【フランス生活】Happyとcontentの違いについて多文化カフェで話したこと
たまに週一で集まる英語を話そうの会に参加しています。
以下の記事でも書きましたが、フランス人と非フランス人半々な会です。
朝10時スタートなのですが、みんな好き勝手な時間に来て、人が多くなり始めるのは11時過ぎとかでしょうか。例に漏れず私も11時過ぎに行くことが多いのですが、先日、行ったときに「自分が何が好きかを知るためには、世の中にはこういう生き方の選択肢があるんだってたくさん知らないといけないし、色んな事を経験しないといけない」みたいな会話が繰り広げられていました。何からこの会話が派生したのかは謎です。
私は色々なことを経験するための土壌は誰しもに開かれているべきだと強く思う人間ですが(だからこそ教育を仕事にしているわけですが)、一方で、昔、転職の面接の際、そんな自分の教育に対する思いみたいなことを話したときに、「選択肢をより多く持つと人は幸せになるというのは本当だろうか」という問いかけをされたことがあります。一定以上、選択肢が増えすぎてしまうと、選ぶ楽しみよりもどれを選んだらいいのか分からない、やりたいこととできることがマッチしないという悩みに繋がるんじゃない?と。
そんなことを思い出したので、そこにいた人たちに同じ質問をしてみました。返答で興味深かったのが「unhappyな瞬間はあるかもしれないけど、contentに生きることはできる」
みなさん、happyとcontentって違うものって捉えてるみたいですね。彼ら曰く、happyはその瞬間瞬間、何かを達成したとか、やったー!みたいな気持ち。だから波があるし、unhappyになることももちろんある。一方で、contentは(うまくいかないことがあったとしてもそれも含めて)自分の人生の状態に、これはこれでいいよねと満足している状態。
一方で、ミュージシャンの人は「自分の創作活動にcontentしたことはない、けどそれによって次に繋がってるから必ずしも全ての物事にcontentする必要もないんじゃないか」とのことで、その視点も確かになと。多少足りないものがあるからこそ努力する、でもその足りなさも含めておおよそ自分の人生オッケーだよねって思えたらいいよね…みたいなところで話は落ち着きました。
日本語だと、happyもcontentも、どちらも「幸せ」と訳されるんでしょうか。contentは満足の方が近いですかね。
先日、また世界幸せランキングなるものが発表されていましたが、こういうのもhappyというよりかはcontentっていう感覚なのかなと思うと、また違った見え方になるのかなぁと思いました。
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