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【第30章・一門会議】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)

第三十章  一門会議

 打ち合わせが終わると長谷川たちはすぐに出て行き、座敷には栄と素川だけが残った。
「素川様。木挽町へは、菓子折りか何か、ご用意いたしましょうか」
「いや、用件が用件だ。必要ないだろう」
「そうですか」
「しかし、どうなるかな。すんなりこっちの話に乗ってくれればいいが。伊川殿はさばけた方だから大丈夫と思うが、息子が出てくると厄介だぞ」
「晴川養信様、ですか」
「ああ。あれは若いがしっかりしている。いや、石頭と言った方がいいかな」

 栄としては、伊川栄信こそが警戒対象なのだが、素川から見ると違うらしい。素川が同行するとなれば、当方の代表は素川となる。話がどう転ぶか。成り行きを見るしかない。

「素川様。わたくし、奥様のご様子を見て参りたいのですが」
「ああ、行ってこい」
 栄が廊下に出ると、早くも長谷川がこちらに戻って来た。後ろに数人連れている。
「お栄、どこに行く? これから一門の皆様にご説明せねばならない。そなたも同席してくれ」
「かしこまりました」

 長谷川が招集をかけた浜町狩野家の一門衆は八名。所用で江戸を離れている二名を除き、六名が駆け付けた。

 その筆頭は、表絵師・浅草猿屋町代地狩野家の寿石圭信である。

 表絵師と呼ばれる御家人格の狩野派御用絵師の家は、この時、十五あった。成立経緯はそれぞれ異なる。奥絵師家の分家や弟子筋から成立した家もあれば、元は奥絵師家と同格であった家もある。浅草猿屋町代地狩野家は、後者である。かの天才・狩野永徳の高弟・祖酉秀信を祖とする。

 従って、正確に言えば、浜町家の一門ではない。ただ、先代の素川章信が浜町家当代の融川と懇意で、また、両家は屋敷も近いことから、共同で仕事をすることが多かった。そのため、自然と浜町家の顧問のような立場になっている。

 現当主の狩野寿石圭信は、素川章信の息子である。当年三十歳。父親の素川が宮仕えを嫌って早々に隠居してしまったため、十九の若さで家督を継いだ。いや、継がされた。
 性格は父と真逆で、真面目そのもの。画の腕も悪くない。その安定した筆さばきは、浜町狩野家が請け負う仕事において、不可欠な戦力となっている。

 二番手は、狩野春徳という老人である。浜町狩野家の先代・閑川昆信の弟子で、外様の雄藩・備前岡山池田家の御用絵師を務める。長谷川家老の兄弟子にあたり、浜町家直系の弟子たちの中では、御意見番的存在であった。

 残りの四名は、いずれも浜町狩野家の画塾を出た町絵師である。町絵師は身分としては町人なので、武士階級の寿石圭信と春徳老人より畳二枚ほど下がった位置に並んでいる。
 その最右翼に座る四十半ばの精悍な感じの男。名を志村融昌という。浜町家の家督を継いだ融川が最初に自分の名前から一字を与えた弟子であった。しかし、だからと言って油断は出来ない。

 奥絵師が幕府や大名などから大きな仕事を請け負うと、その奥絵師が作業の頭取となる。そして、頭取の指揮下に、自家の画塾に属する絵師から、系列の表絵師や町絵師、さらに他の奥絵師家からの応援絵師まで総動員され、作業が行われる。

 ここで最も重要なことは、頭取である奥絵師が、作業の分担を決める権限を持っているということだ。

 格の高い部屋や身分の高い者のために描かれる画の担当となれば、その絵師は名前が売れる。報酬も高い。当然、頭取の奥絵師は、自分に近い者の中から、旨味の大きな仕事の担当者を選ぶ。

 それ故、表絵師や町絵師は、頭取を務める機会の多い有力な奥絵師家の当主に近づこうとする。そして、その動きは、町絵師においてより顕著であった。なぜなら、彼等には定まった収入がなく、全ての食い扶持を自分自身で稼がなければならなかったからである。

 同じ緊急招集を受けた身でも、どこか鷹揚に構えている寿石圭信や春徳老人と、緊張感を持って周囲に目を配っている町絵師たちの違いは、その辺りから来る。

「皆様、お忙しいところ、急な呼び出しに応じていただき、ありがとうございます」と、長谷川が一礼してから話し始めた。
 そして、融川の急死と、嫡子・舜川昭信が家督を継げる年齢になるまで融川の死を隠すことになったことを説明し、「そのため、皆様のご協力をお願いいたします」と締めた。

 一門衆で最初に口を開いたのは春徳老人であった。
「法眼様が急死しただと? 死因は?」
「急な病にて」
「しかし、法眼様はまだ若い。持病もなかったはずじゃ。急病、だけでは納得いかんぞ」
 その気持ちは一同を代表しているようで、皆、難しい顔をしている。

「長谷川よ。ここは洗いざらい話しておいた方がいいんじゃねぇか」
「そ、素川様、しかし・・・」
「この連中は、一門の中でも核と言える者たちだ。是が非でも協力が必要で、だから集めたんだろう。万が一、真相を後に他から知らされれば、我らにたばかられたと思うに違いない。そうなりゃ、かえって面倒だぜ」
「それはそうですが・・・」
「覚悟を決めろよ。おい、お栄、皆に説明してやってくれ」

 素川に突然指名され、栄は驚いて顔を上げた。この場にいるのは画道の大先輩ばかりである。長谷川に同席を求められたものの、まさか発言の機会があるとは思わず、下を向いて畳の目を数えていた。
「わ、わたくしですか」
「当たり前だろ。お前が一番分かってるんだ」

「お栄、とな。栄女寛好か。女ながら、なかなかの腕と聞く。しかし、素川様、こんな小娘に何を語らせようというのですか」
「春徳殿。小娘は小娘だが、こいつは、ただの小娘じゃありませんよ。今回のカラクリは、このお栄が、奥様の名代として方々駆けずり回って、まとめてきた話なのですから」
「う~ん、奥様の名代か。そういうことなら仕方ない。伺おう」
「さ、お栄、話せよ」

 栄は、頭の中を整理しながら話した。城中の屏風見分の場で起こったことから融川の切腹、板谷桂意からの忠告、さらに阿部備中守との話し合いまで。
 この後、木挽町でも同様の説明が必要となる。予行演習と思い、聞き手の反応も観察しながら話した。

 一様に驚愕の表情になった先輩たちを見て、栄は満足した。どうやらしっかり伝わったようだ。そこで、素川が殊更ドスの効いた声で言った。
「おい、お栄、あれを出せよ」
「よろしいのですか」
「実物を見なきゃ、信じねぇだろ」
 栄は、傍らに置いてある縦長の文箱から、備中守から伊川栄信に宛てた書付を出し、一同に示した。

「封を開けるわけにはいかないが、見れば分かるだろ。それが証拠だ。その書付で木挽町家は協力してくれるはずだ。宗家(中橋家)や鍛冶橋も右に倣うだろう。狩野派の奥絵師四家が結束するんだ。それに刃向かう奴は、この江戸の、絵師の世界にはいないよな」
 素川は、特に町絵師の四人に鋭い視線を向ける。四人は黙ってうなずいた。

 すると、これまで一言も発せずに座っていた寿石圭信が、静かに口を開いた。
「父上、そのようなゴロツキのような物言い、皆様に対して無礼でしょう。皆様、どうかご容赦ください」

「圭信、お前は黙ってろ!」
「そうは参りません。この場で父上に物申せるのは私だけですから。そもそも、父上に凄まれなくとも、皆、分かっています。浜町狩野家が存続するなら、それに越したことはない。ここで他家に乗り換えても、最下位からのやり直し。それよりは、舜川様のご成長を待った方がよい、と」
 この寿石の言葉にも、四人は黙ってうなずいた。

「そ、そうか」
「むしろ心配は、舜川様です。十三、四で家督を継いだとして、奥絵師の勤めを果たせるでしょうか。己の意思でもなく、若くして家督を継がされる者の苦労は、私は身をもって存じていますから」
「この野郎、今それを言うか!」

「寿石様のご心配はごもっともでござる。されど、法眼様も家督を継がれたのは十五の時でした。わがまま放題な若君でいらしたが、家督を継いでからは精進なされ、七年後、わずか二十二歳で奥御用を仰せつかったのじゃ。舜川様は、その法眼様のご嫡子。我らが一丸となってお支えすれば、立派にご成長されよう」
 そう言ったのは春徳老人である。融川が家督継いだ当時を知る志村なども大きく頷く。

「なるほど。一門の皆様がそのお気持ちであれば、無論、我が浅草猿屋町代地家も協力させていただきます」
 緊張と緩和。素川と寿石の親子は、阿吽の呼吸で役割分担が出来ているようだ。無論、それは圧倒的に息子の人徳による。

 座が落ち着いた。すると、春徳老人が沈痛な面持ちとなり、絞り出すように言った。
「それで、法眼様は今どちらに。最後にひと目、ひと目なりとも・・・」

次章に続く

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