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#136;子供と自然の草木の感じが似てる。

子供(未就学児くらい)と同等のチカラで遊ぶ感覚と、自然の草木の感じっすごく似てる‼️
それとか、動物たち。
草木や花、動物たちとは直接日本語で会話のやり取りはしないけど交流するでしょ。



コロナ禍が落ち着いて各種イベントが催されるようになったね

野球もさ、初めて声ありのガチ応援がある中での今シーズンを体験しています!
贔屓の球団は応援のまとまりで定評があるので、選手たちも好調で一丸となってる雰囲気が楽しいっす。


それで、今日は会社関連のメーデーイベントに参加しました。

社員もお子さんたちを連れて来ていて、5人くらいの子たちと仲良く遊ばせてもらいました。

わたしは、自分には子供がいないけれど、
例えば同期や後輩の未就学児や低学年の子と行動を共にさせてもらう機会が何年かに一度訪れる。

今回は10年ぶりくらいの、未就学児達と遊ばせてもらう機会でした。


さすがにだいぶ歳をとったから、時代が変わって遊ぶ感覚って変化したりしてるかな??
どうやって目の前の子の心に近づこうかなって思っていたけど、ぜんぜん対等に遊びに全力でぶつかって来てくれたのが楽しかった!!



わたしは、会社の後輩でもどんなに歳が下でも、
相手を1人の「人」として接する。
それが子供でも。

子供と同調してくには、自分が大人だというのは忘れて
なんていうのかな。。。
魂同士として向き合う感覚にいる。
親や大人として“上からの目線”になるんじゃなくて、同じ目線と、彼らの観てる世界に自分が同調して賛同する感じかなぁ☺️

なんかそうすると、彼らから近づいてくる。
危険や他の人に害が無いことは見ながらも、その子供がしたいように振る舞わせる。


そんなこんな、一緒に遊ばせてもらって。
帰り道、新緑や春の草木の花が生い茂ってるところやなんかを通りかかると、さっきまでの子供らと遊んでいた感覚と同じものを感じたんだ‼️

すごいびっくりしました。


家に帰って来て、Instagramに流れてくる鳥や猫やら動物たちの動画を観てさらにその感覚が確信したので、ひっさびさにnoteを書いたよ。

年齢やスペックで相手を見ないわたしは、
おそらく普段からこうして目の前の人のエネルギーというか、その人の本質の部分とやりとりしとるんだと思います。


四六時中一緒にいて、子供が心配がゆえ、
あーしなさいこーしなさい!
それはダメ!
ってどうしてもなりがちだと思う。
けれども、なんだって良いと思うんだ。

あ、自分に子供がいたとしても放牧というか、子供の感覚を優先する育て方をすると思う。
やりたい事をやらせて失敗して、怪我して、風邪ひいて、自分で思ったことを選択して実行した時の達成感や反省や楽しさ、なんか違うなとかその「感覚」をその子自身で体得して欲しいし、
それしかないと思うから。


大人は、その行動範囲の広さや財力で、子どもに『こういう選択肢がありますが何か好きなのありますか?』って見せる役目と思う。


それらはさておき、“純粋に感覚だけで居られる”ってわたしにはとても大切で、クリアになることが分かった☺️
シンプルでいられて感謝や〜


おしまい。

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