巫蠱(ふこ)第十一巻【小説】
▼巫女たち⑥
「まあ脅威と言っても」
ここで岐美(きみ)がくちをひらく。
「のどに刺さった小骨程度の脅威じゃないかな」
「なんともありませんね」
「でも小骨は一生抜けない」
「おそろしいじゃないですか!」
そんな岐美と鯨歯(げいは)のやりとりに、身身乎(みみこ)はあきれた声をだす。
「もう……骨が折れます」
▼赤泉院身身乎③
赤泉院身身乎(せきせんいんみみこ)は、雨のあふれるそとに目をもどした。そして、ひざを立てる。
彼女には、ひざ小僧をほおに当てるくせがある。
なにか考えごとをするときに都合がいいそうだ。
さらに集中したいときは、もう片方のひざも使い、ほおを左右ともつぶす。
▼赤泉院身身乎④
自分のほおをつぶすついでに、目も閉じる身身乎(みみこ)であった。
視界を遮断すれば雨音の振動がよく分かる。そのなかで考えることはひとつ。
勝つことである。
身身乎はそれを「生き残る」とは表現しなかった。
屈服させたい相手がいるわけではない。
ただ、思いは殺させない。
▼巫蠱の地④
……現在、雨がふっているのは赤泉院(せきせんいん)だけではない。
そこをとりかこむ、いつつの地全域がおなじ天候に見舞われていた。
おのおの特徴のことなる土地ではあるものの、天から落ちる水だけは平等にそそがれる。
そして土に吸われなかった雨水が、楼塔(ろうとう)に流れ込む。
▼楼塔皇②
楼塔(ろうとう)の屋敷では、皇(すべら)が「そと」にでるところであった。
彼女は蓍(めどぎ)から、ある頼み事を受けていた。
それを果たしにいく。
きのう帰ってきたばかりなのに、またいなくなる。
いつもならだまって消える皇であるが、なぜかその日だけは妹たちに声をかけた。
▼楼塔皇と流杯②
まずは流杯(りゅうぱい)に対して。
「いってきます」
「……え、えらい! ねーさんが失踪前にあいさつするの、はじめてだよね。なんの用なの」
「人さがし」
「蓍(めどぎ)さんに言われてたやつね」
「じゃあつぎは是(ぜ)に」
「いってらっしゃい、ねーさん。あ、これもはじめてか」
▼楼塔皇と是①
そして皇(すべら)は、もうひとりの妹の是(ぜ)にも外出するむねを伝える。
是のほうは流杯(りゅうぱい)とちがって、わざとらしくおどろいたりはしなかった。
ただし、こんなことを言った。
「姉さん、手合わせしない? きょうは雨のせいで門下生たちもすくなくて、ひまだから」
▼楼塔皇と是②
手合わせは一瞬で終わった。
気付いたら是(ぜ)は、ゆかにころがっていた。自身のいとなむ道場のゆかである。
見学していた彼女の門下生たちが、ざわつく。
「もしかしてあなたが先生の姉……筆頭蠱女(ひっとうこじょ)ですか」
話しかけられた皇(すべら)は妹をみおろしつつ、うなずいた。
▼楼塔皇と是③
是(ぜ)は立ち上がって、姉に一礼した。皇(すべら)も礼を返した。
一瞬でたおされた是ではあったが、彼女に失望した門下生はいなかった。普段から慕われているためだろう。
また、相手が相手だった。
すべてに負けないと思われているがゆえに、皇は筆頭蠱女(ひっとうこじょ)なのだ。
▼蠱女たち④
その後、道場の玄関口に移動したふたりは自分たちだけに聞こえる声で話し始めた。
「姉さん、御天(みあめ)の伝言が……」
「それなら蓍(めどぎ)に聞いたけど」
「いや、ことづかったことが、もうひとつある」
是(ぜ)はその内容を姉に伝えた。対して、首をかしげる皇(すべら)であった。
▼蠱女たち⑤
「御天(みあめ)の言ったことについては姉さんが判断して。あと、絖(ぬめ)が死装束用意したがってる。必要なら作るって」
「いつ死ぬかも分からないわたしたちにとって、服はもれなく死装束でしょう」
そう答えて皇(すべら)は、そとに向かってかさを広げた。
「うん、いい雨」
▼楼塔是⑤
姉が、雨の向こうに消 えていく。
それを見送った是(ぜ)は、道場のなかにもどる。
門下生たちに稽古をつけることが、彼女の日常だから。
「先生、お姉さんは」
「でかけました」
「そうですか、でもふしぎです。よりによってきょう、筆頭蠱女(ひっとうこじょ)と会うなんて」
「……偶然です」
▼楼塔是⑥
もどってきた是(ぜ)に真っ先に声をかけてきた門下生は、あたまを深々とさげて礼をした。是にはその意味が分かった。
ここをやめるということだ。
「いままで、ありがとうございました」
そんな言葉を伝え合う。
ほかの門下生たちもそれを聞き付け、別れを惜しみ合う。
▼楼塔是⑦
自分のもとを去る人間がいることはべつにおかしなことではない。急にぱったりこなくなる者も当然いる。
もちろんかれらは、なにもわるくない。
だが今回は、今回ばかりは、へんな感じだった。
まるで自分の一部がどこかに吸われていくようなさびしさを覚えていた。
▼之墓簪④
……そんな是(ぜ)の心境を感じ取った者がひとりいる。
蠱女(こじょ)仲間の、之墓簪(のはかかんざし)である。
「ぜーちゃん、また思われなくなっちゃった」
現在、簪と是は別々の地にいるのだが、たとえ遠距離にあっても簪には気付かれる。
「ま、急に全部うしなうよりはいいか」
▼楼塔是と之墓簪②
もともと是(ぜ)に「ぜーちゃん」というあだ名をつけたのは簪(かんざし)であった。
是の名前はひらがなになおすと一字なので、呼びにくいのである。
かつ、彼女を「是」と言ったときの違和感。まるですべてを肯定するみたいに聞こえる。
それは、都合がよすぎる。
▼之墓簪と刃域葛湯香①
「……簪(かんざし)」
自分の名前を呼ばれた彼女は我に返り、周囲のようすを目でなぞる。
家のなか。雨の音。
真向かいの壁によりかかっている者がひとり。しゃがんで絵をかいている者がふたり。自分の顔を見つめる者がひとり。
名を呼び返す。
「……葛湯香(くずゆか)」
▼之墓簪と刃域葛湯香②
刃域葛湯香(じんいきくずゆか)は、我に返った簪(かんざし)を確認して、顔をそらす。そして問う。
「どうしたんだ」
いらだちと優しさをふくんだ声音に、簪がほほえむ。
「わたしのこころ、もれてたの。ぜーちゃんのことね。死んでないよ」
「あいつじゃなくて、おまえのことだよ」
▼之墓簪と刃域葛湯香③
葛湯香(くずゆか)の質問に答える代わりに、簪(かんざし)は自分の髪を指でこすった。
「それ好きだな」
「思い出さなきゃいけないのさ。わたしは髪飾りだから。不毛かな?」
「簪は髪にささないほうがきれいだと思う」
「分かんないなあ」
髪をこする音が大きくなり、雨音とまざる。
▼之墓館と城絖①
ところで簪(かんざし)にかぎらず、おなじ空間で絵をかいているふたり……之墓館(のはかむろつみ)と城絖(さしぬめ)も「かみ」をこすっていた。
こちらは「髪」ではなく「紙」のほうであるが。
筆のようなものを使って、黒い紙に色を乗せていく。
その音はふしぎと心地いい。
▼之墓館と城絖②
「絖(ぬめ)お姉ちゃんのかきかた、参考になる。わたし、いままで、すかすかにしてたから。こわかったかも」
「これまでのつみちゃんの絵もわたしは大好きだよ。きっと諱(いみな)さんだって。
「とくに色分け。之墓(のはか)が灰色で、城(さし)が緑なんだよね」
▼之墓館④
「……絵の色は、てきとう。なんとなく、あってそうなのを使ってる。
「わたしたちの顔、輪郭以上にえがくべきじゃないから。せめて区別できるように。でも姉妹同士はいっしょ」
筆をうごかしつつ言う。
「そ、それと、絖(ぬめ)お姉ちゃん、わたしの絵、ほめてくれて、ありがとう」
▼之墓館と城絖③
館(むろつみ)からお礼を言われた絖(ぬめ)は、うれしそうに口角をあげ、感謝の言葉を返した。
そして、いったん筆をとめる。
絵に集中している館を、凝視しない程度にちらりと見る。
こちらをお姉ちゃん呼びするその顔はあどけなく、自分よりも年上とは思われない。
▼刃域服穂⑤
さて、いまこの家にいるのはあとひとり。
館(むろつみ)と絖(ぬめ)、簪(かんざし)と葛湯香(くずゆか)のようすをだまって観察していた彼女、刃域服穂(じんいきぶくほ)は両手を垂らしたまま、壁によりかかっている。
本来であればそこは簪と館の姉、諱(いみな)の立ち位置だが、本人は現在、仕事にでている。
▼之墓諱と刃域服穂①
無数の水滴が外側から壁をたたく。
背中を押し付けていると、壁一枚へだてた場所で雨がふっているのがよく分かる。雨音が服穂(ぶくほ)のからだにしみこむ。
気持ちを落ち着け、諱(いみな)のまねをこころみる。
諱は「立ったままよこになる」ことができる。
それは特技ではなく、哲学だ。
(つづく)
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