超人に対するアンチテーゼとしての『刑事グロムvs粛正の疫病ドクター』

*以下の論考には映画『刑事グロムvs粛正の疫病ドクター』のネタバレが含まれる。

 DCコミックスやMARVELの超人を主役に据えたハリウッド映画が人気を博す昨今において、そのスーパーヒーロー(ヒロイン)に対して当て擦るかのような風刺や諧謔を散りばめたこの作品は、主人公に「型破り」を据える。

 何れの超人も、超人であるが故に軍隊に匹敵する力を持ち、その力を発揮するが故に社会に混沌を巻き起こすのだが、「型破り」がもたらす混乱はせいぜい現金輸送車が路面電車に突っ込み、ゴミ収集車が広場のアスファルトをえぐる程度に過ぎない。超人も「型破り」も、そうであるが故に社会的規範をものともせず踏み越え、そうするが故に事を成すのだが、超人が事を成す上で社会にもたらす影響は「型破り」のそれとは比べものにならない。

 そして超人は超人であるが故に理解者など居らず、「型破り」は仲間の助けを得て超人を止める。「型破り」は手続きや規則に縛られる他の凡人と比べて少々勇気のあるはみ出し者ではあるが、決して超人などでは無い。

 主人公である刑事グロムの振る舞いは、一見すると超人の大立ち回りのように見えつつ、北村一輝が演じる「疫病神」シリーズの桑原保彦が髪を撫で上げながら先読みをする演出に似て、派手に動いて失敗するパターンを想起し「よく考えろ」と自らを律して現実的な落とし処に帰着する喜劇的演出である。

 大立ち回りを演じるのは天才プログラマーであり疫病ドクターでもあるセルゲイ・ラズモフスキーだ。黒尽に象徴的なペストマスクの衣装は、クリストファー・ノーラン版バットマンの意匠を踏襲し、大富豪が特殊アーマーに身を包み活躍する姿を彷彿とさせる。

 グロムはそのような極端を止める。確かに疫病ドクターは金持ちの人格的に破綻したドラ息子を丸焼きにし、預金者を食い物にする銀行家に鉄槌を下し、産廃処理場によって多大な犠牲を強いる運営者を家族もろともに葬り去る。しかし、力と狂気を内包し「大いなる解決」をもたらす超人は地獄の釜の蓋を開け、社会を混沌へと放り込む。バットマンとジョーカーが見せる対比は力と狂気として両者を映し鏡とするが、バットマン自身が呈する力と狂気が屈折した形で投影されるのがジョーカーだ。

 グロムと疫病ドクターの関係は屈折した投影などではなく、疫病ドクターは力と狂気そのものとして立ち現れる。そして彼は主人公とはなり得ず、混沌をもたらす張本人として登場する。グロムは凡庸から一歩踏み出す非凡として立ち向かい、プロコペンコ署長に守られながら、ユリアとドゥビンの力を借りてラズモフスキーの暴走を止める。砕けたガラス屑の散らばる床を靴下で立ち回って血だらけにならないのは、良く出来た娯楽作品のご愛敬だ。キスシーンを匂わせつつ、期待させておきながら肩すかしを喰らわせる演出も、超人に対するアンチテーゼに始まり、徹頭徹尾ハリウッド映画を嗤う小気味よさと言える。なにより「大いなる解決」を求めない。

 「大いなる解決」を求める心理は、複雑で厄介な現実から目をそらしてリセットを求めるが故に歪んでいる。そのような歪みにつけ込むように「大いなる解決」を謳う者に対しては、十二分にお気をつけ召されたし。

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