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2023年9月のあたふた

前に暮らしていた街のこと

引っ越しをしたのは十月に入ってからなのだが、やはり九月中はずっと引っ越しのことを考えていた。いまは、無事新居でこの記事をしたためている。

家探しのこと、引っ越しのこと、新居のこと、新しい街のこと、色々と言葉にしたいのだが、それはまた別の記事にしようかな。でも、気に入ってます。いろいろ。もちろん100点ではないけれど、人生のこのタイミングで100点を取ってしまうのも怖いので、これくらいで良い。

前に暮らしていた街の話。何もない街だった。街、というか、町。駅から自宅まで、コンビニの一軒もなかった。最寄りのスーパーまで行くのに、わたしの脚力では自転車を漕げないくらいの坂があった。西陽がきつかった。早朝には、近所に住んでいる大家の頭の悪い犬が吠えた。
でも、気に入っているところもたくさんあった。駅までの道行き、紅葉と百日紅が季節を知らせてくれたこと。窓辺でいつも猫が日向ぼっこしていたこと。ベランダから見える夕焼けがとても綺麗だったこと。

そして、美味しいものもあった。

どれも、五年間の暮らしの中で何度も行ったお店だ。あの街での暮らしを思い出すとき、一緒に思い出すことになる味。いま住んでいる街には、数えきれないほどの美味しいお店があって、週末に色々食べ歩くのがとても楽しい。食事という行為が好きなのだ。
学生街に住んでた若かりし頃、深夜にニコニコを観ながらマクドナルドのソルトアンドレモンばかり食べていたことや、新卒時代に住んでいた街で仕事帰りに松屋に行ったら「いま米がなくて、炊けるまで三十分かかります」と言われたことや、その次に越した街でマンションの目の前にあったコンビニでほぼ毎日ストロングゼロのロング缶を買っていたことや……街の記憶は食と結びついている。
だから、あの街で食べたものもいつか思い出してまた食べたくなるのかもしれない。今はまだわからない。

両親のこと

こちらで書いたこと。父が癌で、母が認知症、という話。

父はもう間もなく退院できるらしい。驚異の回復力である。ただ、食事は当分できないそうで、腸から直接栄養を取ることになるらしく、あまり理解できていないのだが、病気の老人だ、いう寂しい感慨がある。
母はというと、調子の良い日と悪い日が数日ごとに交互にやってくる。季節と同じように、その度にどんどん忘れていっているのかもしれない。彼女の頭のなかがどんな様子なのか理解してあげられないのがもどかしいし、だからこそ怖い。

先日、週末に実家に泊まりに行ったのだった。悲しいことに、つらい時間だった。この日に泊まりに行くからねと伝えたことを、母は三度忘れ、わたしは四度説明した。
正直なところ、行きたくなかった。行きたくないのだが、親孝行のつもりで、そりゃ心配な気持ちもあって、良かれと思って行くのだ。それなのに、「何しに来るの?」「用事があるの?」「意味がわからない」と言われると、困ったなという気持ちになる。もう一喜一憂したりしないし、傷ついたりもしない。でも、対処法がわからなくて困っている。面と向かって、あなたは呆けてしまったのだ、忘れてしまったのだと伝えるわけにもいかない。
実家に滞在中、母は何度も同じことを聞いてくる。そのたびに、新鮮な回答を心がける。間違っても、さっきも言ったけど、なんて言ってはいけない。ゲームのNPCになった気分になる。三度目の同じ話をしながら嘘笑いをして、虚しい気持ちになった。家から駅まで徒歩十五分かかるその距離が、はじめてありがたくなった。この気持ち、あんまり伝わらないかもしれないな。自分でもよくわかっていないのだ。

母からの着信を知らせる画面を見ながら、取るか取らまいかの逡巡の時間が積み重なって、どんどん腐っていくような気がしている。結局出るのだけど。娘だから。

友人の結婚式

学生時代の友人の結婚式に参列した。わたしの友人の中で、言葉を選ばずに言えば、もっともお育ちがよろしい。幼少の頃からたくさんの愛情と教育を受けてきたことを感じさせる屈託のなさの愛嬌がある一方、妙に腹が据わっていて、とても好きな子だ。ただ、育ってきた環境が違うから、二人で一週間の旅行に行ったら少々揉めた。唇が乾燥したからリップを塗りたいけれど、人前で塗るのははしたないのでどこか人目のないところに行きたいという彼女の奥ゆかしさにわたしは苛立ち、わたしはわたしで持ち前のガサツさと寝汚さで彼女を苛立たせた。かたや数代前から続く豊かな土地の地主の娘であり、かたや千葉の片田舎の成金の娘であった。

さて、その彼女。洗礼を受けている敬虔な(かは知らない)クリスチャンであるため、挙式は行きつけの教会(という言い方でいいのか)でおこなわれた。挙式のためのチャペルではなく、本物の、信仰のための施設で執り行われる挙式に参列するのははじめてで、とても良かった。
まず、讃美歌をあんなに何曲も歌うことになるとは思わなかったのだ。わたしももう三十代、これまでにもチャペル挙式に参列したことは何度もある。しかし、一曲も知らなかった。事前に歌詞付き楽譜が配られていたので、なんとなく音を取りながら小さい声で口ずさんだ。スピリットソングという曲がとても美しくて、あとでYouTubeで調べた。この曲だけは、歌えるようになった気がする。

新婦以外、知り合いがひとりもいない式だった。ひとりならひとりでも構わないのだが、同テーブルの人たちに気を遣わせてしまっては申し訳ないなと思いつつ披露宴会場に向かうと、わたしが配されたのは同学閥テーブルだった。わたしの母校は、愛校心が強いことで知られている。わたしも、結局はそのひとりだ。おそらく、わたし以外の人たちもそうだったようだ。
初対面同士も多い面子だったが、甲子園のこと、専攻のこと、知り合いの知り合いのこと、就職先のこと、新婦との馴れ初めのこと、なんだかんだと喋り尽くしてしまった。楽しかったかと問われれば、いま思い出すとそうでもないような気がするのだが、そのときはなんとなく浮かれた気持ちになっていた。テーブルの正面に座っていた男性がとてもいい感じで、仲良くなれたら楽しそうだなと思ったのだが、二次会もなく解散した。名前もわからないままだ(座席表を見ればわかるのだが)。当たり前か、初対面なのだから。でもあっても良くないか? あのとき、もう一杯いく人!と尋ねたら、誰か来てくれたのだろうか。二十代前半だったら言っていたと思う。人との距離感がおかしいサークルクラッシャー的酒クズだったため。

謎の野菜がアスパラに輪投げされていて面白かった


10月まとめの予告

  • 引っ越しのこと

  • シャニマスのライブのこと

楽しいことと悲しいことがちょうど同じくらいあって、でも悲しいことの質量がどうしても大きい。それでもわたしはとても強いので、なんとかなってしまう。生命力が強いのだ。強さと鈍さがわたしの美徳だし、そういうところを誇ってもいるけれど、同時に弱みでもあるように思う。端っこからベリベリと剥がれていくものがある。
たまに目にするものすべてが恨めしくなるし、自分でもこわくなるような正直な気持ちが、確かに頭の片隅にある。
直接声をかけなくてもいいので、というかかけないで、なんか大変そうだけど頑張ってるわねと思っていてくれたら、わたしの中で救われる魂があると思う。

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