殺したわけじゃないけれど、結果としてそうなったのであれば、それでもいいや」ということのようです。
言葉自体は法律用語ですが、その言葉を知った時、私はあの日の衝撃を思い出していました。さらに、ひらがな表記すると"秘密の恋"に誤読してしまう文字列。この偶然の言葉の出合いには驚きました。

「君も離れていくと思っていた。でも、離れていかないことに驚いている」
「こんなことをした以上、僕からは戻りたいとはいえない。でも別れ話をしているわけでもない。すぐに戻ることはできない。自戒の時間がほしい」

おやおや、雲行きがあやしく、どころかまったく見えなくなってきました。
ここまでくると私の頭の中の混乱はピークに達します。思考停止です。
「ああ、とりあえず、別れているわけではない、のか。ではちょっとだけ待つか」という気持ちになっていた自分を、今なら往復ビンタしたいものです。

"自戒の時間"とはなんのことだろうか。
繰り返さないために反省する時間はもちろん必要なものですが、この時点で「待て」をされるのがこちら側で、舵を取るのが彼になっている構図が、頭がお花畑になっていた当時の私にもおかしなことであることは理解していました。

そんな話があった後でも彼の驚くべき行動は続きます。
そうして私の心はだんだんと陰りが深くなっていきます。

「知り合いの女性とちょっとだけランチに行ってくる。でも年は離れているし何もない人。ランチに行くだけ」
と数日後に出かけていった彼。
後日、その女性とランチのあとにも半日二人で過ごしていたことを知ります。

またある日のこと。
もう絶対にいいことがないから彼のスマホを視界に入れないようにしていたのですが、打ち合わせ中、ずっとスマホをいじっているため、いやでも画面が一瞬入ってきてしまいました。
その一瞬のことなのに、複数の情報をキャッチしてしまう自分には「その能力は別で活かそう」と声を大にして伝えたいものです。
二股被害を受けた友人でも、ランチに行った女性でもない、見たことのない女性の名前。短文の応酬の中で、毎回のように相手から差し込まれるハートの絵文字。
打ち合わせ中だというのに、一瞬頭が真っ白になりました。
指摘をする気力も勇気もなにもなく、ただただ打ち合わせ後の帰路でどうしようもない現状に涙しました。

もう一度、言います。
"自戒の時間"とはなんのことだろうか。

想像を絶する対応に、次第次第に、彼への信頼を失っていきました。
それでもおそろしいことに、こびりついた情が離れず、思考停止して「どうしたら一緒にいれるか」を考える日々。私の表情は陰りを一層増していきました。笑いたくても、まさに仮面をかぶるように、笑う顔を貼り付けるような笑みしかできない。心の底から湧き上がる幸福感や、楽しさを感じて、自然と笑みがこぼれる、なんてことがなくなってしまいました。
一連のことを少しでも思うと不安と恐怖とやるせなさと悔しさと、少しの怒りがこみ上がってくる。その時点では共通の知人にはまだ事実を隠していたため、仕事などで居合わせた時にも心に嘘をついて笑顔でいなければいないことに、孤独感や閉塞感を覚えていました。
そして、「痩せてよかったね」の言葉が、呪縛のように脳に棲みついてしまったため、食欲も戻らない。精神的にも物理的にも彼が離れていくこと、真剣に向き合うことを避ける様子も感じ取れていました。

付き合う時に数ヶ月ほど回答に渋られた時にも感じていたことですが、彼は責任をとる選択をすることを避ける人でした。だからこそ、彼から別れ話をすることはないでしょう。実際、最後の最後まで、彼から別れを告げてくることはありませんでした。

ここまでくると、「ここまで頑張って耐えたんだから、いいことがあるはず」「そんな状況を知ってもなお彼を支えたいと思えるんだから、大丈夫。私が一番彼を好き」という、客観的にみると救いようのない考えにいきついていました。愛ではなく、自分のこれまでの行動を正当化しないと、自分があまりに浮かばれない、と必死になっていたのかもしれません。

おしまいはある日突然に。

そんな救いようのない地獄のような日々にも終わりはきます。
あらためて自分の考えを伝えて今後の考えを聞いた日の翌朝。
目が醒めると、頭がスッキリした感覚に出合いました。
毎朝、変わらない現実に直面させられ涙していた自分とはちがう私がそこにいたのです。

年齢のことも思うと、どこかで将来のことも期待していた私は、今回のことをここまで身内に打ち明けることもできていませんでした。しかし、この朝、迷わず母に電話をし、事のあらましを伝えました。
堰を切ったように、言葉と感情が流れ出る。ようやく、解放されました。

そうして、すぐさま頭は切り替わり、まずは仕事関係の解消に向けて欠かせない人にはその日のうちにすべてを伝えました。これまでずっと黙っていたことを伝えて、受け入れていただけたことにはいまだにーーいやきっとこの先もずっと、感謝してもしきれません。

「一番辛かったのは、言えなかったことだ」
心の開放感で、今までとちがった涙がとめどなく溢れ出た日でした。

その後に、秘密にしていたことを話し始めた私の行動に気づいた彼から前述していた手紙が届いて、そこでそこまでちぎれかかった薄い皮が開き切らないようにかろうじて抑えていた傷口がパックリ開き、一瞬心を病むことになるわけですが……。私の生きがいでもある仕事や、愛のある友人たち、家族のおかげで仕事や活動には穴をあけずに過ごしました。

ここまでのことは、きっともう、味わうことはないでしょう。
決しておかわりもいらない経験になりました。

ただ、一番苦しかった時期、女優の先輩に
「私たちの仕事は、どんな経験も武器にできるの」
という言葉をいただきました。

あの時の心の動きや葛藤、そこからうまれる身体の震えや強張り、言葉を発する前にかかるフィルターのようなものは、それを味わったからこそ表現できる。きっとそれは、私の武器になるはず。
そう信じて、この引き出しは残しておかなければいけない、と思い、こうしてnoteに綴りました。


思いのほか根深い後遺症

あれからしばらく経ち、頭はすっかり冷静になりました。
のびのびと活動することもできるようになり、生活は上向いています。

しかし、今回の一連の流れを受けて、後遺症のようなものの存在をうっすら感じています。人を信じることがこわい、ということです。

私は、基本的に人が好きです。
人生一度きり、限られた時間のなかで自分自身が経験できることには限界があります。それを他の人は他の人の人生の中で経験しているかもしれない。
そう思うと、自分と異なるモノコトに出合い、さまざまな思考の引き出しや経験を持つ他人に興味津々なのです。
だからこそ、なるべく多くの人に関わりたいですし、なるべく多くの人の考えや経験に触れたい。そのためには信頼関係も築いていきたい。そんな考えを持っています。

警戒心は伝播するものだと考えています。
信頼関係を築いていく上で、相手を疑う気持ちはあまり持ちたくありません。

しかし、特に恋愛関係においては、真剣に相手に向き合おうとしてしまうがために、今回のことが頭にちらつき、なにかあった際の反動が恐ろしくて、警戒心を強めてしまうのです。

今年出演した公演で「簡単に切れちゃうんだよ、つながりなんて」という台詞がありました。そもそもつながりなんてなかったのかもしれません。
そんなことを、考えたくもなかったのですが、どこかで他人とのつながりについて諦めの気持ちを抱いている自分がいて、そこに怖さと悲しさを感じています。


私は、人とお付き合いすることはしがらみや束縛であってはいけないと思っています。仕事においても異なるスキルをかけ合わせたら新たな可能性が広がるように、人と人との関わりもそういうものだと思っています。
二人で二人だけの世界を作るだけじゃなくて、タイアップすることでむしろ可能性を広げていく。そんな関係が理想だな、と持論を持っています。

それなのに、そこに至る前に、恐怖心と不安感に苛まれてしまい、疑いたくなんてないのに疑ってしまったり、そもそも相手に期待をしないように言い聞かせてしまうようになってしまったことが、本当に、本当に……。

ああ、切ないね。

【参考】違和感の見抜き方

きっと私は、違和感には敏感です。
ただ、同時に目を背けるのも得意だったのかもしれません。
それにより高い勉強代を払うことになりましたが、ここまでお読みいただいた方に参考になればと思い、思い出せる範囲での違和感の見抜き方を記します。

聞くたびに返答が微妙に変わることは信じてはいけない。

彼と交際する前、お互いに好き合っているにも関わらず、「お付き合いする」という選択をとられずにいました。彼からは「好き」という言葉や、ハグなどの軽いスキンシップをされることがあるにも関わらず、「お付き合いしたいです」という私の申し出については流され、回答をしばらく避けられていたのです。その理由は聞くたびに微妙に変化していっていました。
明らかにおかしい反応であるのに、「この問題が解消されればお付き合いできるかもしれない!」「寄り添う!」なんて、馬鹿正直に言い訳たちを受け取っていました。

実際の理由は推測するほかないですが、きっとすでにお付き合いされている女性がいたのか、責任をとる判断ができなかったからでしょう。
ここでハッとして目を覚ますことができていれば、どんなによかったことか。後悔しても仕方ないことですが。

嘘は解像度が低い

嘘でつくった事実は解像度が低いのです。
よく嘘をついた時には饒舌になると言いますが、確かに嘘の信憑性をあげるためにハリボテを固めていくものだと思います。
しかし、想定しない角度から突かれると、崩れ落ちるのです。
ハリボテですから。

特にそれを実感したのは、彼の出張予定でした。
私は打ち合わせや出張が多く、彼も出張が時たまある中、仕事も一緒にすることがある関係だったため、予定調整を円滑にするためにも、一部スケジュールを共有していました。

これについては真偽は定かではありませんが、違和感を覚える出張が多々あったのです。ポイントは下記の通り。

・直前まで行き先が決まらない
・行き先を伝えてきても範囲が広い(長野の方、など)
・出張内容が曖昧
・表には出せないらしい

違和感を抱いたものの中には、本当の出張もあったかもしれませんし、ほとんどが本当の出張だったかもしれません。ただ、一部、そうでなかったものがあることも知ってしまっています。
嘘をくりかえす人の言葉は信じられなくなってしまうという狼少年の話はまさにそうで、私はいつからか彼のことを心底信じられなくなっていたのだと思います。明確に不安が顔を出し始めたのは発覚直前からでしたが、交際当初、いや、それより前から、ずっとどこか得体の知れないモヤがかかったような感覚があったのです。

その違和感、正しかったよ。と、いつかの私の目を見てはっきりと伝えてあげたいものです。

「ああ、この人浮気してる」と思った瞬間

正直そんな瞬間は多々ありましたが、特に「これは」と感じたことが、ある他愛もない会話の中で浮気のワードを私から発した時のこと。
それまでの話の流れに反して彼から「でも、そもそも浮気ってどこからかって問題があるよね」と言われたのです。

おやおや、それはどういう意図での発言だろうか。
ちょっとした違和感を覚えた私は不審におもう気持ちを加速させて、あの発覚の日を迎えることになります。

繰り返される口説きテンプレート

これは発覚後のことですが、ある種面白い体験だったため書き留めます。
今回の発覚は友人同士という特殊な状況だったため、発覚した時に色々と状況をすり合わせました。その中で驚いたことが、私がはじめて彼に会った日にされて「ん、なんかドキドキしてしまった」と思ったことと、まったく同じことを友人もされていたということ。私がはじめて会った時と、友人が会った時とでは2年近くの時の違いがあるにも関わらず、同じことをされていたのです。

きっとそれは彼にとって決め技のようなもので、私はそれにまんまとかかってしまったということなのでしょう。なかなか情けなくも恥ずかしい感情におそわれながら、もはや笑えてきたのも今となってはいい思い出かもしれません。

具体的になにをされたのかはお酒の席の肴にさせていただいております。


【非推奨】浮気性を許容する気持ちの持ち方

これについては実は以前にnoteを書いています。

ここから書くことはおかしなことです。
到底推奨できるものではありません。

今回身をもって体感しましたが、浮気をする人は繰り返します。一種の不治の病です。
それを理解してもなお、浮気性の人と一緒にいることを望む場合には、その特性を受け入れる必要があるのです。

浮気を許容するためには、浮気をする人の気持ちに寄り添って、その行動原理を理解しようとしてみてください。相手の状況をみて、情報を整理して、浮気をしてしまう理由を作り上げてみてください。

その上で、「こういった事情があるのだから、繰り返してしまうことは仕方ない。そして、私ならばその特性も理解した上で彼を大事にできる。こんな人は私くらいしかいないはず」「なにかがあっても私のもとに帰ってくるでしょう。だって、普通なら気づいたら皆離れていくでしょう」と言い聞かせるのです。

……書いてみて、あらためて実感しますが、当時の私は愚かですね。

そんなことをしても、自分が傷つくだけなんです。
そして、自分を大事にできない人が、人を大事にできるわけがないのです。
愛を知らない人が愛を語ることはできないのです。

自分を守ることができるのは、結局は自分。
・傷つける人からは一刻もはやく逃げること
・違和感からは目を背けないこと
これを大事にしていきましょう。ね、自分。


番外編:だらしなさは他の部分にも

これはちょっとした備忘録。
女性関係の問題がだらしない人は、ほかの部分でもだらしなさが多分に現れるように思います。これもまた目を背けてきていたことですが、仕事を一緒にする中でも、日常生活の中でも、経営者としても、目に余る行動は多々見受けられました。

離れることを決めた直後に即時仕事関係の解消を進めたことには、これがあります。信頼できない人に、自分の欲にだけ忠実な人に、私の大切なクライアント、友人・知人をつなげることはできません。


ふう。
かなり長くなりました。
公開すべきか、悩んで悩んで、半年。
冷静になった今だからこそ、読み返して、文章を熟考しなおし、あらためてあの感情を反芻し、武器にしていく作業を繰り返しながらここまで書いてみました。

ここで得た感情の動きは、確実に今後の表現活動において武器にしていきます。そして、私生活においては本質を見抜く力を身につけ、いつか本当に大切な人に出会った時には、あらためて真摯に向き合うようにしたいな、と思っています。

「自分を大切にすること」
これを忘れてはいけませんね。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

2023.12
松井花音

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