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吉田松陰の「留魂録」第八条にふりがなつけてみた

浪人生の頃に色んな名文が載っている本を読み
そこで吉田松陰の「今日死を決する所の安心は…」という文章を知りました。

その時の私は父親がリストラに遭い大学受験の予備校浪人生活を諦めていた時で、借金の取り立てが家に来たり、親に頼まれて消費者金融に借金をさせられたり、電気やガスを止められてしまい極貧生活を送っていて、物凄いストレスで吃音や失語症になりながらアルバイトをして家族を支える生活をしていました。

甘やかされて育った生活から人生が一変して、苦労人を経験している時に
吉田松陰に出会いました。

処刑されるまえに、こんな美しい文章が書けるのかと感動して、そこに書いてあった留魂録の一部を当時一生懸命暗記しました。
久しぶりにまた暗記した文章をそらんじようとしたのですが
ほとんど覚えていなくて、読み方も分からなくなっていたので
間違っているかもしれませんが、ふりがなをふってPDFファイルにしてみました。

どなたかの役に立ったら嬉しいなと思いアップしようと思います。

間違えていたら教えていただけると嬉しいです。

留魂録
【現代語訳】
 今、私は死を前にしても、とても穏やかで安らかな気持ちでいます。それは、春・夏・秋・冬という四季の循環について考えて、こういうことを悟ったからです。
 皆さんもよく知っている稲のことを、思い出してみてください。稲は、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬には収穫を蓄えます。秋になり冬になると、人々は、その年の一年の仕事が実を結んだことを歓び、酒や甘酒を作り、村も野も、歓びの声でみちあふれます。いまだかつて、収穫の時をむかえていながら、そのことを歓ばず、その年の仕事が終わることの方を悲しんでいる人がいた…などという話は、聞いたことがありません。
 私は今、三十歳です。何一つ成功させることができないまま、三十歳で死んでいきます。人から見れば、それは、たとえば稲が、稲穂が出る前に死んだり、稲穂が実るまえに死んだりすることに、よく似ているかもしれません。そうであれば、それは、たしかに”惜しい事”でしょう。
 しかし、私自身、私の人生は、これはこれで一つの”収穫の時”を、むかえたのではないか、と思っています。どうして、その”収穫の時”を、悲しむ必要があるでしょう。
 そもそも。人の命には、”あらかじめ決まった年数”などというものはありません。稲は、必ず四季を経て実りますが、そもそも人の命とは、そのようなものではないのです。
 人というのは、十歳で死んでいく人には、その十歳の中に、春・夏
・秋・冬の四季
があります。に十歳で死んでいく人には、そのに十歳の中に、春・夏・秋・冬の四季があります。
  三十歳で死んでいく人には、その三十歳の中に、春・夏・秋・冬の四季があります。五十歳で死んでいく人には、その五十歳の中に春・夏・秋・冬
の四季があり、百歳で死んでいく人には、その百歳の中に、また…春・夏・秋・冬の四季があるのです。
 十歳で死んでいく人を見て、「あまりにも短い」と考えるのは、もともと命の短い夏の蝉を、もともと長寿の椿の霊木と比べるような、愚かなことではないでしょうか。それと同じことで、百歳まで生きる人を見て、「あまりにも長い」と考えるのは、もともと長寿の椿の霊木を、もともと命の短い夏の蝉と比べるようなものです。どちらの考えも、”天寿”ということがわかっていない考え…といえるでしょう。
 私は、すでに三十歳になります。稲にたとえれば、もう稲穂も出て、実も結んでいます。その実が、じつはカラばかりで中身のないものなのか…、あるいは、りっぱな中身が詰まったものなのか…、それは、本人である私にはわかりません。
 けれども、もしも同志の人々の中で、私のささやかな誠の心を”あわれ”と思う人がいて、その誠の心を”私が受け継ごう”と思ってくれたら、幸いです。それは、たとえば一粒のモミが、次の春の種モミになるようなものでしょう。
 もしも、そうなれば、私の人生は、カラばかりで中身のないものではなくて、春・夏・秋・冬を経て、りっぱに中身がつまった種モミのようなものであった、ということになります。同志のみなさん、どうか、そこのところを、よく考えてください。
【新訳】留魂録 吉田松陰の「死生観」松浦光修 編訳p.238

この文章を読むと当時の状況も合わさって涙が出そうになります(*'ω'*)


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