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もう一度、絵を描き始めた

これは、私がまた絵を描こうと思ったきっかけと、そのバックグラウンドの小さな話です。あんまり留学の話もしてなかったので、少し盛り込んでみます。

私は周りの友達ほど習い事をしている子供ではなく、だけど絵画教室だけは3歳のなりかけから高校になるまで通いました。(それと英語も一応習っていましたがこちらは2−3年でやめました。けど結局言語学習も好きだし結局色々つながっているような・・・笑)

物心もついていない時だったので、好きで始めたのではなく。母がよく絵を描く私を見て習わせてみたのがきっかけ。けどきっと好きだったから続いたんだと思います。

絵画教室では水彩画から彫塑、時々水墨画?をやったり、器も作ったし、絵画教室というか、「つくる」を色々してました。その中でも、大体小学校4−5年生くらいからやりたい子がやるのが油絵。

私は大人になった今も絵やイラストを描いたりしますが、高校、大学では忙しくてあんまり油絵を描いてませんでした。

そしてふと、先月、久々に描こうと思いました。

きっかけは私の大親友であるドイツの友人が8月末に誕生日だったこと。それに加え8月末に日本での1年間の留学を終えて帰ってしまうから、最後にどこにもなくて、そして思い出を呼び起こすものを贈りたかったのです。

彼には私のドイツ留学で出会ったので、2年前です。そして私の帰国と同時に彼が日本にやってきて、丸々2年ほど一緒に勉強しました。

彼から学んだことを感謝したかった、そんな思いで絵を描きました。

私がドイツに行った時から彼は1年後私の大学に行くと決めていました。だからといって最初から仲が良かったわけでもなく。専攻のチューターとして色々仕切っていた姿は留学生である私からは少し遠いような存在でした。

そして彼は同じ専攻の中でも、作るもののセンスや個性がズバ抜けていました。そして私はそんなスキルに付いて行きたくて、吸収したくて、なるだけ学校に行くようにしていました。

学校に行くのはそれ以外にも、コミュニケーションを嫌でも取らないと、友達ができないことや、何より英語が上手くならないというのもありました。(ドイツ語じゃ無いのは突っ込まないでください。笑)

自分が悪いのですが、本当に英語が(特にリスニングが)できなくてしんどかったけど、飛び込むしかなくて。でもそうしてたら、周りの人は自然と気にかけてくれたり、コミュニケーションをとってくれるようになるものです。そして、「いいものを作ろう」と製図室に通っていれば、同じモチベーションの仲間は勝手に付いてくるものなのかもしれません。気づけば私の席の隣はその彼になっていました。

会話を理解できていないのに、わかったフリをする私にも本当に寛容で、黙って「わかったふりしたな」って、私が英語にコンプレックスを抱いていたのを理解して飲み込んでくれていたの感じていました。でも、それに甘えてはいけないと、次第に「わからない」と言うようになりました。こんな当たり前のことが自分には難しかったのです。

そんな気持ちも打ち明けられるようになり始め、趣味や思考、建築へのモチベーションが近かったのもあり、お互いに尊敬できるような関係になっていました。初めは聞き取れなかったり、理解できなかったジョークも次第に笑えるようになり、それから毎日のように冗談を言い合い、思ったことや感じた事を言い合える、気づけば「日本にこれから来るから」とかは全く関係なく、ものすごく近く、かけがえのない友人になっていました。

学部時代をほとんど「建築」(とバイト)で突っ走ってきた私にとって、あらゆる方面に興味を示す彼に刺激を受けました。よく日本の文化のドキュメンタリーのyoutubeを送ってくれました。そしていかに自分が文化に無関心かを知りました。政治の話や世界情勢の話もしました。そうやって私はあらゆるジャンルのドキュメンタリーにハマり、建築だけでなく世界で、社会で、何が起こっているかや、多様な文化やそのバックグラウンドを知ること、そういう広い視点をもつ大切さに気付きました。それはどこかで、建築や空間を作る際に繋がっていくのだと。

そうして、尊敬できる友人が次は日本に来たのです。


彼を初めて少し遠くまで連れて行ったのは、琵琶湖でした。


私たちはCulture of water というルツェルンの大学とのジョイントスタジオ(同じ課題を海外大学と行い、両方の先生から講評をもらったり、学校間でグループワークをすることです)に一緒に取り組み、同じ敷地が割り当てられたので、一緒に敷地調査に行きました。

それはほとんど1年前、10月の頭でした。

私が彼と日本で過ごした日々で、一番美しい日でした。

琵琶湖バレイの最寄り駅、「志賀駅」から5分ほど歩くと、人がほとんどいない湖岸にたどり着きます。そしてそこをさらに5-10分歩くと、デルタがありました。後ろを振り返ると、比叡山が迎えてくれます。そんな場所です。

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晴れているようで曇っている、そんな日でした。

比叡山の山は薄いグレーの雲に覆われていて、湖面は薄いエメラルドグリーンに輝き、聞こえるのは波打つ音。そこにいるのは、私と、彼と、魚釣りをする1人の地元の人だけでした。

ドイツで、日本で、たくさんの思い出があるし、たくさん美味しいものを食べて、笑ったけど、あの日が一番美しかった。ドイツへの帰国前、彼ともそう話していました。

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だから、それを自分なりに表現して、贈りたいと思ったのでした。

誰かのために絵を描くのは久々でしたが、蘇る思い出や感謝の気持ちに溢れて描くことは、何よりも楽しいことです。相手がいるって素晴らしいことなのかもしれません。


そうやって、久々に油絵を描きました。

そして、やっぱり油絵が一番好きだと、10年ぶりに思ったのです。

あのフワッと香る独特の匂いも好き。


なかなか時間は取れなくなってくるかもしれないけど、描けるときに描き続けていたい、小さな0号でもいいから、描いていたいな、とそう再び思って、

私はまた、絵を描くことにしました。

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