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京都を離れて、金沢に住んで

修士設計が終わった後のあれやこれやで、文章を書く余裕もなかったのですが、ようやく少し時間に余裕ができました。

6月に京都を離れ、金沢に戻り、インターンに行ったり、オンラインでアーティストリーの休憩所を考えたり、金沢の街を考えるワークショップに参加したり、修士設計をしたり、時々対面でゼミに出たり・・・と、あっという間に時がすぎ、京都と金沢を行き来した生活があと1ヶ月(もない)となって、改めて感じたことを残しておこうと思いました。

学校のある京都を離れたのは正しかったのか?

何個か前の記事でも書きましたが、京都を離れ、製図室から離れ、失ったものもありました。ですが、金沢に戻ったからこそ得たものや繋がりもたくさんありました。

何が言いたいかというと、「選択に正解」など無く、「自分の選択によって、何を得たのか」が何倍も大事であることを改めて感じました。そして生きている限り、得るものと失うものは表裏一体だということです。たかが居住地の話ですが、あらゆる事に通ずる話だと思います。

「家を建てる」=「コミュニティ」に属すという無言の意思表示

「家を建てる」でまとめましたが、マンションなどを買う場合も同様とします。

私は京都で計5年ほどひとり暮らしをしていましたが、恥ずかしながら、ご近所さんに挨拶することもあまりないし、それに対して違和感も感じていませんでしたし、きっとご近所さんに自分のことを噂されることも無かったのだろうと想像できます。

ところが、金沢(実家)に戻ってすぐの次の日、家の前を歩いていると、全く知らない人にいきなり「こんにちは〜」と言われました。

数日経って、母が誰かに「娘さん戻ってきたんですね」と話しかけられている声が聞こえました。

3ヶ月経てば、「いってらっしゃい〜」と、どこに住んでるかも知らないけど時々顔を合わせるおばちゃんに言われるようになりました。近所の小学生が、話しかけてくれて、学校で起こった話をしてくれたりもしました。(私にとってはこれが可愛くてたまらない!笑)

5年でほとんど起こらなかったコミュニケーションが、たったの数ヶ月で何度も起こりました。そしてこの違いは何なんだろう、と。

「誰かと(私の場合は家族と)住んでいること」

「建てた家に住んでいること」

この2つが決定的だったのでは無いかと感じています。
金沢に限って言えば、今も郊外に住宅を建てるのがある種一般化しています。つまりご近所さんがみんな「ここに属します」と意思表示していて、必然的に狭いコミュニティが出来上がっている。だから私が帰ってきた、という些細な変化もすぐに気づく人たちがいる。

乱暴に言えば「コロナに罹ったらすぐに噂される」そういうものを感じました。つまり、ここには匿名性がありません。

京都に住んでいた時は、「賃貸物件に一人で住む1学生」ですから、ご近所さんにとってもある種「よそもの」でしょうし、そのサイクルも4−6年ですから、よっぽど問題を起こさない限り、噂されることもない。つまり匿名性の中で生きていた、と身をもって感じました。

だから「家を建てる(とここではまとめて言います)」って、無言の「コミュニティに属します」という意思表示なんだ、と改めて思ったわけです。

勿論、賃貸物件に住んでいてもその地域とコミュニケーションがある方もいると思いますし、賃貸などでも地域コミュニティに属せるようなデザインがされているものも存在します。あくまでも「普通の」賃貸物件に住む学生から「地方の実家暮らし」になった私が感じた大きな差と気づきをここでは書き留めています。

「噂」されると言えばマイナスに感じますが、裏を返せば、「気にかけてくれる人がいる」ということですよね。実際、話したことのもない人でも近所を歩いてたら挨拶する、ってある種の安心感がありましたし、豪雪の時はご近所さんみんなで協力して、助け合って雪かきもしました。「コミュニティ」という監視の目があるからこそ、どの家も総出で雪かきをする。監視といえば冷たい表現ですが、そうやって生まれた助け合う瞬間って、私にとってすごく暖かい光景でした。

アフターコロナというか、今後の社会って、こういうマイクロコミュニティがもっと重要になるんじゃないかなと思ったりもします。勿論「非匿名性」であるが故の居心地の悪さもあると思いますが。(やっぱり得るものと失うものは表裏一体なのでしょうね)

集まりがズルズルと終わらない非効率な場が案外効率的だったりする

もう一つ、意味が分からない小見出しですが、リアルな場の持つ祝祭性を身にしみて感じたということを1つ書き留めておきます。

私は学校の場から物理的距離があったこと、家族との同居であったこと、そしてコミュニティが持つ非匿名性もあり、できる限りオンラインで過ごしました。(この件に関しては色々対応してくださった方々に本当に感謝しています)

例えばオンラインの講評会って、移動時間も無いし、予め計画された行程通りに行われ、ちゃんと「終わる」んです。だけど、あのぶつ切りのような「終わり」って何かもの寂しさを感じていました。

私自身、「効率性」を重視のタイプの人間(だと思っていて)で、何かの集まりやそれこそ飲み会の終わった後のなかなか解散のタイミングが分からず、締まらないことを、「ダラダラと効率が悪い」と思うことも時々ありました。

もちろんちゃんと終わる素晴らしさもあるのですが、あの「だらだらとした名残惜しい雑談」から面白い議論に繋がったり、「これやりましょう!」って話になったり、そういう「偶発性」が生まれやすかったり、「本音」が出やすい場所であったのではないかと感じたのです。それって、実は意外と「終わり」のはっきりした場を何回も繰り返すより「効率」がいいのでは無いのか、そう思ってこの小見出しを書きました。

これって掘り下げると「効率」で語る話では無いですし、勿論オンラインの会議などでも「名残惜しくてズルズルやっちゃう〜」みたいなことはあると思います。ただ、それってお互いに気を許していたり、お互いをよく知っていないと起こりにくいような気がしました。少しでも「壁」があるときに、それを崩しやすい雰囲気って「リアル」な場所が持っているなあと。

つまりリアルな場所で人と会って話す空気感やその雰囲気、ある種の祝祭性って、「だらだら話してしまう」を誘導させるんですけど、それってめちゃくちゃ人間らしいというか、私が一番恋しく感じている1つなのかも。と思ったりしました。

まあ、これは金沢に戻った戻らないは関係なく、オンラインで集うことが増えた今、感じている人が多いことなのかもしれませんが。


今回は一部抽象的にバラバラと書きましたが、次は金沢のまちのことや改めて「家族と暮らしたこと」を書き留めようと思います。(多分)

あと数週間、やりたいことは21美の「スケールス」展に行くこと、石川県の瀧光夫建築を見ること、なんだかんだ谷口吉生の総湯や安藤忠雄の西田幾多郎記念館に行けてないので、行くこと。福井の朝倉遺跡に行ってそばを食べること。


・・・きっと全部は無理ですが(笑)金沢が、北陸がもっと好きになった今、あと数週間、大人しくこぢんまりと、楽しもうと思います。

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