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【第19章・探幽の獺(後段)】融女寛好 腹切り融川の後始末(歴史小説)

第十九章  探幽の獺(後段)

 栄の回想は続く。鍛冶橋家の家老が去った後、大きな画帖らしきものを前に融川が口を開いた。
「探信殿は、これが何だかご存知でしょうな」
「はい。我が祖・探幽法印様が遺した画帖の内の一冊です」
「その通り。おい、お栄。お前もこっちに来い」
「えっ、でも」
「いいから。そこ、探信殿の横に座れ」

 栄は遠慮がちに寄ってきて、探信守道の横に、ちょこりんと座った。

 後に、鍛冶橋家最初の奥絵師となる探信守道もまだまだ若造である。隣に座った少女を興味深そうに見ながら言った。
「伯父上、この子は?」
「ああ、私の弟子だよ。名前はお栄。先日、一字を与えて、何だっけ?」
「寛好、です」
「そう。寛好と名乗らせている」

「えっ、この子供が、もう一字拝領を済ませたのですか」
「そうだよ。なりは小さいが、腕は馬鹿に出来ない。探信殿もうかうかしていると抜かれちまうぜ」
 さすがに信じかねると探信は苦笑したが、融川の顔が真面目そのものであることに気付き、改めて横の少女に目を向けた。

 そこで、「さて」と言って、融川が画帖を開いた。開くとちょうど畳一枚分になる。融川は、一発で目的のページを開いた。恐らく、何度もこの画帖を見たことがあるのだろう。

 栄が、画帖をのぞき込むと、そこには、黒くて細長いものが描かれていた。四本足だ。動物だろうが、狐にしては黒い。狸にしては細長い。これ、何だろう?

「獺だ」
「かわうそ、ですか。川のそばにいる?」
「ああ、そうだ。二人とも、もっと寄って、よく見てごらん」

 よく見ると、現代の写真のように、毛の一本一本まで細密に描き込まれている。そして、この大きさ。恐らく実物大で描いてあるに違いない。

 油断なく光る二つの黒い瞳は、視線の先に何か獲物を捉えているようだ。四肢は一本一本爪先まで力がみなぎり、今にも獲物に飛び掛かりそうである。さらに、水から上がったばかりなのか。ぬるりと濡れた感じまで見て取れる。

 すごい、すごい、すごい、すごいよ。こんな描き方も出来るんだ!

「二人ともいいかい。これが絵画の基本というものだ。動物にしろ、花にしろ、景色にしろ、本物を見て、写し取る。最近、京や大坂では、こうした描き方を自分たちの発明のように言って名を売っている奴らがいるが、見てみろ、探幽様がこれを描いたのは百五十年も前のことだぜ。探幽様だけではない。開祖正信様、二代元信様、さらには神の如き永徳様まで、およそ名人と呼ばれた狩野派の絵師たちは、こうして絵画の稽古をしていたんだよ。ただ、作品として世に出さなかっただけだ」

「なぜ、世に出さなかったのでしょうか」
「探信殿、俺たち狩野派は誰のために画を描くんだい?」
「公方様です」
「そうだ。江戸においては将軍家や大名たち。京都に行けば、摂関家から、恐れ多くも天子様のために画を描くのが俺たちだ。そこらの町絵師と違って、何でもかんでも好き勝手に描けばよいというものではない。格式が求められる。格式すなわち形式だ」

「その形式を守るために絵手本があるというわけですか」

「そうだ。だがな、同じ絵手本に沿って描かれた画でも、本物の花や鳥、山川をしっかり観察した者が描く画と、単に絵手本をなぞっただけの画では、大きく差が出る。探信殿、この鍛冶橋にも、先祖や先輩たちが遺した作品がいくつもあるだろう。見比べれば一目瞭然だ。要は・・・」

 そこで、前のめりに画帖に被さり、夢中で獺に見入っている栄のおでこを、融川がピチッと、指で弾いた。
「痛っ!」
「せっかくいいこと言ってんのに、お前、聞いてんのかよ」
「はい。聞いております」
「ははははは」と、探信の笑いが弾けた。

「とにかくだ。いいかい。忘れてはいけないよ。探信殿もお栄も、二人とも年齢にしちゃ、相当なところまで来ている。そして、お前たちみたいな器用な奴ってのは、絵手本を真似るだけで、何でもそこそこ描けちまう。だがな、それで満足してしまっては、もうその先には進めない。絵画の世界は、奥の奥、さらに奥まで道が続いているんだ。まあ、俺だってまだ入り口をくぐったばかりだがな。とにかくだ。事あるごとに、この獺を思い出して、精進しなくちゃいけないよ」

 とにかくだ、と二回言った。そのことが妙に可笑しくて、記憶に残っている。栄の思考は、そこで現実世界に戻った。改めて、夏の景色が描かれた襖絵を見る。

 探幽様は確かに凄い。まさに神の筆だ。しかし、融川先生のおっしゃる通り、その後の狩野派の絵師たちも前に進んでいる。格式や形式に縛られつつも、研鑽を積み、工夫を続けている。融川先生の「近江八勝図」だって、あの金泥や金砂子の使い方は、まさにそれだ。

 融川先生が亡くなって、あの屏風はどうなるのだろうか。公方様の命を受けて制作しておきながら、朝鮮国王に贈られる品目から外されでもしたら、それこそ先生の名は地に落ちる。

 あの屏風を、あの融川先生渾身の力作をお蔵入りにさせてなるものか。備中守に直接会えるなら幸いだ。まずは、あの屏風の素晴らしさを、作品としての価値を訴えたい。

 浜町狩野家の相続問題はどうするべきか。舜川様や友川様の将来は?

 しかしそれは、ここで備中守に言っても仕方ないだろう。明日以降、素川様にも協力していただいて、他の奥絵師家や一門の方々に働きかけるしかないと思う。一番頼りになるのは・・・。

 その時である。背後の障子が開く気配がした。栄の左斜め前方に座っている町田が平伏したので、栄も反射的に頭を下げた。
 サッサッサッと着物の裾をさばきつつ、男が一人、栄の横を通り過ぎ、迷いなく上段の中央の位置に座った。

 備後福山藩十万石の主、従四位下備中守、阿部正精その人である。

次章に続く


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