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戻せない時間。最大の後悔。

物心がついた頃から、父親のことを「おじさん」と呼んでいた。

特にその呼び方に疑問を感じることもなく、さも当たり前のように。

もちろん紛れもなく血の繋がった父親で、今考えてみても、「おじさん」と呼び始めた最初のことを覚えていない。

ただ普通の家庭と違うことがあるとすれば、その父親には別の「奥さん」がいた事だった。

つまり、私は認知子だということ。

父(おじさん)がその辺を含む事情を話してくれたことがあって、幼いながらに理解したのを覚えている。

そんなに幼い頃に話すような話ではないのではないかと今は思うけれど。

父(おじさん)の奥さんは子供が出来なくて私の母との間に子供を作り、それが私だった。

そして更に驚くのは、私の母と父(おじさん)の奥さんが仲良しだということだ。

なんと未だにランチに行ったり遊びに行ったりと交流をしている。

色んな人間関係があっていいと思うから大人になった今はなんとも思わないけれど、不思議な関係を間近で見てきた私は、おかげで昨今の多様化社会に柔軟に対応できるし、大人な価値観を持つ人が周りに集まってくれてありがたいと思っている。


父は何年も前に亡くなってしまった。

私が高校に入ったあとどのタイミングだったか忘れてしまったけれど、父は奥さんの地元に奥さんと一緒に引っ越していった。

その後、思春期の頃からのわだかまりと性格のせいで数年間ろくに会うこともできず、父の奥さんからの手紙で父が病気で入院していることを知った。

すぐに仕事を休んでお見舞いに行ったら、もう今までの父の面影はなくて、喋ることも出来ないほどの病人になってしまっていた。

しばらくの間手を握り、涙だけは流さないよう父と過ごした。


帰ってから、わんわん泣いた。

後悔しかなかった。

もっとたくさん会いに行って話をして一緒に過ごせばよかったと。

親不孝なことをしてしまったと。


その翌日、父は息を引き取った。


きっと、私が来るのを待っていてくれたんだと思う。

お葬式にはたくさんの人が来てくれた。

父の人望の厚さを誇らしく感じた。

お葬式でも病院の時と同じでどうしても涙は見せたくなくて、笑顔で見送りたくて、気丈に振る舞った。

自分は大丈夫だから安心して天国に行ってね、と伝えるように。

数年経って、未だに悲しみと後悔は消えない。

これを書いている今も泣きながらだし、たまに思い出してはすぐ泣くし。

元々涙もろいのが、歳を重ねるごとにどんどん涙腺が緩くなってしまったらしい。

あの頃に戻って、もっと父を大切にしなさいと自分に言ってやりたい。

でももう時間は元に戻せない。

だから、今まだ記憶が残っているうちに、父との思い出を断片的にでも文章で残しておきたいと思い、ここにエッセイとして書かせてもらいました。

今、父に出来なかった親孝行を、代わりに母にたくさんするようにしています。


両親と上手くいっていない人はたくさんいると思うけど、どうか、皆さんは私のように後悔しないでください。

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