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天国の2年目〜3年目のプリセプター、地獄の4,5年目 ICU編

明けましておめでとうございます。
すべての子どもをお預かりできる看護師によるケアリングサービスを提供しています、株式会社Medi Blanca 代表の横山 佳野です。

年末年始は久しぶりに病棟バイトをしており、忙しく過ごしていました。
このことに関しても、追ってnote書いていきたいと思います。

今回は、看護師人生2年目〜5年目についてお話したいと思います。


2年目。後輩への心がけ

2年目は、正直全然記憶がありません!(笑)
後輩ができて、先輩達の目が離れのびのびと働いていたのでしょう。
おそらく何も考えず、過ごしていたんだと思います。

唯一覚えていること?気遣っていたことは、
”話しかけやすい先輩でいること”
ですね。聞きたいのに、忙しそうでなかなか話しかけられない...なんて経験、看護師の方だったら一度はあると思います。
自分はそうならないように心がけていました。


まさか...私にモチベーションが...?

腎臓内科で働いて3年。3年目には、プリセプターも任されることになりました。
人に教えられるようになってこそ、一人前。
当時の私は、業務は効率よく、患者さんを第一に考えて行動していたつもりですが、看護師としてのアセスメント力はかなり劣っていたと思います。
なので、教えていたプリセプティちゃんには、今思うともっとちゃんと教えてあげられればよかった、と思います。
時に「でも〜...」と反発されることはありましたが笑、ちゃんと成長し、独り立ちでき、成長を見せてくれたことにとても感謝しています。

年が明け、3年が終わろうとしていた時にふと、
 「私今のままじゃ誰も助けられない。人が倒れていても、何もできない」

と思ったんです。
そしてICU(集中治療室)への異動を希望し、4月よりICUに配転が決まりました。


地獄の4年目

この3年間は、”看護師業務”はできるようになりました。
看護ケア全般(患者のニーズを考え清潔ケアや環境整備、身体的・精神的苦痛などを気遣い、軽減できるような介入など)や、医師の指示に従い、点滴や投薬、必要な処置などを行う。
私は、割とコミュニケーション力が高く、なんでもそつなくこなす、”一見できる看護師”でしたが、ICUに配転して、自分では何も考えられない”指示待ち看護師”だったと実感しました。

ICUナースは違うんです。医師に言われた指示をそのまま鵜呑みするのではなく、患者さんの状態を一番よく看ているのは看護師なので、
「こういうデータや患者さんの訴え、症状から、今後こうなる可能性が考えられるから、このような指示が必要」ということを、超急性期の患者さんに対して、すばやくアセスメントし、医師に報告し、医師を納得させ、より良い治療ができるようにプレゼンするんです。

病棟ナースとのギャップに驚きました。
えっ...医者より医者やん...みたいな。そこまで考えなきゃいけないの?
ほんとICUナースは、ミニドクターです。
こう言っちゃ悪いですが、研修医よりも適当な外科の医者よりもICUの先輩ナースの方がよっぽど頼りになりました。笑

でも、ICUドクターはもっとすごい。
とにかく判断が早いし、正確で信頼できる。絶対的に信じられるドクターは、本当に少ないです。
毎日10時にカンファレンスをおこない、ナースの観察視点や、コメディカル(理学療法士、薬剤師など)の意見も取り入れ、より良い治療法をで選択していく。
このカンファレンスが毎回恐ろしかったことはいうまでもありませんが...笑

病棟で急変が起きたら、ほんと祭り状態※なんです。

※祭り状態とは、、、急変すると、ワラワラ人が集まってきて、一応リーダーみたいな先生はいるけど、通りすがって走ってきた看護師や研修医達は、その場を引くに引けず、ただ立ちすくんで、なんの役に立っていない傍観者が邪魔になっている状態。
私は自分の患者さんじゃない場合は、コール対応などに周り、離れます。笑

ICUドクターは、焦らず、リーダーがすぐに役割を分担し、それぞれの役割について急変時対応をおこないます。

病棟では祭り状態になるのに、道端で人が倒れていたときに、一般人がBLS開始できる人って本当にすごいなと思います。


勉強しないと生き残れない。


そして私は、ICUで初めて解剖生理から病態、看護、人工呼吸器や心電図などの勉強をしました。

もう勉強しないとついていけない。何より、先輩が恐怖すぎてやばい。
1年目からICUに配属された同期や1個下の後輩は、半分くらい休職経験あり。良く戻ってこれたな...という感じですが。

患者さんにつく前に、先輩と1日の行動を共有する、所謂”調整”
「調整お願いします」と話しかけるところからもうビクビクで、始まったら、
「なんで?で?、で?、で?、そこにメモしてるけど、情報本当に合ってるの?」
「えっわかってないのに受け持つの?患者死ぬんだけど」

・・・・。

お察しください。笑


でも、どんなに辛いことを言われても自分が選んだ道。
今まで勉強してこなかった自分が悪いし、勉強するために配転した。
だから、絶対泣かない。
看護師になって現場で泣いたことは一度もありませんでした。

しかし、やるケアが多すぎて記録も終わらない。患者さんも不安定。
仕事が回らなすぎて、患者さんを殺してしまうかもしれない恐怖。
でも先輩は、「やらないとできるようにならないから」と、みているだけで助けてくれない。
なんとか業務が終わるまでは堪えたものの、終了後の振り返りで、
「なんでできないの?」と責め立てられ、
ナースステーションで大声で泣きました。

本当に悔しかった。できないよ。そんな初めから。
自分は最初からできたの?

ただでさえ初めてのことばかりで不安な人を、さらに不安にさせフォローしないってどういうことなんだろう。
これって患者さんにとっても良くない。

確かにやらせないとできるようならない。
だったら、「何かあったらフォローするから」っていう一言があれば私は救われていたかもしれない。

これで潰れてしまう人がいるかもしれない。
同じ看護師だよ?仲間じゃん。

そして後期の師長面接で、「辞めたい」と口に出してしまった。
自分で決めたはずなのに。

でも今4年目。
あと1年ここで頑張れば、目標は達成するし、きっと何かが得られる。
そして怖い先輩が多い中、ICUのベテランナースがいつも私のことを気遣ってくれていました。
3人の子育てをしながら、ICUの危機ということで引き戻されたというすごくできる先輩。全然情報取ってないのに、なぜかすぐに仕事に入れて、アセスメントも早く、ドクターに正確に報告できる。

「私もこんなナースになりたい」
道のりは遠すぎて、今でもその先輩に近づけてもいないと思う。
でも、自分の理想像を持つことは大切。
その先輩がいてくれたこともあり、なんとか辞めず、先輩に少しでも近づけるようにと、必死で勉強しました。


ついに5年目。。。今後どうする

つらいICUにも段々慣れ、先輩の顔色を伺うことはもちろん継続。笑
持ち前のコミュニケーション力で、なんとかうまくやっていました。

5年目の後期。目標達成の時がきた。
辞めても良いし、辞めずにこのまま残っても良い。

・・・・・。

「辞める!!」

そう思い、3月で辞めることを決意しました。
辞めることに、悔いなし。笑


初めての転職活動

次の転職先は、絶対楽なところがよかった。

もう疲れた。

(当時結婚する予定は全くなかったが)結婚してもずっと続けられるような楽な職場。

どこにしようか迷っていたときに、たまたま同期ナースに聞いた、ある専門病院。

給料も悪くない。でもオペ室だったら嫌だな〜。
まあ、いっか!そこの求人に応募、面接、合格し、あっさりと転職が決まりました。


5年の大学病院での経験

1〜3年目は、社会人として働くこと、看護師として基礎的なことができることを学び、

4〜5年目は、看護師としてより専門的な知識をつけられたのではないかと思います。

私の看護師としての強みは、腎臓に関する生活習慣病に関することや、全身状態の管理、特に呼吸管理は死ぬほどやってきたので、得意だなと思えます。

なんとなく看護師になったけれど、なんとなく自分の看護師としての価値はが作れた気がする。
そして、この5年で私はどこでも働けるな。と思えるほど、自信がついていました。

それはつらいことを経験したこともそうだし、それだけ勉強したと思えるから。

看護師は頑張っても給料が変わらないし、楽をしようと思ったら、いくらでも楽できます。
でも一度きりの人生。誰かに尊敬されるような、そして自分が自信を持って生きられるような人になるのって、魅力的で素敵だなと思います。

決めるのは、あなた次第です。


続く...


次回は、初めての転職。大学病院とのギャップ編です!
亀投稿ですが。。。よろしくお願いします。


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