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外を見た者たちの行き着く先と、閉じた世界に取り残される者たち―『マッドバウンド 哀しき友情』“Mudbound”

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*この論考には映画『マッドバウンド 哀しき友情』“Mudbound”のネタバレが含まれる。

 この映画では第二次大戦前後、中産階級に属する或る一家の崩壊を通して、様々なモチーフが描かれる。戦前から終戦直後におけるミシシッピの片田舎で展開する困難は、夫婦間の亀裂や、因習として根付く黒人差別と白人至上主義、医療や社会保障などという仕組みの無い自然の過酷さや、配慮が危機となり危機が好機となる悲哀で溢れている。

 物語の中心として描かれるマッカラン一家は、白人至上主義者の父と、ミシシッピ大学工学部を出た長男のヘンリー、彼の妻で単科大学を出て教員免許の資格を持ちながら三十過ぎまで家事手伝いをしていたローラと二人の娘、そしてミシシッピ大学を出てオックスフォードから戻ってきた(と思われる)次男のジェイミーで構成される。

 南部にありふれた或る種の無骨さを持つヘンリーとは対照的に、二枚目のジェイミーはその容姿と教養で「女性を輝かせる」魅力を持つが、第二次大戦の勃発と共に出征する。その間にヘンリーは営農の計画を独断で押し進め、技術者としての安定した収入を棄て、かつて祖父が所有した農場経営に乗り出す。その農場に小作農として生活するジャクソン一家が暮らす。

 ジャクソン一家は農奴であり、父のハップは黒人コミュニティの牧師を務める。母のフローレンスは助産師で、主人の妻であるローラを何かと助けざるを得なくなる。長男のロンゼルは出征し、ジョージ・パットン配下の第七六一戦車大隊(ブラックパンサーズ)に配属され、ヨーロッパ戦線を転戦する。

 農奴として人間扱いされない黒人の暮らしは、抵抗したところで私刑に遭い致命傷を負うか抹殺される危機と隣り合わせである途方も無い忍耐と諦観の狭間にあり、圧倒的な権力勾配の下手に置かれる。そしてヘンリーは、そのような社会構造に疑問を持たず、絶妙にズレている。

 ヘンリーは穏便に事を運ぶよう努める。ハップに助力を求める彼の丁寧な言葉は、その背後にある言外の強制力を伴い、ハップは従わざるを得ない。ヘンリーは、自分のタバコを食べたという理由でハップのロバを撃ったカールを解雇するが、ハップに対して、畑をおこす上で必須の労働力であるロバを補償するなどの配慮を見せない。

 そして不運は重なるもので、屋根仕事をしていたハップは足場の梯子が倒れて足を負傷し、働けなくなる。貧しい農奴は医者にかかる金も無く、ハップの代わりにフローレンスが鍬を握るが、雨にぬかるむミシシッピのデルタ地帯では、ロバの無い人力の畑おこしは終わる気配を見せない。ヘンリーは種まきの時期を逃すとハップに忠告し、ロバを貸す代わりに収穫の半分を収めるよう要求する。

 ヘンリーは農場経営を何とかしようとしている。その年に収穫出来なければ経営自体が立ちゆかなくなる危機感に駆られて彼は奔走しているのだが、実際の状況を把握しているとは言い難い。ジャクソン家にシワ寄せをしたところで、足下が崩れてゆくだけである。ローラはヘンリーに無断でハップの治療費を支払い医者に診せるのだが、ヘンリーは激怒する。

 そうこうするうちに戦争が終わり、ジェイミーとロンゼルが復員する。彼らが経験した戦争は死と隣り合わせの極限状態であり、究極の非日常を延々と繰り返すものである。B-25爆撃機のパイロットとして従軍し、搭乗員の殆どが被弾したにもかかわらず墜落せずに帰還したジェイミーはシルバースター勲章を授けられるが、彼の父は「大仰な勲章」“fancy medal”と言い、まるでジェイミーを試すかのように「何人殺したんだ」と問う。高度四マイル(約六千メートル)上空から絨毯爆撃を仕掛ける戦術上、地上の人間は蟻以下の小ささであり、何人死んだのか解るはずもない。ジェイミーにとっての生死は自分が操縦する機の搭乗員と一蓮托生であり、しかし良き夫であり良き父であったはずの戦友たちが被弾して死んでしまったことに対し、妻も子もいない彼は自身の無力感に苛まれる。

 何人殺したかなど解りようがないという意味でジェイミーは「少なくとも一人以上」と答えるが、それを腑抜けと捉える父は彼を見下す。「男というのは殺した数を覚えておくもんだ」「俺は相手の目を見てから殺した」と言う父が前提とするのはリボルバーやライフルが物を言う世界であり、航空戦力や戦車が投入される現代戦の大量殺戮とは別次元で、アメリカの片田舎で安穏と暮らしている昔気質の老人にジェイミーの体験は理解出来ない。

 そしてロンゼルが直面する現実は、なお一層の過酷さを極める。彼はブラックパンサーズの一員としてヨーロッパ戦線で戦果を挙げ、解放者として歓迎される。陸軍は彼らを差別するも、「ヨーロッパの女は肌の色を問題にしない」と言うように自身を受け入れてくれる白人女性と出会ったロンゼルは、南部の片田舎に帰ってみれば、そこは以前と何も変わらず差別が染みついている。帰郷し家族に土産物を買った雑貨店でマッカラン家の父らと揉めた彼は、因習に執着する白人にとって手痛い言葉を突き刺す。「ドイツ軍を蹴散らしたんです、あなた方が安穏と過ごしている間にね」と。ヘンリーは相変わらず暴力沙汰を引き起こさないために、言外の圧力と丁寧な言葉で場を収め、結局ロンゼルは服従せざるを得ない。

 ロンゼルは自身の人生を棄てて地獄に戻ってきたのだ。彼は外の世界を謳歌し、地獄を地獄として認識したのだ。そしてPTSDの症状に苛まれる彼を理解出来るのは、同じ戦地で心に傷を負ったジェイミーしかいないのだ。彼らにとって、肌の色や人種などというものは些細な違いでしか無い。黒人パイロットが駆るP-51戦闘機に救われたジェイミーはその恩を返すと神に誓い、身近に同じ苦しみを抱えるロンゼルとつるむ。

 しかしジェイミーの善意はロンゼルの危機を招いてしまう。ドイツから送られてきた白人女性と混血児の写真が露見し、ロンゼルは白人至上主義者たちの私刑で血祭りに上げられる。“One-drop rule”が示す通り、たった一人でも家系に有色人種が居た場合、その家系は非白人と見做される時代において、黒人男性が白人女性を孕ませることは、白人至上主義者にとっては言語道断である。そして脊髄反射的に噴き上がる男たちにとって、女性が敵国のドイツ女であろうが関係ない。白人女性を犯した黒人男性という関係性が、それが自分の知人ですら無いにもかかわらず、ただ許せないという琴線に触れて暴力が噴き出し、ロンゼルは処刑される。

 彼を巻き込んでしまったジェイミーは、父に連行されて刑場に引きずり出され、軟弱者として晒された挙げ句の果てにロンゼルに与える刑罰を選ぶよう強要される。これこそが正に「選択」である。理不尽な強要によって一方的に与えられる選択肢の中から、ジェイミーは選択させられ、ロンゼルは舌を抜かれる。このような悲劇の末に、ジェイミーは父を殺す。「あんたの目を見たぞ」と宣告し、枕を押しつけて父を窒息死させたジェイミーの事情を理解するローラは、義父を自然死として扱う。

 そしてヘンリーは悉く蚊帳の外である。「悪いことが起こる時、ヘンリーはいつも居ない」とローラが回想するように、重大な出来事が起こる際にヘンリーは不在である。当然ながら彼は農場経営に奔走しているのであるが、そもそも重要な決定をする際に、彼は妻に考えを伝えることすらしない。ローラにとってヘンリーは「小さな世界から救い出してくれた」存在ではあるが、振り回されて泥沼にはまりゆくのみである。あり得たかも知れないジェイミーとの駆け落ちも、ロンゼルの一件と義父の死亡でそれどころでは無くなり、ジェイミーは一人ロサンゼルスに発ち、ジャクソン家も新たな土地へと発ち、ローラは夫と娘二人と共に取り残される。

 外を知ってしまった者にとって、内に閉じ込められることは拷問に等しい。牢獄に閉じ込めて自由を束縛することが刑罰として有効なのはそういう理由であり、ジェイミーもロンゼルも泥沼の束縛、泥沼の境界、そして沈みゆく泥沼から去って行く。外を知らない者たちにおいて、持たざる者たちは変わらない地獄の中を工夫して生きてゆくが、中産階級のような中途半端に物を持つ者たちは藻掻くことになる。それなりの生活を知っているが故に底辺の生活に耐えられなかったり、持たざる者たちの工夫や知恵を知らずに落ちてゆく。

 このような悲劇を考えた場合、最もシワ寄せが行くのは女性だろう。ヘンリーに解雇されたカールを滅多刺しにして気が触れてしまったヴェラや、教育を受けているが故に判断出来るにもかかわらず言わば泥沼に閉じ込められるローラや娘たちである。正に、ハップが唱えるヨブ記十四章である。

6/27 誤記修正

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