もう全部わかんないよ


 いつだってそうで、わたしはいつも上手くいかなくて、いつも悔しくて、いつもバカにされてる気分になって、誰も見てないのに外で手鏡やガラスばっかり見ちゃうし、誰も見てないのに日傘で顔を隠そうとしてしまうし、わたしの好きになることは「見る目がない」とか「そういう時期あるよね」とか言われて、悔しくて、誰にも出来ない生き方がしてやりたいのに、ずっとずっと普通になりたくて、そう、あたし、普通になりたかっただけなんです。でもとびきり変なわけでもなくて、変なふりをしている普通な人で、でも変なふりがやめられないから普通の人にもなれなくて、自意識だけが肥大して、本当に誰も気にしていないのに、わたしはわたしのことしか考えられない。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい、惨めだ、わたしより優秀なやつも楽しそうなやつも苦しそうなやつももう全員死ねばいい、全員死ね、そうしたら、いつかわたしも死ねるから



 わたしだけがわたしのことを可愛がってあげられるはずなのに、無理だ。気持ち悪い。なんだその小さい一重の目は、なんだその団子鼻は、なんだそのひどい姿勢は、なんだその顔は、なんだその目は、なんだ。なんだ。なんだ。なんなんだ。なんで生きてるんだ。なんで死なないんだ。なんで、なんで、なんでなんて、そんなの生まれてきちゃったからしかない。死にたくないからしかない。生きてたくなんかないけど、死にたくなんかない。そんなんじゃない。そんなんじゃないの。うるさい。うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。
 そんなんじゃなくて、もう全部やめたいだけなの。




 もうさ、なにが苦しいのか全然わかんないの。深夜急に頭もぜんぶぐちゃぐちゃになって、指先も震えるのに、毒ガスの充満したアルファベット1文字のSNSを開いて、ひたすら筆舌を尽くして「死にたい」って書いてる。不必要に言葉をこねくり回して、あたし、まだ大丈夫なんです。なんて、うそで、もう頭がおかしくなってしまいましたと、書いてしまった時、ああ、あたし、ダメだね、とおもいました。これは、救えない人間だ、とおもいました。
 これで、怠惰な健常者なんだから笑っちゃう。あたしの全ては怠惰です。怠惰な人間なんて必要ないとお思いになる社会なら、あの時、いっそ一思いに殺してくださったらよかったのに。
 うそです。あの時もなにもない。わたしはずっとぬるま湯の中で、甘ったるい蜜を吸って生き続けています。辛かったことなんて、なかったはずです。だって、ないんだもん。ほんとうに、ないんだもの。あたしが辛いなら、みんなとっくに自殺してるに決まってる。
 わたし、わたしの苦しさが分からない。なんで夜中に泣きながらこんなの書いてるのか、分からない。何が不安なのか、わからない。真っ当な人間のレールをはずれたこと? 違う。そんなの、外れる前からずっと苦しかった。ずっと苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。だから、それがおかしいって言ってんの。
 なんで。辛酸を舐めたことなんてなかった。わたしはいつも、上手くやって来ました。友達もいました。いない時もあったけど、困らない程度に、それなりに、いました。勉強もできました。全然、秀でたものは持てなかったけど、困らない程度に、できました。運動や芸術は本当にからきしで、手先も不器用で涙が出たけど、あたしは大丈夫でした。「できないところのある子」には、みんな優しくしてくれました。それがたとえ、「あの子よりマシだな」と精神的支柱にされていたとしても、あたしは大丈夫でした。一人でお弁当を食べるよりはよっぽど、大丈夫でした。
 便所飯もしたことないし、体育のペアが組めなかったこともほんとはありません。無視されたこともありません。いじめられたこともありません。父は普通に働いていて、母は甘くて優しい。お金がないと言いながらお金に苦労したことはなく、変な人に付きまとわれたこともないし、通りすがりにブス!って言われたこともありません。
 優しいものに囲まれて生きてて、なんか、ひとよりずっと甘い言葉に傷つけられて、そのかすり傷を一生大事に持っている人間なんです。情けないけど、「弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられることもあるんです」と人間失格に書いてあったから、ああひとりじゃないわねと思って、今日ものうのうと蜜を吸って生きている。やっぱり、情けない。
 だれも悪くない。悪いのはわたし。見る目、ない。



 どうしたらいいかわかりません。なにが不安なのかわかりません。生き方がわかりません。世界がわかりません。どうして死にたくて辛くてたまらなくなる夜に、寝てしまえば楽になるのに眠りたくないのかわかりません。わたしがわかりません。どうしたいのかわかりません。わかりません。
 わたしに、どうなって欲しいのか、いちばん、わたしが、わかりません。

 多分、破滅したいんです。堕落したいんです。偉大なる落伍者になりたいんです。本当に本当に真っ当な人間にはなれなかったので、本当に本当にダメな人間になりたいんです。それと同じくらい、本当に本当に真っ当な人間になってみたい。すごい人になりたい。みんなに認めてもらいたい。褒めてもらいたい。「いてもいなくてもいいけどいない方が楽」みたいなカテゴライズを抜け出したい。あたしを見て。あたしを見てよ。できることなんてないけど、褒めて欲しいの。すごいと思って欲しいの。
 思ってないでしょ。殺すよ。
 結局、友達でも、勉強でも、優しい家族でも、わたしは「もっと認められたい」としか思えなかったんです。見てくれてありがとうって思えなくて、もっと、もっと、もっと褒めてねって思った。社会的地位もなくて、なんの才能もない人間にはもう、一生満たされない欲求。いいえ、きっと世界一の大富豪になっても、わたしは満たされない。
 だから早く早く、もっともっとダメな人間になって、わたしはわたしにさえも失望しなければならない。早くわたしの中の、「あたしは本当は」虫を殺さなくてはならない。そのために撒いた殺虫剤で、アレルギー起こして過呼吸なって死にたくなる必要があるのかもしれません。本当にその必要はあるのか?
 わたしには、わかりません。早く、楽になりたいだけ。




 生きていてごめんなさいと、死にたいと思ってごめんなさいがメトロノームみたいにカチカチしてて、もうあたし、なにがなんだか、ほんとうはどうなのか、いいえ、もう、わからないけど、多分、止まることなく、カチカチ、カチカチ、カチカチ、カチカチ、カチカチ、カチカチ、カチカチ、


 はい。わたしは元気です。わたしのような恵まれた人間が、思い悩むことなんてありません。
 死にたい? 嘘です。言葉の綾です。死にたいと言って厭世的に物事を眺め、目の下にありえないアイラインを引いて、小難しい本を読んで、本当は誰か助けてほしいと思うのが、流行っているだけです。

 そういう時期、あるよね。そうなんでしょ







耳鳴りがしてきたから、もう、やめます。

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