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【第24章・意外な名前】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)

第二十四章  意外な名前

 栄は、背筋を伸ばし、正面から備中守を見て返答を待っていた。

 備中守は思う。こんな小娘にやり込められたことに腹は立つが、幸いなことに、この娘は馬鹿ではないようだ。双方共倒れになるような選択はするまい。
 彼も、魑魅魍魎が徘徊する殿中を生き抜く政治家である。感情より利害を優先させることが出来た。

「それで、そなたは、予に何を望むのか」
「はい。わたくしとしては、備中守様に二つのものを所望したく存じます」と、栄はすらりと答えた。すでに頭の中は整理がついている。

「ほう。言ってみるがよい」
「はい。まずは融川先生の描いた屏風のことでございます。あの屏風が、公方様が朝鮮国王に贈る品目から外れないようにしていただきたいのです」

「ふむ。それは問題あるまい。伺下絵なるものが、そなたの言う通りの意味を持つなら、予一人の意見で覆るはずもない。此度の担当老中、青山伯耆守様が上様に対し、問題なし、と報告すれば、その通りになるだろう」

「されど、備中守様は公方様のご側近。特に公方様からご下問があるかもしれません」
「そのときは、予の意見を言わせてもらう。そなたに何を言われようが、あの屏風について、予は、予の意見を翻すつもりはない。それがご奉公というものだ」

「はい、それで結構です」
「よいのか」
「はい。画の良し悪しの評価は、人それぞれでございます。ただ、お願いしたいのは、万が一、公方様がご再考される際には、あの屏風をご自身でご確認いただくよう、併せてご進言いただきたいのです。その上での公方様のご裁断とあれば、従うのみでございます」

 栄は、融川の描き上げた「近江八勝図」を信じている。同じ奥絵師の板谷桂意も褒めていたではないか。さらに、あの金泥の使い方は、御用絵師筆頭で今回の屏風制作の頭取を務める木挽町狩野家の伊川栄信とも意見交換しながら練り上げてきたものだ。

 美しさ、品格、仕事の丁寧さ、技術の高さ、どれを取っても絶対に大丈夫だ!

「殊勝な物言いだな。分かった。約束しよう。で、あとのひとつは何だ?」
「はい。浜町狩野家の家督相続について、ご助力いただきたいのです」

「うむ。で、融川法眼の跡継ぎは決まっているのか」
「はい。嫡子・舜川昭信様がいらっしゃいます。ただ、いまだご幼少にて」
「何歳だ?」
「当年十歳でございます」

 江戸時代、武家の家督相続について、明確な年齢制限はない。しかし、男子の元服は、十五歳前後で行うのが一般的で、家督相続もそれが基準となっていた。

「それは難しい。二、三歳誤魔化すことはよくあるが、十では無理だろう」
「はい」
「養子を取れば済むことだと思うが。養子の世話でもしろと言うのか」
「違います。奥絵師四家の力関係を考えると、出来れば、養子は避けたいのです」
「なるほど。そなたが融川乱心に乗らなかったのは、その辺の事情もあるのか」
「それは・・・」

「まあ、いい。しかし、養子が駄目なら、取る道は限られると思うが」
「はい」
「何だ。そなた、すでに分かっているのか」
「先ほど、備中守様とお話をしている最中に思い至りました」
「まったく、恐ろしい女子よ」
 栄は、備中守の呆れたような口調が気になった。相当嫌な女だと思われているようだ。心外である。

「しかし、予もそうした例を二、三知っているが、やり遂げるには、かなりの工作が必要となるぞ」
「はい。それで、そのためにも備中守様に、一筆したためていただきたいのです」
「一筆、か。まあ、よかろう。その後の成否は、そなたの腕次第だ。そなたがどのようにいたすか。高みの見物をさせてもらおう」

 備中守が、脇息の脇に置かれた銀の鈴を取り上げ、チンとひとつ鳴らす。すると、近習らしき家臣がすぐに入ってきた。
「御用でしょうか」
「書状をしたためる。紙と筆を用意してくれ」

 思わぬ間が空いた。気まずい沈黙。栄の目が室内をさまよう。話題、話題、何か話題は・・・。

「お尋ねしてもよろしいですか。このお部屋の襖に描かれた四季花鳥図は実に見事でございますが、中でもそちらの夏の二枚だけが特に優れているようにお見受けします。何か仔細があるのでしょうか」

「誰の筆と見た?」
「はい。法印・狩野探幽様か、もしくは、その薫陶を受けた、探幽四天王と呼ばれた中のどなたかの作ではないか、と拝察したします」
「ほう、さすがだな。探幽の筆で間違いない」
「では、他の部分は、何かの事情で失われたのですか。お屋敷が火事にでも遭われたのでしょうか」

「それも当たりだ。しかし、火事に遭ったのは当家ではない。お城だ」
「えっ?」
「そなた、明暦の大火を存じておるか」
「はい。随分と前の、四代目の公方様(徳川家綱)の御世のことでしたか」

 明暦の大火は、明暦三年(一六五七年)一月に起きた大火事である。江戸城の本丸、二の丸、三の丸を含め、江戸の町の六割以上を焼き、犠牲者は十万人に及んだ。そして、その際に焼失した本丸天守は、二度と再建されることはなかった。

「そうだ。この襖は、お城のご本丸で使われていたのだ。ご本丸が焼けた際、襖などもほとんどは焼けてしまったが、多少は運び出された。運び出されたものは、当初、再建された御殿で使われていたが、しばらく経つと新しいものに入れ替えられた。そして、古いものは、大猷院様(三代家光)ご遺愛の品として、我ら譜代衆に下げ渡されたのだ。それで、この二枚が当家に来た。他の部分は、焼けてしまったか、他家に渡ったか、それは分からぬ」

「左様でしたか。大変な目に遭いながら、受け継がれてきたものなのですね。全て焼けてしまわず、本当によかったと存じます。いい勉強になりました」
「眼福と言わず、勉強になったと言うあたり、そなた、本当に絵師なのだな」
「恐れ入ります」

 そこで話が途切れた。今度は、備中守が別の話題を持ち出した。
「それにしても、狩野派の中にも様々な考え方があるのだな」
「それはどういう?」

「あの金泥の使い方のことだ。ああした遠近の表現は、予も、西洋の書物などで見たことがある。なかなか面白いとも思う。しかし、ひと月ほど前だったか。お城で御用絵師と話したのだ。新しい技法を研究するのは結構だが、むやみに用いれば周囲との調和を乱す。特に、公儀の御用においては伝統の順守こそ大事である、とな」

「えっ?!」と、栄は素っ頓狂な声を出してしまった。

 備中守はそれに構わず話し続ける。「これからは、我が国も海外に目を向け、進んだ技術は積極的に取り入れなければならぬ。それにより様々な分野で変革が起きるであろう。問題は、その変革が公儀にとって・・・」

「備中守様、申し訳ありません。そ、それは、その御用絵師とは、どなたのことでしょうか」
「うん、何だと?」
「備中守様が絵画についてお話されたという御用絵師です。どなたのことでしょうか。もしや、本日の見分の場にも?」
「無論いたとも。今回の屏風制作の頭取だからな」
「で、では、木挽町狩野家の伊川法眼様ですか」
「そうだな」

 なぜ、なぜ伊川栄信は、備中守にそんなことを? 彼はこれまで・・・。もしや、今回のことは、いや、まさか・・・。

 一件落着に向かっていると思った事態が、ひっくり返りそうだ。その時、姿のいい近習が、硯と筆を載せた小型の文机を持ってきて備中守の前に据えた。
「それで、予は、誰に何を書けばよいのだ?」

 そうだ。落ち着け。まずは、この場に決着をつけなければならない。栄は、駆け出しそうな思考の手綱をぐっと引いた。

次章に続く

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