Lv80の不安と戦うトラウマという名の希死念慮

 楽しい気持ちも嘘じゃないんだよ、本当に。コンテンツにしろ人との会話にしろ、それを楽しんでいる時はほんとに楽しくて、浮かれてはしゃいでしまうくらいには、わたしの人生は楽しいもので溢れている。
 なのに、ふとした瞬間に不安でいっぱいになる。もう「いっぱいになる」と表現するほど全力で不安になっているのかも分からない。よくツイッターでバズっている「マック行くか死ぬか」「スタバ行くか自殺するか」みたいな。ふらっと募る希死念慮。息を吸うように不安が募る。なにが、とかではない。ただずっとなにかが不安だ。
 未来は不確定だから。もうずっと外で楽しくごはんは食べられないかもしれない。大学入試に落ちてしまうかもしれない。高卒認定試験で、何かしらのトラブルが起きて落ちてしまうかもしれない。親が死んでしまうかもしれない。将来死ぬまで一人なのかもしれない。このままずっと、何者かになりたいと泣きながら眠る夜は終わらないのかもしれない。いつ起こるかも、本当に起こるかも分からないようなことをずっと考えて、ずっと怯えている。でもそれが別にしっかりとした原因として「不安」になっている、というのとはまた違う気がしていて、そういうのが全部煮詰まった、芥川龍之介に言わせれば"ただぼんやりとした不安"というのがやっぱり実情だろう。
 わたしたち、何を怖がっているんだろう。何に怯えているんだろう。何に絶望しているんだろう。それがよく掴めていないことに、一番絶望している。
 正直もう疲れた。ゲームをしたり、配信を見たり、人と喋ったり。楽しいひと時を過ごせば過ごすほど、それが終わって一息ついた時、もう消えたくなる。そんな一日、一時間、一分の間でくるくると感情がジェットコースターのように回っていくのは、その分自分の体力を消耗する。最近何もしてないのに疲れている。ずっと寝ているのに眠い。もう何もしたくない。
 こんなことならいっそ、楽しいことすらしたくなくなる。ずっと暗い、死にたい気持ちのままでいたら、落差がひどくてしんどくなることもないのに。そうは思うものの、楽しいことを"できない"のと"やらない"は違うので、やらないほどわたしはドMでも修行僧でもないし、できないほど鬱が酷くて寝込んでいるわけでもない。ずっと中途半端で、沈みきってから治療や回復に向かうことも出来ず、楽しむことで回復することも出来ない。楽しいことを逃げ道に使って、逃げた自分が嫌になって死にたくなるだけ、という生産性のない日々を連ねている。
 もう明日が怖い。何もないくせに。人生を暇つぶしのように生きているくせに、ただただ時間だけが過ぎていくのは怖くて仕方がない。やりたいことがないから流されるままに、何も持たないままに生きているのに、何も持たないまま放流される時が近づいているのをひしひしと感じている。それが大学なのか、社会なのか、またはもっと広く恐ろしい壮大な、なにかスピリチュアルなものなのかはもはや分からないが、とにかく膨大な不安量に立ち向かうのに、自分のひ弱で薄っぺらな身体と精神しかないのが不安なのだ。そう、それすらも不安。

 わたしって暇なんだよな。暇だからいらないことを考えるし、何にも一生懸命じゃないからずっと何かの裏側だけを探しに行って、不安を感じてる。
 最近、リアルの友だちがきっちり受験生をやり始めているので、もうLINEもしたくない。「そういえば志望校どこにするの?」みたいな、そんな会話が日常的に行われると思うと気が遠くなるね。いやもう、学校はやめたんですが(笑)
 それにしたって、わたしも友達が0人だったわけではないので、春休みも近くなり「久しぶりに会おうよ!」みたいな嬉しいLINEをいくつか貰ったけれど、本当に行きたくない。自分が落第者の落ちこぼれであることを確認するイベント。誰が行きたいねん。バカが。
 そもそも半年ぶりくらいに友達に会えるイベントをそうとしか思えない時点で、わたしはもうダメなんだと思う。正直、体力的にもしんどいし。しかし"断る"もできないタイプなので、いつか遊びたいねーって流して、いつ日付が決まってしまうかを考えて怯えている。わかってる、もうわたしって友達に会うプライドすら持ち合わせてないんだって。
 プライドなんて全部捨てたと思ってた。半年寝込んで引きこもりになって、学力もめちゃくちゃに落ちて、志望校も近くの大学に下げて、将来の夢もない。平和に生きたい。できるだけ努力せず、できるだけ身を削らず。学校に行きたい!と思ったこともない。やっぱり頑張って行っておけばよかったという後悔も今のところしていない。もう持ってるものなんて何もないのでプライドもクソもねぇよ。
 だけど、どうしても、数年前は同じスタートラインにいた人たちがずっとずっと眩しく見えて、喋っていると、ずっとコツコツ走り込みを続けていた人と長距離マラソンをさせられる気分になる。いい見世物だ。
 少し前(これも三ヶ月以上前だが)に、近所の餅つきに親友と行った。親友というのは小学校からの付き合いで、わたしの半年前くらいに学校をやめ、今は通信制に通っている引きこもりニートだ。一時期バイトを狂ったようにやっていたが、やはり狂ったのでもうやめたらしい。
 そんなこんなでわたしにはよく会うような友達がそいつしかいないので、そいつとのぬるま湯ビニールプールでチピチビチャパチャパ遊んでいたのである。そんな二人が、少しでも季節感を感じたくて、でも街中には出かけたくなくて、徒歩五分の公園でやっていた餅つき大会に行ったのだ。
 わたしたちはバカだった。人に劣等感を感じて勝手に傷つくくらい繊細さん(笑)のくせに、そんな小学校の同級生だらけの場所になぜ出かけてしまったのか。案の定小学生の時にわたしと親友A(仮)と仲が良く、同じグループにいた子達のグループに遭遇した。会ったからには避ける訳にもいかないし、多少の近況報告と思い出話に花を咲かせた。学校が駅から遠すぎるだとか、生徒会長を押し付けられてやることになったとか、受験はどこを受けるとか、そんなのばっかり。わたしとAが一番垢抜けていて、メイクも上手で、服も可愛かった。だけど、その場で一番惨めなのもわたしとAだった。
 その後解散してから、わたしとAは河川敷で肉まんを食べながら泣いた。道中のコンビニ対応も先程とは別の、小学校の同級生がやっていた。彼女も頑張っている。
「わたしたちって何なんだろうね」
ある意味青春と言えば青春なのかもしれないが、そんな青春があるくらいならわたしは笑顔で生徒会長を押し付けられた話ができる女子高生になりたかった。
 帰りに2人で「上を向いて歩こう」を下を向きながら流して歌った。もう暗くなっていたけれど、ふたりとも声が震えていた。

「なにがダメだったんだろうね」
また別の時、冗談交じりにわたしは母親に投げやりに問いかけた。母親は、「うーん、教育システム」とまた適当に笑った。こういう適当なところは本当に助かるものがあるが、わたしの欲しい答えではなかった。
 何がいけなかったんだろう。何が普通じゃなかったんだろう。何がわたしを普通にしてくれなかったんだろう。
  後悔していないのと、コンプレックスがないのはまた別の話である。わたしのメンタリティが学校に行くことに耐えられていたなら、わたしはちゃんと通っていた。
 自身を奮い立たせるのは、いつだって積み上げてきた努力量による自信だ。武器を磨き、体を鍛え、不安という名の化け物と戦う。それが無い者は、いつ吹っ飛ばされるかをガクついた足で待つしかない。しかも頭でっかちで考えすぎばかりやっているわたしは、"ただぼんやりとした不安"を取り込んだ化け物が相手だ。レベルが多分Lv80くらいある。絶対普通の人はLv40くらいだと思う。わかんないけど。
普通に頑張り、普通のメンタリティを持っている人が、Lv40まで自分のアビリティを上げて、Lv40の敵と戦う。わたしはクソ雑魚なのに努力もせずレベル上げも怠り、Lv10くらいのまま、Lv80の敵と戦う。そりゃ吹っ飛ばされる。もはや負けすぎて常設イベントである。プレイして頂きありがとうございます! こちら大好評でしたので常設化させて頂きました! ぶち殺すぞ。
 ていうか普通ってなんだ。普通の人ってどのくらいの不安を抱えているんだろう。わたしって普通なんだろうか。頑張ってしっかり楽しく生きているみなさんにも、不安があることくらい知っている。それってどのレベル? どのくらいだったら"普通"で、どのくらいだったらヤバい? どのくらいだったら病院行った方がいい? そういうのが全部分からない。病気だなんて言われたくないが、かと言って怠惰な健常者ですとも言われたくない。このくらい普通ですよ、とも言われたくない。だってこんなのが普通だったら、そんなの絶望しかない。今もほら、被害者ぶるのだけは上手だねって誰かに言われてる気分になる。

 努力をしましょう。努力さえすれば、自分のガクガク震える足を代わりに支える杖くらいにはなってくれるだろ。いやそう思うんですが、もうボコボコにされすぎて、立ち上がる勇気も気力もありません。立ち上がろうとする度に、ボコボコにしてくるあいつの幻影が見える。それが楽しい後にくる希死念慮の正体なんじゃないかなって思う。
 そんなの、もうどうしたらいいの。今日もボコボコにされながら、だれも助けなんて来ないのに、自分しかいないのに「誰か助けて」と泣いています。そんなの、何から。

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