懲悪と救済⑵

〈自ら命を絶つこと〉

いかなる理由があろうと、”自ら命を絶つ”という選択は、”負け”であると思う。これは私個人の考え方であり、誰に伝えたいというものでもない。


死は救済ではない。
自死を選ばざるを得なかった――そんな環境や状況を乗り越えられなかったという事実は、当人が死んだとて、永遠に変わることはない。(自死を選択肢として含めてしまうこと自体、甚だグロテスクでもあるが)


自死が当人を救う唯一の方法であるかのように感じられるのは、きっと当人が、毎夜毎夜、苦しくて仕方がないからだと思う。一瞬の痛み、苦しみで全てを消し去ることができる、そのことが魅力的なのだろう。


しかし、その選択は”敗北”だ。
非常なナルシズムであるとも云える。
自らのラベリングであり、”不幸な愚か者”の体現だ。


死ぬ直前はきっと恐い。
意識が朦朧とするまでは、自分を失うことが出来ずに、色んなことをシネマトグラフのように思い出すだろう。そうなったとき、後悔するかしないか。当人にしか分からない。本当に、死ぬ直前の、当人にしか。


死は救済ではない。
あくまで生き延びて勝て。
逃れたければ。


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