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人種差別、そして反黒人主義に、日本の私たちも加担している(前半)

「白人警官が黒人を殺した、だから黒人たちは怒ってデモをして、暴徒化している。」

今起きているアメリカの動きはそういう単純な話だと、アメリカに住んでいる私も当初思いました。でも、調べていくと「どうやら暴徒化はデモ参加者だけではなく、州外から来た人たち、白人もかなり含めて起こしている、そして警察側も暴力を引き起こしている、かなり複雑な状況」と気づきました。

そして最もショックだったのは「アジア系アメリカ人の警察官がジョージ・フロイドさん殺害現場にいた」こと。そのアジア系警官は白人警官がフロイドさんの首を膝で地面に押し付けている間、通行人が近寄らないようにその犯行の場をガードしていたのです。アジア人も「有色人種」であり、黒人と同じ側にいるのではないかと、黒人を守る側にあってほしいと思っていました。なんで、彼は白人側にいたのでしょうか?

私を含め、多くの方にとってアメリカで黒人が警官に殺されたことは「人種差別が酷い国アメリカ」に限定された話だと感じるでしょう。黒人なんて日本にほんの少ししかいないですし。でも、本当に日本には白人が優れていると考える白人至上主義、黒人が劣っていると考える反黒人主義はないのでしょうか?

身近な例を挙げてみましょう。

• なぜ日本で描かれたセーラームーンは金髪、青い目、白い肌なのか?
• なぜある日本企業が企画した大阪なおみさんの漫画キャラクターは実際の彼女の肌の色よりもずっと白く肌の色を描かれたのか?
• なぜテレビのコマーシャル、雑誌、広告に白人は沢山登場するのに、黒人はあまり登場しないのか?

実は、このブログを書いている私も、自分が人種について意見するなんて信じられないほど、アメリカの人種問題は自分ごとにならなかったです。在日コリアン、沖縄、アイヌ、部落の人たちへの差別とは向き合わなくてはと思っても、アメリカの人種問題は日本に関係ないと思っていました。でも、私は今この瞬間も自分が加担しているのが我慢ならない。なぜ、そう思うようになったのかを書きます。

私は現在アメリカの大学の社会学博士課程に所属し、市民参加や社会運動を研究していますが、アメリカの人種問題は専門ではなく学び途中です。専門家の意見としてではなく、一学習者の学び、気付きとして、みなさんの学びに役立ててもらえたらと思います。

人種差別は自分にとって遠いもの

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私は普通の人たちの声が尊重される社会に生きたいと思い、11年間の会社生活を止め2012年からアメリカに留学し、大学院卒業後にニューヨークのNPOでインターンをしました。その時働いた団体はMake the Road New Yorkという名称で、ニューヨークの低所得者層、特に南米からの移民の人たちと共に声を上げて生活や社会を良くしていく活動をしました。その活動の一つが、今まさに問題になっている黒人に対する警察の暴力でした。特に日常的に起こることとして、肌が黒いというだけで警官に路上呼び止められ、身体検査をされます。受け答えがまずかったり、少しでも怪しまれるものを持っていると逮捕され、最悪は刑務所に。悪いことをしたから捕まる、刑務所に送られる、ではなく肌が黒いからそうなってしまうという仕組み。それで学校にいけなくなる、仕事を失う、人生を失う人たちが多くいました。実際1980年ころから刑務所に人を送りこむ政策が強化され、1980年に50万人だった刑務所人口は2015年には220万人と四倍になっています。そして黒人は白人の5倍以上刑務所に送られています(1)。2001年生まれの黒人男性は3人に1人が刑務所に送られる可能性があるという試算もあります(2)。

それでも日本人でそういった「あからさまな差別」を受けない私としてはなにか自分が「マイノリティなのだけど差別されていない特権」を持っているようで居心地が悪かったです。その後、私は日本に戻りNPO活動を4年間日本でして、市民参加のあり方をもっと研究したいと思い、去年から博士課程をアメリカ中西部の都市、ピッツバーグで始めています。そこで去年の秋、今までにない体験をしました。

ある金曜日の夕方、私は同じ社会学部の学生や若い教授たちがカフェバーで集まっていると聞いたので、遅れて行きました。パスポートのコピーを持っていたので年齢証明として出しましたが、駄目だと。でも、私はアルコールを飲めない体質で、友達と少し話したいだけだから、と伝えたら、まあいいよ、となり中に入りました。しばらく友人たちと話していると「あなた、出ていきなさい」とウェイトレスが。なぜかというと「有効な身分証明書がないから」と。しかし友人たちもそれはおかしい、私はそもそもお酒飲んでいないしい、そういうことをアメリカ人の学生には言わないよね、となったのです。私は国際免許証も持っていたので出しましたが、店のマネージャーも全く聞く耳を持たない。友人たち全員立ち上がって抗議してくれましたが無駄。みんなで店から出ていくことになりましたが、友人数人は店員から無理やり腕を掴まれたりしていました。

今でも忘れられない光景は白人マネージャーが私の存在を全く無視して、顔もみずに駄目だと、出ていけ、何度も繰り返したことです。自分を人としてみてもらえない、声が全く聞かれないという恐怖。そこから一週間、トラウマで怖くて外を歩くのが嫌でした。そして、これが毎日のように、肌の色がもっと黒い人達、黒人の人たちにもっとひどいレベルであると考えるだけで、この国にいるのが辛く出て行きたくなりました。(法的に考えたら、州が発行した身分証明書を持っていなかったから、という結論なのですが、「見た目だけで人として扱われない」というのが伝えたいところです)

「日本人」は人種差別に無縁?

ちょうどその時、アメリカの人種問題について授業をとっていました。そこでの学びが私を自分の傷つきで止まることなく、人種差別、とくに白人至上主義(white supremacy)、反黒人主義(anti-blackness)について何かしなければを思えるように発展させてくれたのです。

自分が「日本人」であることに疑いを持たず、差別を感じたこともない人にとって、日本では人種差別を感じることはないと思います。そして海外に行ってもそこまで感じないかもしれません。ただ、過去の事実を考えるとアメリカでは日本人、日系人を第2次世界大戦時に強制収容所に入れ、また原爆を白人が住むドイツには落とさずに日本に落としています(他に色々理由はある上で敢えてこの点を挙げます)。「日本人」も白人をトップとする人種ヒエラルキーの中で差別される対象であることは明確です。

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日本はアジアの国々が欧米に植民地化されはじめたときに、自国を「近代化」し、憲法や議会政治を整えて欧米と対等な地位につけようと早く動きが取れたこと(それでも欧米諸国からかなり差別は受けていた)、戦後は日本が経済大国になり、品質と機能のよい製品を生み出し、アニメなど多くの人を魅了する文化を発信することができて、国際的な地位があがったことは、差別を感じにくい理由の一つだと思います。

それではアメリカの人種差別は、日本に無縁のことなのでしょうか。

文化人類学者のジェミマ・ピエールはアメリカの黒人が経験した、奴隷制や植民地主義は過去のことだから、現在のアフリカ諸国では影響ないとされているが、それは違う。欧米諸国によるアフリカ諸国の植民地化は、白人至上主義と反黒人主義に基づいて行われたため、アフリカ諸国においてもそれらが根付いてしまっていると主張しています(3)。日本も、戦前は欧米諸国の帝国主義に晒され、戦後はアメリカに占領された経験があります。欧米における黒人やアジア人の人種での立場や扱われ方が、日本に住む人達の人種の捉え方にも影響していないとは言えません。

そしてアメリカの映画、音楽、ファッションなどの文化を日々消費し、政治にも影響されている私達がアメリカの人種ヒエラルキーを取り込んでいないわけがありません。実際に日本のみならず、全世界に白人をトップとする人種ヒエラルキーが行き渡っています(4)。

先程述べたように、日本人などアジアに住む多くの人々も「黄色人種」とされて過酷な差別を受けてきました。でも、これは過去のことではなくて、今は目に見えにくい形になっているだけなのです。どう見えにくくなったのでしょうか。それが黒人差別と、どうつながるのでしょうか。

人種って「科学的」?

まず前提として、現在の学術研究では人種というのは私達が社会で創り出している「人為的なもの」としています。18世紀以来、西欧諸国が植民地支配を進める上で白人が優等であり、それ以外の見かけがことなる他の大陸や島の人々は劣っていると捉える必要がありました。

大変恐ろしいですが、19世紀後半のアメリカの社会科学と科学はその当時の世論に合わせて、白人至上主義をさも証明したかのような学説を沢山だしていました。しかし人種間の優劣を証明することは難しいと遺伝学がまず諦めました。現在ではそういう学説は少なくなりましたが、人種の優位性を主張する学説が消えることはありません(5,6,7)。

つまり、人為的なもののため、歴史と共に人種の考えも変わっています。では、どのように人種は変わってきたのでしょうか。

肌の色の濃さで人生が決まる

最近の一般的な人種の捉え方として、カラリズム(Colorism)という、より肌の色が白いほうが優れている、美しいという方向が強くなっていることが分析されています(8,9)。同じ黒人の中でも、肌の黒さが薄い人から濃い人までグラデーションがあります。アメリカ国内の研究では、その肌の黒さが薄い人のほうが優遇されている、社会的にも成功して健康な人生を送れる、ということがわかっています(10)。興味深いことに自分の社会的地位が上がると、自分の人種を白人に近く考え、失業などで落ち込んでしまうと黒人に近いと考えることも報告されています(11)。

そして、このカラリズムはアメリカだけの話ではなく、南米など世界に広がっていることがわかっています。では、カラリズムの中で日本人はどこに位置するのか。平均的な日本人の肌の色は白人よりは白くないですが黒人や南米系よりは白い。そのため、カラリズムの人種ヒエラルキーではトップにはなれないですが、比較的上位を占めることができます(12)。

アジア人は「マイノリティのお手本」

もう一つ、特にアジア系人種である日本人の私達にとって関連が深い「モデルマイノリティ」というアメリカの人種概念があります。マイノリティのお手本という意味です。

日本国外に出たことがある人にとっては、日本人は勤勉、まじめ、賢い、と評価を受けることが少なくないと思います。実は、アメリカには人口の5.6%アジアから移民した人、その親からアメリカで生まれ育った人がアジア系アメリカ人(Asian American)と呼ばれており、特に東アジア系は「勤勉、まじめ、賢い見方」という見方をされます。アジア系アメリカ人は、人種的なマイノリティであっても、一生懸命努力していけば、活躍できる、成功できる、ということを証明しているのだと。その努力を支える「文化」をアジア系アメリカ人は持っていると称えられました。このモデルマイノリティは1960年代以降に強くなってきた考えで、一方で黒人は努力が足りない「貧困の文化」であるという論と共に広がっていきました(13)。

アジア系アメリカ人は全米でもトップに入る大学に沢山入っています(ハーバード大、MITの学部生の25%がアジア系アメリカ人)。成績優秀、ビジネスなどにも多く活躍しています。

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では、この「優秀なアジア系アメリカ人」に代表されるように、黄色人種というものは優等人種で、他人種より優れた文化を持っているのでしょうか?それは違います。アジア系アメリカ人がいつアメリカに移民してきたのか、というのが多く影響しています。

アメリカに始めてアジアから移民が来たのは19世紀中盤のゴールドラッシュがきっかけです。19世紀後半には日本や中国から多くの人々がアメリカに職を求めて移民しました。アジアからの大量の移民を恐れた(その頃は白人社会にアジア人は溶け込めないと思われていた)アメリカ政府は、1882年に中国人排除法を施行し、中国からの移民を拒絶し、また米国籍を与えないようにしました(14)。日本からの移民も例外ではありません。その頃、黒人と同じように、日系移民の子どもたちは人種で分けれた学校に通っていました。白人と同じ学校には行けなかったのです。そして日本政府と米国政府は1908年に紳士協約を結び、日本政府は「アメリカに入ろうとする労働者」にパスポートを与えないことになりました(15)。先に述べたように日本が近代国家の形を他のアジア諸国より早く持っていたことで、中国人よりもゆるい規制にはなりましたが、その後第二次世界大戦中にはアメリカにいた日本人、日系移民は強制収容所に送り込まれます。

戦後、1965年にアメリカは移民法を大幅に改正し、必要なスキルを備えた人材、つまり高等教育を受けた人を優先的に移民できるようにしました。そのとき、医者、看護師、科学者、エンジニアなど自国やアジアでチャンスがなかった高度に教育された人たちがアジアから移民したのです。そして彼らの親類も移民してきます。高い教育を受けた親に育てられた子どもが社会的に成功するのは、日本でも貧困や教育格差の連鎖が問題になっていますが、自明のことだと思います。米国社会で成功、活躍しているアジア人、モデルマイノリティというのは、アジアから労働者層が移民しにくい中で、1965年の移民法によって移民してきた、既に高度に教育された移民達が生み出したものなのです(16)。

その結果、アジア系アメリカ人の中では世間の求めるモデルマイノリティ象に自分が当てはまらないことから悩み、自殺する若者が多くいます(17)。そして、社会に出て成功した人たちも、女性が直面するガラスの天井、ならぬ「竹の天井」があると言われています。非常に成功していると言われるアジア系アメリカ人も企業や組織のトップになる人は男性でも本当に少ないのです。女性のアジア系アメリカ人は更に少なくなります(18)。2012年のデータですが、フォーチュン500社のうち77.2%の企業はアジア系アメリカ人が取締役レベルにいません。そして500社の取締役達のうち2.6%しかアジア系アメリカ人は占めていません(19)。

私が受講している人種のクラスで白人のクラスメイトがモデルマイノリティについてこういう見方を提示してくれました。

「アジア人は自分たち白人の地位を脅かさないが、マイノリティの手本として、よく働き、学び、マイノリティでも努力すれば活躍できることを示すことで、黒人たちの努力が足りないことを示すものとして利用されている」

私はこの見方に賛成です。今の人種ヒエラルキーで、アジア人はよい地位にいるように見えるが、結局白人至上主義の中で生かされている。自分が「ハードワークで成功した」と少しもてはやされて気分がよくなるが、それは結局、黒人の人たちを抑圧しているのです。

肌の色で私達も人を差別している

黒人の人達が生きている現在のアメリカは、肌が黒いだけで、報われない社会です。白人と黒人はいまだに住む場所が別です。黒人が街に住み始めると白人が出ていく、引っ越してきた黒人が白人から締め出されることは日常で起こっています(20,21)。黒人・白人で住む地域が分けられると、地域住民の固定資産税で教育予算が多く賄われるアメリカでは教育予算にも大きな差が付きます(22)。肌が黒いだけで、学校の先生や他の大人たちに自分のことや自分の可能性を信じてもらえなかったり、守ってもらえなかったりする、ということも実証されています(23)。社会で支配的な地位にいる白人のネットワークに支えられ、同じような学校の成績の白人の若者が仕事を得られる傍ら、黒人の若者は仕事を得られず、社会から疎外されていきます(24)。

黒人たちは努力をするように促されない、努力しても報われると思えない社会構造の中にいるのです。それで黒人は努力が足りないんだ、と言えるのでしょうか。

そしてこの白人至上主義、反黒人主義は、アメリカにとどまらず欧米の過去の植民地主義・帝国主義によって、そして現在のグローバル社会によって全世界に広まっています。

日本は、戦後アメリカに占領され、政治や社会について大きな影響を受けています。占領終了後もアメリカの一挙一動に日本の政治が反応しているのをみている方も多いと思います。アメリカの人種差別的、白人至上主義的な考え方に私達は影響されないではいられないのです。

電車の座席に肌の黒い人を見かけたら近くには座らない。町中に肌の黒い人がいるだけで、なんか怖いと思って警戒する。私もそういう気持ちがありますが、みなさんにもあるのではないでしょうか。そういう日々の小さな行動の積み重ねが、黒人の人たちを傷つけ、人種差別、白人至上主義を強めてしまいます。

今私達が何もしないことは、ジョージ・フロイドさんが白人警官に首を押されて路上で殺されたときに、見張りをしていたアジア系警官がしていることと同じことかもしれません。

何かしたい、と思ってくれた方はぜひ日本でどのように白人至上主義や半黒人主義が表れているか観察してみてください。それをぜひ、周りの人と話してみてください。

また、もっと何かしたい、と思う方は、ぜひ私の友人が書いたこちらのブログを読んでみてください。最後に具体的なアクションが書かれています。

アメリカの人種問題にどのように日本が関わっているのか、もう一つの要素として、日本の「人種」の歴史がありますが、長くなってしまうので、別の記事にします。よかったら、以下のリンクから御覧ください。

長い文章読んでくださり、ありがとうございます!

人種差別、そして反黒人主義に、日本の私たちも加担している(後半)

(参考文献リストは下のファイルになります)


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