最近の鬱々話

暗いぞ。

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父が癌になり、母が認知症になった。

父は健康には人一倍気を遣っている人だが、若い頃は酒と煙草と仕事でだいぶ無理をしたようだ。それが祟ったのか、歳を取ってから消化器系の癌を拵えた。手術と抗がん剤治療ですっかり治ったはずだったのだが、十年の時を経てまたひょこんと復活したらしい。転移はなかったのが幸いだったが、手術は十時間超にも及び、一ヶ月にも及ぶ入院になった。手術は無事に終わったが、今もまだ面会謝絶の入院中だ。

父の入院を機に、母は一時的な一人暮らしとなった。父は自分の病よりも母のことを心配していたようで、頻りにわたしに「よろしく頼む」と言って聞かせた。確かに日々の炊事は父の担当で、母はわたしが物心ついてからこの方ずっと専業主婦として悠々自適な暮らしをしていた。父がICUに入っている間、母と密に連絡を取るようになって気がついた。母は明確に呆けていた。

これまで、様子がおかしいな？ と思うことはあっても、深く考えることはせずにそのまま素通りしてしまっていた。考えたくなかっただけかもしれない。もっと早く対処していれば、と思うが、今さら言っても仕方がないことだ。

母は、父の手術日も何度も間違えたし、ICUに入っている間は連絡が取れないことも度々忘れた。過剰に心配して泣き、また忘れて、思い出しては泣いた。ICUに入っている間、病院側がZOOMでのテレビ通話であれば面会できますよ、と提案してくれた。父の顔を見れば母も安心するだろうと思い、有り難く提案を受けることにした。しかし問題は、母が一人でZOOMなど使えるわけがないことだ。

異国に住む姉と調整して面会の日取りを決め、その前日に一時間半かけて実家に帰り、母にZOOMの使い方を教えた。新入社員に接するよりも優しく説明した。メモに懇切丁寧に手順を記し、二時間弱の滞在の中で何度かテストもした。彼女は終始不安そうにしていて何度も弱気な言葉も漏らしたが、わたしは「大丈夫、いま出来たじゃん」「三つボタンを押すだけだよ」と励ました。
蜻蛉返りでまた一時間半かけて新居に行き、色々な辺の長さを測ったりした。引っ越し自体は楽しみなのに、言い知れぬ不安がずっと心のなかにあって、叫び出しそうだった。

その夜、帰宅して葡萄を食べていると母親から「頭がおかしくなるから連絡がほしい」とLINEがきた。正直なところ気が付かないふりをしたかった。でもわたしは娘なので、電話をかけた。すっかり意気消沈した声の彼女は、翌日の面会の予定を綺麗に忘れていた。「面会するの？ 誰と誰が？」と問われ、ずしんと腹が重くなった。そういう可能性はじゅうぶん分かっていたはずなのに、必要以上にショックを受けてしまった。三分ほど会話したあと電話を切って、泣いた。「全部忘れちゃってた」と泣いていると、せがんでもいないのに、配偶者が珍しく頭を撫でた。
わたしが書いた、面会の日取りや手順が書いたメモを破りに行きたかった。それを一緒に壁に貼ったことも忘れてしまったのだろうと思うと、彼女がそれに気がつく日が来るのが怖くなった。来ないのかもしれないけれど。

面会の日、わたしは結局母を呼ばなかった。おそらく出来ないだろうと判断したためだ。余計な刺激を与えるのが怖かった。父と姉と三人で少しだけ顔を合わせて話をした。父の回復は目覚ましく、もう話したり歩いたりしていた。リハビリは長くつらいものになるだろうが、元々身体を鍛えていて真面目な人なので、そこまで心配していない。やはり父は母のことを気にかけていた。ごはんは食べてるみたいだよ、と当たり障りのないことだけを伝えた。一緒に暮らしている父が、母の認知症に気がついていないはずがないと思う。どうして早く病院に連れていかなかったのかと詰りたい気持ちがあるが、気がつかなかったわたしも同罪なのだ。あるいは、母が通院を嫌がったのかもしれない。実際、わたしがそれとなく病院に誘ってみても、悲しげな顔で拒否をした。何かに怯えていた。

面会を終え、父の様子を報告するために母に連絡をすると、母は面会の時間にスーパーに行っていたようだった。やはり呼ばなくて良かったと思った。

父の入院はもう暫く続く。週末にはなるべく帰省しようと思っているが、正直なところ泣きたいくらい憂鬱だ。病院に行こうと言っても嫌だと駄々を捏ねる彼女を御する術がわからない。早く父に帰ってきてほしいと切に思うが、それじゃ病上がりの父に母を押し付けているみたいだ。
わたしの配偶者は本当に優しい人で、わたしたちの家の近くに引っ越して来てもらおう、と言ってマンションまで調べてくれている。今の家は老いた両親には些か大きすぎるので、いい物件や施設があれば誘いに乗ってくれると思う。

両親の老いというのは避けられないものだし、病も痴呆も誰もが通る道なのかもしれない。ただ、それが同時に、何の準備もできていなかったところに襲ってきたもので、かなり参ってしまった。今は受容の時期なのだと思う。何もかもが平気になるように、これが普通だと理解するまで、少し時間がかかりそうだ。こういうのが大人になるってことなら、本当にうんざりだね。みんなもそう？